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逆さバッグと洗顔ネットの哲学

哀愁は哲学を誘う。

ヘッダー画像は、2年前に妻が出掛けた後のリビングの写真。彼女のお気に入りのバッグが美しく逆さに直立し、その脇に洗顔ネットが佇んでいる。不可解を極めた状況は二次元に還元されてもなお、今を生きる者に問いを投げかけ続ける。

何故バッグが逆さまなのか。バッグとは、中に物を入れて持ち運ぶための道具だ。中に入れたものが落ちないよう、開口部は上部に付いている。そのバッグが逆さまなのだ。底面を天に向け静かに屹立し、自ら存在意義を問うバッグ。それは、対峙する者の思考を穏やかにはしておかない。

妻はバッグの口を閉めない。閉めろと言っているのに閉めない。ペットボトルが飛び出ているわけでもないのに閉めない。だからこのバッグもきっと閉まっていない。ひっくり返したら中身が落ちてくるのかもしれない。

中に何かが入っているのだとしたら、この状況はどのようにして生まれたのか。入っているものを落とさずに天地を逆転させるという、人智を超えた業がこの小さな部屋で繰り広げられたのだとしたら。

それとも中には何も入っていないのだろうか。彼女が出際に別のバッグへ中身を入れ替えた可能性は捨てきれないが、その割には空気が落ち着きすぎている。周りに何も散らばっていなければ解も導かれたであろうに、隣で静かに横たわる洗顔ネットがそれを許さない。

レースカーテン越しの淡い陽光が醸し出す寂寥とした空間に、唯一の揺らぎを生む洗顔ネット。きれいに閉じたメッシュの具合からして新品だろう。開封だけされて放っておかれるなんて末代までの恥だというのに。せめて、フックにかけてほしい。どうか。どうかS字フックに。

そんな悲痛の声も虚しく、還るべきはずの洗面所、脱衣所、洗面所からは最も離れたリビングで、己の役目を果たせぬまま黙って絨毯に臥す。推し量り切れない無念な様から漂う哀愁。移ろう有終。彷徨う永久。また来週。




別の日、会社から帰宅するとキッチンでフルグラが落ち込んでいた。

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妻はまだ帰ってきていない。静寂立ち込める宵の自室。夕飯の支度をしようと立ったキッチンで、フルーツグラノーラが乾燥に乾燥を重ねて己の生きる意味を観想していた。牛乳は、1滴もかかっていない。

当時、我が家ではフルグラを朝食にしていた。この日の朝は一緒に家を出なかったから彼女の出社前の様子は知らない。しかし、フルグラが12時間以上この状態で夢想を続けていたことだけは明らかだった。

何故お椀に出してそのままとなったのか。冷蔵庫から牛乳を取り出し、注ぐまでが一連の所作ではないのか。それともこの日だけは素材の味を楽しもうと思ったのか。楽しんでいないではないか。なんだというのか。

フルグラをよそった直後、一刻を争う事態が生じたのかもしれない。だから牛乳を注ぐのを忘れてしまったのかもしれない。あまつさえ、食べることまでも。大事件が起きたのだ。ヘアアイロンを付けっぱなしだったとか、今日は実はスーツで行かなきゃいけない日だと気付いたとか。

右側に見える食器拭き用のタオルは、普段ならキッチン上部のタオルリングにかかっているもの。無造作に捨てられた光景は、事件の証跡のようにも見える。対照的に浮かび上がるのは、リビングの明かりを受けて落ちたお椀の影と、昨夜洗った空っぽの弁当箱。まるで物憂げな静物画。

朝、彼女がキッチンへ戻ってくることはもうなかった。フルグラはひたすら願った。牛乳がほしい。牛乳をかけてほしいと。

しかし、この様子では牛乳をかけられただけで食べられずじまいだった可能性もある。それこそ絶望だった。ふやけてしまえば半日を耐えることなど到底できなかった。フルグラは生きたのだ。確かな生を。お椀の中で。




洗面所でプー氏が逆立ちしているのを見るのは、初めてだった。

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妻はぬいぐるみをたくさん持っている。実家には数えきれないほどのお友だちがいる。ここ一年以上、彼女は一人ひとりをお嫁に出している。メルカリという幸せの羽に乗せて。

古くてくすんでしまった子たちは、旅立ちの前にきれいにしてあげたいのだという。だから洗面所でたまにこんな光景に出逢う。でもどうしてプー氏が逆さだったのかは知らない。バッグが逆さになるのより知らない。ていうかそのちっちゃい紙コップの土台は何だ。状況は混迷を深める。

いつもの笑顔を絶やさず、重力に逆らうプー氏。表情に出ていない彼のやるせなさに想いを馳せねばならない。数奇で過酷な運命だ。洗面所で逆さ吊りにされるなんて。せめてまともにブレイクダンスでもさせてくれたらよかった。プーなんだよ。苦悶じゃなくて。熊の。

よく見ると紙コップの上でその姿勢を保つための支点は際どい。支点、力点、作用点。小学校の理科かな。哀愁誘う合言葉。でも今はもう大人。支店で生きてん左様ですか誰ですか。

I show 哀愁。哲学はいつも、暮らしの中に。





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