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【グリム働話】シンデレラ

 あるメーカーに、とても仕事のできる担当者がいました。

「進寺といいます。4月よりこちらでお世話になります!」

 進寺は、メーカーの関係会社からやってきた出向社員です。主に人事交流を目的とした出向で、メーカーから対価の支払いはありません。両社には僅かながら資本提携もあったため、労働者派遣事業に該当するような反復継続性は認められず、偽装出向の疑いもないクリーンな出向でした。

 彼が在籍するのは、販売店を顧客とした法人営業部です。課長と先輩社員2人がいましたが、3人とも大層な意地悪でした。

「進寺って名前、シンデレラみたいだな」
「いつも髪はボサボサで、スーツもよれよれだし。ガラスの靴でも履いて出社してこいよ」

 「我が社の社員は人"財"です」と今どきクソ陳腐な企業理念を掲げる会社にありがちな、風通しの悪い組織です。今年の創立記念日には、2時間にも及ぶ社長メッセージを社員全員が会議室で片足立ちで聞かせられました。

「社長、話長すぎだろ」
「マジバッハだった。超バッハ」

 ただでさえ進寺の営業成績が良いことが気に食わない先輩たちは、日々のこうしたイライラとともに、コピーや書類整理などの雑務をすべて彼に押し付けました。Zoom会議のIDも、彼にだけいつも1桁違う番号を知らせるという陰湿ぶりです。
 課長はというと、進寺の稟議書にだけ意味不明なこだわりを突き付けるようなハラスメント系上司でした。

「やっぱ全部ゴシックに直して」
「課長が先ほど明朝体の方がいいと…」
「あと、ホチキスは左上から25mmね。これ、26mmだよね。」

 毎日がこの調子です。最近は、リモートワークが増えて紙を使う機会は減ったものの、Zoom会議のとき、進寺にだけビデオ背景を日替わりで面白い壁紙にするよう強要してくるのが新たな悩みでした。
 でも、真面目な進寺は1年間の出向だから耐えようと、仕事に一生懸命取り組みました。

 ある日のこと、地域最大の販売店が大規模な出店計画を立てており、継続供給前提の大量発注を控えているとの連絡が入りました。取引先の各メーカーから販売店の社長に向けたプレゼンをする会議が開催されることになり、進寺の会社にも招待状が届きました。

「これは絶対に契約を取りたい」
「受注すれば出世コース間違いなしだ。本社異動も夢じゃない」

 先輩たちは大はしゃぎです。課長も「聞いてくれ。他社は招待状で初めて知ったようだが、わたしには昨日電話で事前に連絡が来ていた」と、無駄な信頼関係の厚さを噛みしめて浮かれ気分になっていました。

「プレゼン会はお前たち二人に頼みたい」
「承知しました。至急準備します」
「課長、わたしは…」
「進寺、お前はもっとやるべきことがあるだろう。ほら、このエクセル、印刷したときに一部のセルで文字が切れちゃってる」

 進寺は「それはマイクロソフトに言ってくれ」と心の中で呟きましたが、結局、プレゼン会に向けて準備する先輩たちを横で見ているしかありませんでした。モチベーションも下がり、夕飯は毎日セブンイレブンのカップ炒飯とシャキシャキ野菜の蒸し鶏ザーサイしか食べられない日々が続きました。

 プレゼン当日の朝、進寺は、課長と先輩たちが販売店のプレゼン会場に向かうのを笑顔で見送りました。オフィスに戻った彼は悔しくなり、自席で端末のデスクトップをぼーっと眺めてばかりいました。

「おれもプレゼン会に行きたかった。販売店の社長相手にプレゼンをしてみたかったよ」

 そのとき、オフィスに見知らぬ年配の男性が入ってきました。

「落ち込むのはよせ、進寺」
「誰あんた」
「社長だよ」

 進寺は椅子から飛び上がり転げまわり、自らの非礼を詫びました。彼が慌てふためいていると、社長はやさしく諭すように話し始めました。

「進寺、きみはいつも仕事を頑張っている。優秀な社員だ。その褒美に、わたしがプレゼン会へ行かせてあげよう」
「なんすかこのガチシンデレラ的展開」
「きみの名字は進寺だろう」
「てことは、あなたは妖精のおばあさん」
「社長だっつってんだろ」

 そう言うと社長は、「こういうのは若手にやってほしいわ」とぶつぶつ言いながらオフィスにあったモニターをビルの前に運び、ペンで叩きました。するとモニターが黒塗りの高級車になったではありませんか。

「やっぱ妖精だ」
「いいからきみのマウスを貸しなさい」

 今度は進寺のマウスをペンで叩くと、マウスが敏腕執事のような運転手に変わりました。目の前の光景を俄に信じられない進寺は何度も何度も目をこすりました。

「このフォルダのパワーポイントも、借りるよ」

 社長がファイルをダブルクリックすると、中身が充実した美しい企画書に早変わりしました。ノート部分に読み原稿もついています。見ている者を不安にさせるような、バウンドしながら登場するアニメーションの図や、スライドごとに色の違う陰影付きタイトル文字もありません。
 ただ、上書きされてしまったファイルが、課長が10年来大切にしている「110401~_ランチ記録.pptx」であったことを口にする勇気は進寺にはありませんでした。

「さあ進寺、この企画書でプレゼンをしてこい。販売店の責任者にはファイルをメールで送付したし、発表の時間も確保してもらったから問題ない。きみの実力なら、原稿がなくたって華麗にプレゼンしてこれるはずだ」
「か、神様や…。し、しかし、こんな野暮ったい恰好じゃ…」
「任せなさい」

