【創作大賞2024オールカテゴリ部門】Cir掌編小説集
創作大賞2024オールカテゴリ部門に応募するために、昨年から今年にかけて書いた掌編小説をまとめました。SF、恋愛、ファンタジー、ブラックコメディ、ホラー、ヴァンパイア、歴史と、色んなジャンルが揃っています(「宇宙検問所」は最後を変えました!)。もし面白かったらスキやコメントや感想で応援をお願い致します!😊
彼女の選んだ未来
1.未来が見える人
アメリカ合衆国初の女性大統領になったアリサ・マックウェルは、幼い頃から未来が見えていた。
日本人の母とアメリカ人の父のもとに生まれ、ボストンで育ったアリサは、よくフリーズしたように立ち止まって、ブラウンの瞳でどこか遠くをじっと見つめる少女だった。
親も周りの人たちも、彼女がなぜそうするのか不思議だったが、アリサは自分の予知力について誰にも話さなかった。親に打ち明けようとしたことはあったが、話そうとした途端、知らない大人たちの施設に監禁される未来が浮かんだから止めた。
しかし未来が見えるといっても、大体は二年先、遠くて三年先までだった。未来が予め全部決まっているわけでもなかった。
彼女がある選択をして行動に移し始めると、それによって開かれる未来の様子が彼女の視覚の中で鮮明に浮かび上がり、それを止め、別の選択をすると、それまでの未来のイメージが薄まり、入れ替わるように、別の未来の様子が鮮明に浮かび上がるという感じであった。
それに、テストの問題文のような細かいことは見えず、浮かぶのは、もっと大まかなイメージだけ。だから、良い成績を取りたければ、他の人達と同じく、やはりちゃんと勉強しなければならない。
だがそれにも関わらず、アリサの予知力は、彼女を圧倒的に有利にした。
世の中、多大な努力が徒労に終わるのはよくあることだが、彼女は無駄な努力を回避し、最良の結果につながる選択ができたからである。
例えば、ある勉強法を試し始めたら、受験で落ちる映像が目の前に浮かんだ。そこで別の勉強法を試すと、受かる様子が浮かび上がる。だから彼女は自分にとって最良の勉強法を前々から選ぶことができた。人付き合いに関しても同じで、彼女は自分にプラスになる人、悪い結果をもたらす人を事前に見分けられた。
そのおかげで、アリサはとんとん拍子に成功の階段を上ることになる。
まず名門大学に入っては、トップのロースクールに進学し、弁護士になると、社会的弱者を救済する人権派弁護士として巨大企業を相手に何度も勝訴し、世間を賑わせた。庶民の味方というイメージで知名度を上げていくと、三十五歳で政治の道へ転身、選挙で圧勝し、下院議員となる。そこで、同じく下院議員だったチャールズと意気投合し、結婚。二人の息子をもうけ、子育てをしながらも精力的に仕事をこなす。そして州知事選に立候補し、また当選。州知事として数年間手腕を発揮したのち、ついに大統領選挙で党の候補者として指名を受けるに至った。
2.最後の選択
アリサは選挙で勝利した。初の女性、かつ、東洋人ハーフの米大統領誕生に、世界中が沸いた。
だが、喜びも束の間。
ホワイトハウスに入ったアリサは、突然見え始めた三年後の未来に驚愕した。
軍事的に対立しているあの国との争いが、両国の過激派のせいで徐々にエスカレートし、全世界を巻き込んだ核戦争に至る未来が見えたのだった。人類の約九割が死亡する未来だった。
アリサはどうにかそれを回避しようと、前政権から引き継いだ対外政策を方向転換したり、利権を譲歩したり、自国の過激派を抑え込んだりと、あらゆることを試した。しかし、何をやっても、やはり人類の九割が消える未来しか見えない。
手立てがないまま時間が過ぎ、敵国との関係はみるみるうちに悪化していった。
そしてついに状況は、取り返しのつかない直前の段階まで来ていた。
明日になればもう、手遅れになる。
絶望したアリサは、はじめて大統領を辞任することを考えた。今まで頑張ってきたけど、自分が辞めれば、事態が収まるのではないか、という考えが頭をよぎった。
その時だった。
鮮明に見えていた絶望的な未来が、それはまだ必ず起きるといえる鮮明さではあったが、ほんの少しだけ薄くなったのに彼女は気づいた。
もしかしたら、私がいなくなれば、戦争を回避できるんじゃないだろうか?
