「描く」と「書く」の境界線
中学生になるまでの10年間、絵を習っていた。いわゆるお絵描き教室。アトリエと呼ぶには技術も志も足りなかったが、パレットに落とす絵の具の色を選ぶ瞬間にわくわくしたのは今でもよく覚えている。
小さい頃から作ることが好きだった。段ボールや牛乳パックはいつも大切な遊び道具で、家族との旅先ではよく画用紙に絵を描いていた。物心ついたときには、毎週金曜日になると黄色いスイカ柄のバッグをぶら提げ教室に通っていた。スイカには、クレパスと絵の具の跡がいくつも滲んでいた。
教室は近所にある一軒家の2階にあった。家から歩いて5分ほどの距離だが、初めのうちは隣町に向かうくらいの距離に感じられて、小さな冒険に出掛ける気分だった。そんな風に、ほんの少し特別な場所だった。
教室入ってすぐ左手にスケッチブックのしまわれた棚があり、そこから自分のを取り出して席に着く。表紙には名前と番号の書かれたタグが貼ってあり、番号は何冊目かを意味していた。No.14を最後に終えたぼくのスケッチブックたちは、今も家の屋根裏に並べてしまってある。
花や果物などの静物をモチーフにクレパスや絵の具で描き、切り絵や貼り絵をする日もあった。黒い画用紙に自由に切り込みを入れ、カラフルなセロハンを貼ってステンドグラスを作ったりもした。毛糸を描線にして水筆で色を塗るなど、「描く」の自由さを教えてもらう時間もあった。
毎年秋には、区の施設を借りて展覧会を行ってくれた。かといってそのために何か特別な作品を手掛けたりはしなかったから、招待した家族や友人を含め、肩ひじ張らないゆるやかな催しだったのだと思う。展覧会は教室の延長線上にあり、生徒一人ひとりが普段から心に灯している「創る」への想いを分かち合う空間だったのだろうと、この歳になって気付いた。
社会人になってからの十年とあの頃の十年では、密度が違う。根を張り巡らし、幹を確かにした歳月。中学生から始まる油絵とコンテを学べなかったのが心残りではあるものの、描く楽しさを学ぶには十分すぎる時間だった。
白いキャンバスに絵の具を置くのは、白い画面に言葉を置くのと似ている。適当な色を混ぜたら灰色になってしまうのと同じように、言葉を慎重に選ばなければ鮮やかな文章は生まれない。
12歳を境目に絵筆をとらなくなった理由は覚えていない。勉強や部活が忙しくなるのを見越したのかもしれないし、単に続ける志がなかっただけかもしれない。あの頃の決断は、どれもぼんやりしている。それは、あらゆる判断に理由を求められる今に比べればよっぽど楽なのだけれど。
真剣に絵を描く機会はなくなったが、授業のノートに書き留める図や挿絵は人一倍真剣だったし、罫線のないノートを買っては模写をしたりくだらない漫画を描いていた。課外活動や修学旅行でつくるレポートや冊子は、自分にしかできない作品に仕上げようと必死になった。
勉強や部活に勤しむ時間が増えるにつれ、些細な絵を描く時間も減っていった。他方で、こだわる気持ちは忘れまいと思ったのか、言葉を選ぶのにかける時間は増えた。いつしか「描く」と「書く」は自分の中で混ざり合い、パレットの上に広がる絵の具のように溶けていった。
水を含ませた筆の毛先を細くまとめ、絵の具を取る。選ぶ色を迷い、置き場所に躊躇う。隣り合わせた色が重なって滲まないように、ときに滲むように気を遣っている。やさしく流れるような筆遣いも、ここだけは周りを惹きつけるようにしっかり強く。両手で運べるほどのキャンバスは果てなく広がるエディタに比べれば限られたフィールドだが、その大きさも、心の持ちよう次第で水たまりから海まで多様に変幻する。
「描く」と「書く」。これらは可能性に満ちた真っ白な世界に一歩を踏み出し、自分が選んだピースで隙間を埋めていく営みという点で共通している。どちらも、鮮やかに映し出したいと願うほどに心と頭を悩ませる。
「描く」は「えがく」とも読む。言葉を紡ぐことによって世界を表現する「書く」もまた世界を描(えが)いているのだから、元々境界線なんてないのだろう。どこか似ていると感じるのも、ぼくが絵を少しかじっていたというだけの話。音楽に通じた人であれば「奏でる」と「書く」の間に境目はなくて、音の響きを探る感覚で言葉を選んだりするのかもしれない。
色を選ぶようにして言葉を選び、色を重ねるようにして言葉を重ねている。どれだけ言葉を並べてもエディタはモノクロームのままだけれど、自分の目にだけは少しずつ彩りが生まれてくる。もしできたなら読んでくれる人もそうであってほしいと祈りながら、今も言葉を、色を探している。
「書く」に隣接する営みは、きっと日々の中にいくつもある。描けば言葉の色が浮かび上がり、奏でれば言葉の響きが聴こえてくる。もっと料理にこだわったら、言葉の香りや味わいがわかるようになったりするのだろうか。部屋の整理整頓を頑張っても、わかりやすい文章は一向に書けないけれど。
とはいえ毎日必死に生きながら書いているから、「書く」と生きるための何かはどれも隣り合わせだ。「書く」は孤独だけれど、ゆるやかな境目を超えて溶け合いゆたかになれるのだとしたら、案外そうでもない気がしてくる。少なくとも今この文章は、ぼくの目には彩りをもって映りはじめている。