 社長が「ハクヨーシャ」と呪文を呟きながら彼のスーツの裾に触れると、一瞬でしわがなくなり、ワイシャツにはピシッとした糊がつきました。汚れていた黒の革靴は、新品のようにピカピカと輝いています。ボサボサだった髪型もバッチリきまり、斜めから見れば5人中2人はディーン・フジオカと見間違えるであろう清潔感あるエリート営業マンになりました。

「さあ準備は整った。取引先に強烈なプレゼンをぶちかまして、大口契約を必ずとってくるんだ進寺」
「急に業務命令」
「でもわたしの魔法は17時で切れるから、それまでに終業しなさい」
「くそホワイト企業」

 最後に社長は、契約を取れた暁にと進寺にガラスの社印を持たせました。

 進寺は黒塗りの高級車で販売店の本社に向かいました。彼が会場に入ると、ビシッと決め込んだスーツから放たれるオーラに周囲は圧倒され、プレゼン中だった他社の担当者は言葉を失ってしまいました。

 販売店の社長の目は、進寺の姿に釘付けです。

「なんだあの担当者は…!おい、急いで彼のプレゼンをセッティングしろ!早く聞いてみたい!」

 社長が用意してくれた企画書が会場のスクリーンに映し出されると、進寺はいつもどおり、TEDばりにわかりやすく伝わるプレゼンを始めました。進寺は、会場の誰よりも華麗なプレゼンターでした。

「この商品を置けば当社の出店計画は安泰だ…!決めた!彼のところに発注するぞ。全件だ。契約書を持ってこい!」

 進寺は、夢のような気分でした。自分のプレゼンで、歴史的な大口契約が成約となるのです。会場を振り返ると、課長と先輩社員たちが隅っこで呆然と立ちすくんでいるのが見えました。

 販売店の社長が見守る中、先方担当者が用意してくれた契約書に、進寺はガラスの社印で割印をまず1カ所押しました。するとその瞬間、会場に聞き覚えのあるチャイムが鳴り響きました。

「しまった、もう17時だ!」

 進寺のスーツはよれよれに、革靴もボロボロに戻ってしまいました。バッチリ決めたはずの髪型もどこへやら。
 彼はまだ契約書の全箇所に押印ができていないにもかかわらず、社長との約束を守らねばと思い、契約書を抱えてその場を立ち去りました。

「申し訳ありません!この話はやはり、無かったことに…!」

 進寺が会場を後にするとき、2部ある契約書原本の片方がバッグから床に落ちてしまいました。彼の後を追ってきた先方担当者がそれを拾って社長に告げると、社長は拳を握り締めながらこう言いました。

「あんな素晴らしいプレゼンは今まで見たことがなかった。何としても彼の会社と契約をしたい…!」

 翌日、プレゼン会の参加企業に対して販売店から一斉メールが届きました。会場に残された契約書の割印の書体が複雑で社名が読み取れず、これとぴったり合う社印を持つ企業を探すため、1社ずつ訪問するというのです。ハンコ押すためだけに出社させるのにひけを取らない、DXの発達した現代にあって信じられない業務です。

 販売店の担当者は、進寺の会社にもやってきました。先輩たちは自分の手柄にしたいがために、進寺を押しのけて総務課から社印を持ってきました。

「進寺があの日押そうとしていた印鑑は、これのはずだ」
「これを押せばおれたちの手柄になる」

 先輩たちは社印を契約書の割印に当てましたが、どうしてもきれいに重なりません。

「どうして、同じ社印のはずなのに…」
「御社ではないようですね。あのときのプレゼンターだった方の姿も見えないですし。では、今日はこの辺で失礼します」

 販売店の担当者が帰ろうとしたとき、相変わらずよれよれのスーツを着込んだままの進寺が呟きました。

「わ、わたしの持っている社印も、押してみていいでしょうか」

 それを聞いた先輩社員たちは大笑いしました。

「同じ社印なのに、お前が持っているのだけ合うわけないだろう」
「これだからシンデレラは」

 販売店の担当者は、進寺があの日の端正な姿とあまりにも違うせいか、彼があの日のディーン・フジオカだと気づいていません。
 進寺がガラスの社印を当てると、割印はぴったり重なりました。課長と先輩社員は、驚きのあまり腰を抜かしてしまいました。

 契約書を見ていた販売店の担当者は顔を上げ、目を輝かせながらこう言いました。

「あ、あなたが、あの日のプレゼンターの…!とうとう見つかった…!!社長に、社長に連絡しなければ!!!」

 そこへ、進寺の会社の社長が姿を現しました。
 権力に弱い課長はすぐさま応接室を用意しろと先輩社員二人に慌てて指示をしましたが、それを振り払うようにして社長が口を開きました。

「社印、ちょうどそのガラスのやつに変更したとこなんや。きみんとこの総務は、まだ新しいやつに差し替えてなかったんやな」

 続けて、進寺を振り返ってこう言いました。

「お前なんであの日あのまま契約書押さなかったん。17時回ったって契約書ぐらい押せたやろ。契約必ず取れ言うたやん。お前がハンコ押すの遅れて他社に契約とられてたらどないすんねん。契約取れへんのに定時で帰るとかアホちゃうか。死ぬ気で深夜までやれや」
「くそブラック企業」

 進寺の厳しい出向生活は、当面続きそうです。





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