アリサはそう思いつき、大統領執務室に駆け込んで、デスクに隠してある拳銃を取り出し、弾薬を装填して、銃口を額に当ててみた。
戦争の起きない未来が見えた。
自分が突然命を絶った後、政府と国民は大パニックに陥るが、そのためアメリカは対外戦争を起こせる態勢ではなくなる。敵国の方も、その状況を見て対策を立て直すうちに冷静になっていく様子が見て取れた。
彼女は瞬時に、自分の運命と選ぶべき道を理解した。
・・・私は自分の望み通りに未来を変えて来たけど、もしかしたらそれは、避けがたい戦争を回避させるために神様が私に授けた能力なのかもしれない。私じゃなかったら、こういう選択をする大統領なんていないだろうから・・・
目からポロっと、涙がこぼれた。
そして二人の息子、夫、両親、友人たち、仕事仲間たちの顔が思い浮かんだ。世界中の子供たちの笑顔も思い浮かんだ。
皆を守らなくちゃ。人々の幸せを、未来を守らなくちゃ。そのためなら、私が犠牲になるしかない。リーダーなんだから。
彼女は、溢れ出る涙を片手で拭いた。
皆、ごめんね、理由の説明も残せなくて。もう時間がないの。
きっと無責任な大統領だったと歴史に残るね。
でもみんな愛してる。すごく愛してる・・・
アリサはそう呟くと、震える手を必死に抑えながら、銃の角度を定めた。
そして深く息を吸うと、最後の力を振り絞り、引き金を引いた。
宇宙検問所
地球の軌道上に浮かぶ宇宙ステーションに、長旅を終えた宇宙船がドッキングした。そして大小の様々な形状をしたエイリアンたちが続々と検問所に入ってくる。
チーフ検問官のジャックは、かけた暗いサングラスの裏で目を光らせながらその様子を黙々と監視していた。
そして行列の中、ある一体のエイリアンがソワソワしているのに気がついた。クジラのような大きな瞳と銀色の皮膚を持つヴスタ星人だ。目が大きいから、目が泳いでいるのがはっきりと分かる。
いよいよそのエイリアンの番になった。大きな輪の形をした検知器の中をゆっくりと通る。何の音も鳴らない。
だがジャックは長年の経験から、この星人が何かを隠しているように思えてならなかった。特にあの目は、あっちこっちを見回しているのに、自分の左腕の方だけは見ないようにしている。
ジャックが近寄り、通訳機を介して声をかけた。
「左腕を前に出してください」
ヴスタ星人がビクッとする。「え、なぜ?」
「前に出せない理由でもあるのですか?」
「いや・・・」
「じゃあ、どうぞ」
ヴスタ星人が恐る恐る腕を出した。
ジャックはすかさず隣のロボットに命令し、その腕を掴ませた。
「何をするんだ!」ヴスタ星人が叫ぶ。
「あなたの種族の皮膚は検知器の電波を跳ね返す性質があります。しかしその腕の中に何かを隠し持っている可能性があるため、これから腕を切断します」
「なんだと?」ヴスタ星人は驚愕した表情で、左腕以外の体をくねらせながら叫んだ。「それは知的生命体基本権利の侵害だ!」
「いいえ。惑星間の取締法で、ヴスタ星人の頭以外の切断は許されています。ではいきますよ」
ジャックはそう言い放つと、取り出したレーザーカッターで肘と手首の間を躊躇なく切り落とした。
「ギャー」という叫び声と同時に、切断された腕の断面から緑色の血がドバっと噴き出る。そして、白い粉の入ったビニール袋がこぼれ落ちた。
ジャックはそれを拾いながらニヤッとした。「これは何ですか?」
「痛い、痛い、痛い!」
ヴスタ星人はそう連呼し、答えようとしない。
「これ、成分調査して」と、ジャックは他の検問官に袋を渡し、ロボットにはヴスタ星人を別室へ連れて行くように命令した。
叫びながら連行されていく様子を眺めていると、ヴスタ星人の切断されたところから銀色の新たな腕が生えてくるのが見えた。
袋を腕に入れる時も同じように切っただろうに、そんな騒ぐなって・・・
