「神の手」について
「神の手」は「生命」を表す日本語
わたしの意識に組み込まれているからなのかと一瞬考えたが、「神の手」と言う言葉が既に存在していることから、わたしの意識だけではないのだと結論した。
何の話かと言うと。
「神の手」は「生命」を表す日本語だということ。
なぜそんな話をしようと思ったかと言うと。
先日こんなことがあった。
【空間から人の手が現れた日】
空間から人間の腕と手が現れて、わたしの左腕を掴んでいた。
1日の内にそれが2度あった。
そしてその出来事の24時間以内に、我が家のメダカが立て続けに2匹死んだ。
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旧約聖書の【空間から現れた「神の手」が「生命」を取り去った記述】
旧約聖書の「ダニエルによる書」の5章に
「神の手」が現れる場面の記述がある。
簡単に要約するとこんな場面だ。
イスラエル人達はバビロンに捕囚されていた。
そして預言されていたバビロンからの解放の時が迫っていた。
その場面でのバビロンの王は「ベルシャザル」。
ベルシャザル王はその晩、イスラエル人たちの神殿から奪った神具である金の杯の数々を、宝物庫から運び出してくるように臣下たちに命じた。
その杯たちを用いて大宴会を開くために。
その行為は、イスラエル人の神を愚弄する行為だった。
と同時に、ベルシャザル王の天まで届く程に高ぶった誇りを露わにする行為だった。
なぜなら、バビロンの神々である偶像を崇拝するための大宴会だったからだ。
その時、空間から人の手が現れて、壁に文字を書き始めた。
ベルシャザル王はそれを見て腰を抜かし、震えた。
そこで夢を解き明かす者として知られていたイスラエル人のダニエルを呼び出し、その文字の意味を解き明かすように命令した。
ダニエルによる解き明かしはこうであった。
「書かれている文字は『メネ メネ テケル ル パルシン』。
意味はこうである。
『神はあなたの王国の時を数えた。
そして終わりである。
あなたは量られて不足していることが分かった。
あなたの王国はメディアとペルシャに与えられる。」
するとその夜、ベルシャザル王はメディア人のダリウス王に攻め込まれ、殺された。
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【思い浮かんだ日本語の「手」は「生命」を「繋ぐ」意味のものばかり】
この聖書の記述が知識としてわたしの頭に入っていたので
わたしに「空間から手が現れてわたしの左腕を掴み、その日のうちにメダカが死んだ」という現象が起きたのかと、一瞬疑った。
けれどよく考えてみたら、日本には昔から「神の手」という言葉が存在する。
難しい外科手術を何度も成功させる忙しい医師を呼ぶときに
「神の手を持つ」と表現する。
また他にも、日本語には「手当て」という「癒し」を意味する言葉も存在する。
つまり、「手」は「生命」と関連付けられている。
日本語として、そのような背景が存在している。
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【わたしに起きた現象の意味】
わたしに起きた現象の中で、わたしは左腕を掴んだ手をすっと払った。
メダカはわたしの身代わりになったのか?
それともこの話をわたしにさせるために起きた現象だったのか?
それは今のところ分からない。
ただ、「神の手」または「手」は「生命」と関連付けられている。
それを立証できるか試みてみたくなったから書いた。
この投稿を読まれた方が、それぞれの持つ知識や経験で論じてくれたりしたら興味深いだろうなと期待している。