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上司の言葉が気づかせてくれた、私の夢がみつからない理由
私は長年、やりたいことや叶えたい夢が見つからないまま過ごしている。
何過不足なく十分幸せだと思う。だけど仕事も日常生活も、特別辛くはないが楽しくもない。
昔プランターに植えたラベンダーは、枯れもしないが成長もせず、結局花も咲かないままで、自分はこれに似ていると思った。ただ、生きている。
なんのために生きてるんだろう。そう思いながら過ごしていた。
私が働いていた会社ではルールもマニュアルも社員教育もろくになく、仕事は基本的に見て学ぶしかなかった。
やり方が統一されていないので、自分が正しいのかどうか分からない。ちゃんとできているのだろうか、という不安を抱えながら自分なりの考えでどうにか案件をこなす毎日だった。
あるとき私は、今まで自分が携わったことのない少々特殊な案件を受注した。社内でも請け負ったことがある人は少なかった。
私はこの手の案件を扱ったことがある、とある役員に助言を求めることにした。
ただでさえ忙しい上司だ。そして厳しい。「どうすればいいですか?」なんてぶっきらぼうな質問はできない。ちゃんと自分なりの考えも伝えなければ。
このように進めてはどうかと思っています。
社内ではここまで、その先は外注して・・・。
これなら可能かつ効率的ではないかと・・・。
時間とコストを考えると・・・。
私が諸々の説明をしていると、上司が一言。
「・・・で、あなたはどうしたいの?」
・・・ん?どういうことだ?
自分なりに考え、意見を述べたはずでは・・・?
よく理解できずに言葉に詰まりうろたえる私に、上司が言った。
「あってるかどうかじゃなくて、自分はどうしたいの?それがないと成長しないし、いつまでたっても仕事は楽しくならないよ。」
そう言われて、自席でしばらく考えていた。そしてふと思った、なんだかものすごく腑に落ちた。私が仕事や毎日を楽しいと思えない理由。
私がしたのはただの判断で、そこに私自身の意志がないのだ。
どうしたいのか、最終的にどうなっていてほしいのか。自分の理想の完成図を、自分で決めておかないといけなかったんだ。
私はそう解釈した。
私はいわゆる効率人間で、速く・正確に仕事をこなすのは得意なほうだと思っている。
そんな私の判断基準はいつだって、正しいか間違いか、今の自分にできるかどうか、効率的なのはどちらか・・・そんなのばかりだった。
個人的な思いが、仕事の判断基準や選択肢になることはなかった。
仕事だけじゃない。普段から、正しいか間違いかの主張はしても自分の希望を通すような主張はあまりしてこなかった。それは私なりの気づかいである場合もあったけれど、そもそも希望自体がないことも多かった。
私の毎日が楽しくないのは、自分が心から憧れる理想の未来をみつけること、そしてそれを「目的地=夢」に定めることをしてこなかったからだ。
やりたいことや夢は探すものではなく、自分で決めるものなのだ。
理想は、今の自分には届かない遥か遠くにある。たどりつくには間違いなく茨の道が待っていて、だからそれを自分の「夢」に定めるには覚悟がいる。
私にも夢があったのかもしれない。だけどきっと叶えられる自信がなくて、その夢を目指す覚悟と決意ができなかった。
現実を見ろという大人らしい考えを利用して、理想から逃げた。できそうなことばかりやって、どこかにたどりつくことを期待していた。
そのうちに自分の好きなことも、やりたいことも、夢がなんだったのかも分からなくなり、できる範疇のことしかやらない私の毎日はつまらないものになっていった。
ゴールを決めないまま行き方を考えても無意味。そう言ってしまえば当たり前だが、上司の言葉でそれが頭ではなく、ふっと胸の中に落ちてくるように、感覚的に理解できた。妙に納得した。
正しいこと・できることだけでできるあがるものは高が知れている。だからできあがったとしても、きっとそれほど満足感も達成感もない。
理想を持ち、できるか分からなくてもそれを目指す「決意」をするのは勇気がいるだろう。困難もたくさんあるだろう。
しかしそこへ少しずつでも近づいているという感覚は、楽しく嬉しいものに違いない。たどりつくことができたときには、その感動と達成感はひとしおだろう。
その感覚は、自分で自分の夢を定め、それを目指す決意をした人にしか味わえないのだ。
上司の言葉は、単に私が相談した一案件だけについてのことだったかもしれない。
でも今思えば仕事に限らず、何事においても私に意志がないことを見透かされていたのかもしれない、とも思う。
上司の意図を私が正確に理解できているかは分からない。だが私は長年の悩みの理由に気づけたので自分の解釈に満足しているし、気づかせてくれた上司には本当に感謝している。
これからの私は、誰になんと言われようと自分の理想を目指して、わがままに生きていくことにする。