ジャックはそう思いながら、行列に視線を移した。後ろの方にいる、鳥顔のバクスト星人二体がイライラした感じで首を小刻みに動かしている。
うむ、ヴスタ星人はただの運び屋で、あれが黒幕の監視役ってところかな。取調室で訊問してみるか。やれやれ、今日も仕事が長くなりそうだ・・・ でも我々の星を守るためには手を抜けない・・・
ジャックはサングラスを外しながら、もう一年も帰えれていない窓の外の地球を三つの赤目で見上げた。
魔法使いの弟子
数多くのモンスターを倒してきた魔法使いミラベーユの弟子になって、はや二年。
なのに今の自分に出来ることといったら、小指の大きさの炎がポッと出て、三秒後には消えてしまう程度の魔法。これじゃ、モンスターになんのダメージも与えられない。十二名いる弟子の中で俺が一番下手くそだ。
「俺、才能ないみたいです。役に立たなくてごめんなさい」
師匠に弱音を吐いてしまった。
「見てやるから、もう一度やってごらん」師匠が言った。
「はい」
杖を回しながら呪文を唱える。
小っちゃい炎が現れた。
そこに師匠がいつの間にか取り出していたタバコを大急ぎであて、深く吸った。タバコに火がつき、炎の方は消えた。
「役に立ったじゃないか」師匠が煙を吐きながら言った。「ちょうど吸いたいところだったんだ」
「でもこれじゃモンスターは・・・」
「モンスターは倒せないな。でも才能がなかったら、そもそも炎は出ないさ。出たら、次は大きくすればいい。それは努力でできるよ」
そう言うと師匠は「あ、ここ喫煙禁止だったな。今度また火貸してくれ」と苦笑いして、外へ出ていった。
ふと気づいた。
あれ、師匠タバコやめてたんじゃなかったっけ。俺が呪文を唱えている間に魔法でタバコを出したのかな。すみません、こんな俺のために・・・
まだ努力が足りなかったのかもしれない。
もっとがんばります、と心の中で誓った。
おしっこが黒い
朝起きて、トイレに入り、欠伸をしながらしょんべんをする。
尿が真っ黒だ。
うん? 黒?
え・・・黒??
どういうこと?
黒って・・・マズイだろ!
何かの病気か?
近藤は、青ざめた顔で近所の泌尿器科クリニックへ駆け込んだ。
採尿をお願いしますと紙コップを渡される。
やっぱり黒いのが出た。
コップの中身を見て、看護師がびっくりする。
診察室に通される。
「血液が尿に混入して時間が経つと黒っぽくなることがあります」医者はそう言いながら首を傾げた。「でも、それにしてもちょっと黒過ぎますね」
近藤も思った。確かに、黒すぎる。イカ墨みたいだ・・・
「早急に尿検査に回しましょう」
「はい」
四十分後、検査の結果を言い渡される。
「血は混ざっていませんでした」医者が言った。
「え? じゃあ、何なのですか?」近藤が焦って訊く。
「わかりません。他は異常なしです」
医者は、大学病院の精密な医療機器を使えば何か分かるかもしれないと、紹介状を書いてくれた。
大急ぎで大学病院へ駆け付ける。
そこの看護師と医者もびっくりした表情。
精密機器で検査してみると、やはり血は混ざっていないらしい。だが、ミネラル豊富なのが分かった。
「もしかして紙コップの尿にこっそり海苔のスムージーを入れていないですか?」と医者が怪しむ。
「そんなことするわけないでしょ!」近藤は怒った。
「なら、私たちの目の前で尿の採取をお願いできますか?」
「え?」
「世界でも症例のないことですから、ちゃんと取り組むために、はっきりしておきたいのです。実はあなたのイタズラだったと判明したら、真に受けて取り組んだ私たちが大恥をかきますし」
「あ・・・わかりました・・・」
近藤は、男性医師と女性看護師の前で恥ずかしそうに下着を下ろし、紙コップにあそこを当てた。だが、まじまじと見られていては、緊張してなかなか出ない。
一分ぐらい踏ん張って、ようやくちょろちょろと出た。やはり黒い。
医者と看護師が目を丸くして「おー」と声を上げた。
何が「おー」だよ、見世物じゃないんだから・・・ 近藤はそう思いながら、次の診療予約をした。
翌日、診察室に入ると、白衣を着た男女で溢れかえっていた。二十人ほどいる。
担当医が他の医者にも見てもらいたくて呼んだらしい。自分じゃ原因が分からないから、他の医者の協力が必要だと言う。あと、はじめて見る医者たちは、やっぱり信じられないので、直で見たいらしい。
原因を解明するためなら仕方ない、と近藤は、医者たちが自分の股間を囲んで凝視する中、下着を下ろし、おしっこをした。変態放尿プレイかよ!と思いながら。
医者たちはなんだかウキウキした様子でサンプルを分け合い、持ち帰っていった。
翌日、その誰かがリークしたのだろう。新聞で自分のことがニュースになっていた。
そして近藤は突然、とても忙しくなった。
全国の泌尿器の専門医たちが、自分たちもサンプルが欲しいと、しきりに問い合わせてきたのだ。噂は海外にまで広まり、全世界の専門医たちからも問い合わせが殺到した。
近藤は、原因と治療法の発見に役立つならと、担当医のいる大学病院に出向いて採尿をし、そこから問い合わせ先へ尿を送ってもらった。
ところがそれを何回か繰り返すうちに、近藤はなんだか腹が立ってきた。
自分たちはタダで欲しいものを手に入れ、俺は何ももらわないのに毎回時間かけて大学病院まで行って採尿するのおかしくないか? 治してもらわないと困るなら分かるけど、別に健康だし・・・
近藤はそう思い至ると、もうタダではやらないと言って、紙コップ半分の量を一万円で販売すると宣言した。
担当医ははじめ困った顔をしたが、担当医の病院に仲介料を10%払うと言ったら、笑顔で引き受けてくれた。
最初は売れるか心配だったが、近藤のおしっこは今までに症例がないので研究価値が高いと思われたらしく、その後、国内300弱、全世界5000弱の医療機関から予約が入った。
医療機関あたり紙コップ数個分は注文するので、売上総額は先行予約だけで2億円にのぼった。予約が今後も続くとなると・・・
電卓を叩いていた近藤は、頭をクラクラさせながら思った。
他の人にないものがあるってカネになるなぁ・・・この症状、絶対に治らないで!
それ以来、近藤は黒いおしっこを量産するために、吐き気を我慢しながら毎日大量の水を飲み続けている。
バスでナンパ
バスに乗ったジョイは、座席に腰を下ろしながら背負っていたリュックを膝の上に置こうと手首と腕を動かした。
ところが狭い所でやったもんだから腕に肩ベルトが絡まり、それを変な角度でほどこうとしたら、手の甲が前の座席の人の後頭部に当たってしまった。
前の人が険しい顔で振り返りながら「なんなの?」という目をしてきた。
おっ、しかめっ面だけど、なかなか綺麗な女性。
「ごめんなさい。リュックを動かしていたら手が当たっちゃいました」
彼女は、あきれた表情に切り替わり、無言のまま顔を前に戻した。
ジョイは思った。
タイプの女性だ。ブロンドに、澄んだエメラルドの瞳。
ついでに話しかけてみようかな。ここでナンパしなかったら、プレイボーイを自任している俺らしくないってもんよ。
「あの、ちょっと尋ねたいんですが」と声をかけた。
彼女がまた不審そうな顔で半分だけ振り返る。
「このバスはよく乗るんですか?」
彼女が面倒くさそうに返事する。「いいえ、あまり。車を修理してて」
なるほど。頭をフル回転させ、次の言葉を探した。
よし、これでいこう。
「だからか。僕はよく乗るんですが、こんなに綺麗な女性がよく乗っていたら、気づかないはずがないんでね」と言って、笑って見せた。
彼女はこっちを一瞥し、愛想笑いをして、また前を向いた。
おいおい、一言もなしかよ。嫌がっているのか、それとも恥ずかしいのか。
もっと話しかけてみる。
「俺、ジョイ。あなたに一目惚れしちゃったんですが、よかったら今度お茶でもしませんか」
彼女は少し間を置くと、また振り返り、硬い表情で答えた。
「ありがとう。でも私はそういうことしないの」
そして顔を前に戻した。
ふーん、そういうことしない、ね。いやいや、俺がタイプじゃないだけでしょ。でもまあ実際、ガード堅そうだし、やめとこう。
それから五分後ぐらいに彼女はバスから降りた。
窓越しに見えたその顔は、不快な経験をしたといった表情ではなく、むしろ少し緩んでいるように見えた。
友達とか恋人に会ったら「バスで誘ってくる変な人がいたの」ってな感じで、きっと笑い話にするのだろう。または、俺がイイ男だったという方向に脚色して自慢話にするかもしれないし。
まあ、手を頭にぶつけたのは申し訳なかったから、話のネタが俺からのプレゼントってことで。
再び動き出したバスの中、ジョイは気持ちを切り替え、いま会いに行っている別の女性のことを考え始めていた。
なんのために
今朝、師匠のアデル・フィッガーが死んだ。海辺で、朝陽を浴びて、灰になった。
日が昇っている間は拾いにいけないので、こうして夜中に、風に飛ばされた灰を集めている。暗いし、砂と混ざっていて、拾いにくい。
話し声が近づいてきた。チラッと見たら、通りすがりの若いカップルと目が合う。一人で何してんだろうって顔をしている。
かぶりつきたくなるから早くあっち行け、と思いながら背を向ける。
もう何日も血を飲んでいない。他には誰も見当たらないから襲うことはできる。だが、しない。
それは、師匠の教えに反するから。
出会ってから今までの十年間、徹底的に叩き込まれた教え。それを無駄にはしない。
思い返せば、こんな身体になった直後から、師匠の教えは始まっていた。
そう、それは、あの夜のこと。
ヤケ酒を飲んでふらついていたら、路地裏で二人の男に噛みつかれ、意識が遠のく中、彼が現れて二人に殴りかかるのが見えた。
目が覚めると、知らない薄暗い部屋。そばに彼がいた。
もう血を欲する身体になっていた私に、容器の中の鮮血を飲ませた後、彼は丁寧に状況を説明してくれた。
私を噛んだのはヴァンパイアだったこと、犯罪歴のない人間は襲わないのがこの界隈のルールだが、ルールを守らないああいう不良みたいなのもいること、私は噛まれたからもうヴァンパイアになっていること、人間が水分を取らないといけないように我々は血を飲まないと喉が渇き、身体が衰えること、ヴァンパイアは通常、警察より先に捕まえた指名手配中の犯罪者たちを監禁して、その連中から注射器で採血したものを定期的に飲んでいること、人工の光は大丈夫だが太陽光を浴びると細胞が発火して、瞬く間に焼け死んでしまうこと。
その後も彼は、私を連れてヴァンパイアの運営する関連施設を回りながら、生きていくための基礎知識を教えてくれた。一見似ている人間と自分たちの見分け方、指名手配中の犯罪者の捜査の仕方、人目に触れずに捕まえるための注意事項など。そして自分自身やこの世界のことも。
気が付けば、自然と私は、彼のことを師匠と呼ぶようになっていた。あらゆる面であまりにも優れていたからだ。
それもそのはず、フィッガーが三十七歳でヴァンパイアになったのは二百年以上前のプロイセン王国でのこと。二百年以上も生きてりゃ、十三ヵ国語を流暢に話せ、多方面に詳しく、状況判断と対処が機敏で的確なのも無理はない。ナポレオン戦争も、普墺戦争も、普仏戦争も経験し、第一次世界大戦とロシア革命の後は、戦争と内戦ばかりのヨーロッパにうんざりして渡米、それからの百年も色々と波乱万丈だったらしいが、なんとか乗り越え、生き長らえてきた。それが今朝、こののどかなカリフォルニアのビーチで、あっけなく死を迎えたのだ。
それも全部、あんな小娘にこだわったせいだ。
出会いは三ヵ月前、私たちが犯罪者捜索を終え、海沿いの隠れ家に帰る途中、日の出まであとニ十分もない時だった。
あの小娘が波打ち際で倒れていた。周りに誰もいない。
溺れたわけではなく、意識はあったが、けいれんを起こしていて一人で動ける状態ではなかった。波の届かないところまで彼女を引きずり、匿名で救急車を呼んで、私たちはすぐ近くの隠れ家に戻った。
それから数日後、夜明け前、あの小娘はまたそこにいた。
向こうは師匠の顔を覚えていて、走って声をかけてきた。
話を聞くと、発作を起こしていたらしい。脳腫瘍があり、自分にとって最後になるかもしれないサーフィン大会に出場したくて、それにバイトもあるので、朝早くから練習をしていたという。
自分の話を終えると、こっちはこんなに早く何をしているのかと聞いてきた。真夜中にやる道路工事を終えてここに寄ったのだと答えると、女は一瞬いぶかしげな顔をしたが、詮索してはこなかった。
それからというもの、どういう風の吹き回しか、師匠は突然妙なことをしだした。
帰宅時に私を先に帰らせ、自分は彼女のサーフィン練習に付き合うようになったのだ。ほぼ毎日。
隠れ家の窓から海辺を見ると、師匠は砂浜の上で立ったり座ったりして、彼女を見守っていた。そして大抵、日の出の五分前に帰ってきた。
わけを聞くと、また発作を起こすか心配だから、と言う。
彼女は何て言っているのかと聞くと、心配してくれてありがとうと言っているらしい。
もしかして恋をしているのかと聞くと、そういうわけではないけど、最初の妻に似てはいる、という返事だった。
そして出会いから三ヵ月経った今日。
彼はいつも通り、日の出の五分前に帰宅した。
ところが、少し経った時、外から「誰か助けて!」という声がした。
ブラインド越しに見ると、砂浜で杖をついた老婆が指を差して叫んでいる。海の方に目をやると、小娘がうつぶせのまま浮いていた。
「ちくしょう!」と、目を泳がせながら叫んだ師匠は、ものすごい勢いでドアを開けて出ていってしまった。
引き止める隙もなかった。追いかけてもいけなかった。今出たら焼かれてしまうという恐怖に、身がすくんでしまった。
外はもう、日が昇り始めていた。
西海岸の見える窓は、東から昇る太陽と逆方向だから光が直接入るわけではないが、海に反射した間接光をブラインド越しに浴びるだけでも身体が燃えるように熱くなる。直接浴びてしまったら、もう・・・
熱さに耐えながら、ブラインドの外を眺めると、砂浜を走る師匠の姿が見えた。
すでに身体から煙が出ていた。細胞が発火したのは明らかだった。一度そうなると、水で冷やそうとしても止まらない。核融合みたいに全てを焼き尽すまで熱くなっていく。
走りがどんどん遅くなり、彼は足を引きずりながら海に入っていった。
そして小娘を引っ張って海から上がってきた時、彼の顔と腕の一部はすでに欠けていた。
彼はよろめきながら、最後の力を振り絞るように大きな叫び声を上げ、女の上半身を砂浜に乗せた。
そして崩れ落ちるようにひざまずき、太陽を眩しそうに眺めながら、瞬く間に灰と化し、風と共に吹き飛んでいった。
それで・・・
終わりだった。
ほんの一、二分の間に起きた、二百年以上に渡って生きてきた生命の、あっけない最後。
部屋の中で私は泣き崩れた。
師匠に助けられた数々の場面を浮かべながら、泣き続けた。
そして外に出た今も、こうして涙ぐんでいる。
助けたところで、どうせあの女も病気で先が長くないのに、なぜ・・・という考えが何度も頭をよぎった。数多くの女を経験してきたから、今さら純愛というわけでもないだろうに・・・
何度振り返っても、師匠がなぜそこまでしたのか、分からない。いつも冷静で、的確な判断をしてきた彼がどうして・・・
その時、はっと人間の匂いに気づいた。
灰を拾っていた手を止め、振り向くと、月明かりの下、涙目の小娘が立っていた。
私の仕えるお方
デスクに向かって仕事に集中していると、ドアがバーン!と開く音がした。
やばい、あの方だ。。。
視線を向けると、案の定、彼が立っていた。
スタスタとこっちに迫ってきて、至近距離で立ち止まると、手に持っていたジャケットを私に投げつける。
僕は何か言い返そうとしたが、彼は待たずに身を翻し、無言のまま出ていった。
出かけるから早く支度しろ、のサインだ。
仕方なく、素早くジャケットを羽織り、外へ出た。
で、いつも通り、運転は僕の担当。
彼は、リクライニングさせたシートに偉そうな感じで座り、何も言わずに人差し指だけで、あっち行け、こっち行けと僕に指示を出す。
くそー、人を顎で使いやがって・・・
お昼時、お腹が空いてきて、食堂に寄る。
僕の好みなんて論外、味にうるさい彼のお口に合うお店だ。
大食いである彼は、運ばれてきた肉と揚げ物とパスタをペロッと平らげた。
僕の方は、セルフサービスのお冷を運んだり、彼の顔色を窺ったりして、色々と気を遣うから、そんなには食べられない。
で、レジに行くと、自分の方がもっと食べたくせに、支払いを全部私にさせ、彼は我関せずとよそ見・・・
この先もこんな出費がずっと続くのだろうか・・・とため息をつきながら店を出る。
そのように全くもって自分勝手な彼だが、どうも世渡りが上手で、外づらはいい。
今みたいに人の多いところでは、終始笑顔で周囲に好印象。
おーい、みんな騙されてるぞー!裏ではむちゃくちゃやってんだからー!と、僕は心の中で叫ぶ。
しかも彼は、なぜか女性たちにモテモテで、微笑みかけられたりする。
あんな綺麗な女性に通りすがりに微笑みかけられるだなんて・・・僕の人生ではそんなの一度もなかったのに・・・
そう思いながら顔を覗くと、可愛がられてご満悦の、ベビーカーに乗った我が息子。
確かに、かわいいけど!
想い
1
最近、永島蒼汰は、同じクラスの安藤くるみのことが気になって仕方がなかった。お互いいつも他の友達といるからあまり声を掛けられないけど、よく目が合う気がするし、すれ違う時も軽く挨拶するようになった。校庭で他の男子と話す彼女を遠くから眺めていると、何だか胸が苦しくなってきさえする。
これって恋かな、と蒼汰は自問した。うん、おそらく、そうかもしれない。もうすぐ卒業だから、その前に告白しようかな・・・
そんなことを思いながら、彼は夕方ですら蒸し暑い真夏の湿気の中を歩き続けた。
帰宅した時にはもう、汗びっしょりだった。母の帰宅は夜十時過ぎだし、お風呂の時間まで待てない、と彼は思い、シャワーを浴びることにした。
まずは冷蔵庫から水を取り出して飲む。冷蔵庫のドアに、自分が幼い頃に描いた母の似顔絵が貼ってある。
母はいつも不在だった。でも、感謝している。あんなロクでもない父からの養育費なんてゼロだから、夜遅くまで働かないと家計はすぐ火だるまになってしまう。離婚することになったと告げられた小三から高三の今まで、母はずっと夜遅くまで働いてきた。
正直、幼い頃、寂しくなかったと言えば嘘になる。家に誰もいなかったし、母は帰宅してもクタクタで次の日も朝早いから、すぐ眠りについてしまった。会話なんてほとんどなかった。
でもそれが仕方のないことなのは、子供ながらに分かっていた。自分のために母は頑張っているのだから、我慢するしかない。だから暇つぶしによくテレビを観ていたし、それにも飽きると、よく壮大な空想をしながら過ごしていた。
蒼汰は制服を脱ぎ、浴室に入った。シャワーを浴びていると、安藤さんの顔が自然と浮かんだ。気が付けば、いつも彼女のことを思い浮かべている。今まで少ししか会話したことがないのに、遠くから見るあの笑顔に惚れてしまったようだ。
彼女は俺のことをどう思っているのかな。ただのクラスメイト? それとも少し気になる存在? ひょっとして好意を抱いている?
髪を洗いながら、自分が彼女のことを想っているように、彼女も自分のことを想ってくれているといいな、と彼は考えた。
2
永島蒼汰が自分にそんな想いを寄せて過ごしているのを想像しながら、安藤くるみはシャワーを浴びていた。
蒼汰くんとはあまり話したことないけど、正直、気になる存在だった。他の能天気そうな男子らと違って、どこか影があって、一匹狼みたいな雰囲気があった。
人づてに聞いた話だと、彼は小学生の頃からシングルマザーの家庭で、母の帰りがいつも遅いみたいだった。どこか影があるように感じるのは、そのせいかもしれない。
自分と同じだ、とくるみは思った。作り笑顔でいつも武装しているけど、自分もシングルファザーの家庭で、父は出張を理由にして家に帰らない日も多く、ずっと寂しい思いをしてきた。
だから同じような経験をした人の気持ちが痛いほどよく分かる。蒼汰君もきっと寂しい子供時代を過ごしたに違いない。彼も私と同じように、心の穴を色んな空想で埋め合わせていたはず。だから私なら、彼のことを分かってあげられる。ずっと話し相手になって、彼の孤独を癒してあげられる・・・
彼女はそんなことを思いながら、身体と髪を洗い流した。
そして浴室から出て、タオルを手に取った。
3
安藤さんがそんな風に自分に想いを寄せて過ごしているのを想像しながら、永島蒼汰はタオルで髪を拭いた。
でも、ふと我に返り、苦笑いした。
安藤さんがシングルファザーの家庭なのは人づてに聞いているけど、だからといって自分にそこまで親近感をもって想いを寄せてくれているだなんて、我ながら妄想が激しすぎだろ、と自嘲した。
妄想している間は、目の前の景色が一変し、誰が本当の自分なのか分からなくなるぐらい相手になりきってしまう。架空の人物が見えることすらある。孤独の中で空想しているうちに身についてしまった能力だが、自分でも怖い。気をつけなきゃ・・・
苦笑いをしながら、蒼汰は拭き終えたタオルを洗面台に置き、鏡を覗いた。
あれ?
安藤さんがいる。
ある日のナポレオン・ボナパルト
今から綴ることは紛れもない史実である。だが、目撃者もいなければ、ナポレオン本人が他人に語ったわけでも、日記に残したわけでもない。
その日、皇帝ナポレオンは大理石の螺旋階段を何度も昇り降りしていた。グルグルと巻かれた階段を延々と回っていた。
皇帝はグルグルと考えを巡らせていた。事態は重く、問題は山積みだった。もし次の戦いでも負けるようなことになれば、自分は、いや、自分はもちろんのこと妻も親族も部下たちも全てを失うだろう。ルイ16世とマリー・アントワネットのギロチン行きも他人事ではない。
肩の滑らかなビロードを撫でながら彼は考えた。皇帝であるうちは、何でも手に入る。上質なシルクだって、深緑色の大きなエメラルドだって、香りが欲しければ中東のアーモンドの花だって。こんな金銀で装飾された建物だって、何十棟も所有できる。だが戦いに負ければ頭蓋骨だ。埋葬もなしに、焼かれて、蹴られて、粉々になって終わりだ。
ナポレオンは、自分がスウェーデン人やロシア人に生まれていたらどのような人生を送ったであろうか、とほんの一瞬考えたことがあった。北の人間たちは図体が大きいから、おそらく背はもっと高かったかもしれない。だが皇帝にはなれなかっただろう。フランスで革命が起きたからこそ、以前の王朝が引き摺り下ろされ、自分にチャンスが回ってきたのだ。
そう言えば、と彼は思い出した。昨日は不思議な夢を見たのだった。自分は小さな島で質素な暮らしをしていた。失意のうちに最後の時を迎えると、さらに未来へと場面が変わり、歴史書のページが風にめくられた。覗いてみると、皇帝の地位に就くことで自分はそれまでの革命の理念を反故にし、フランスを革命前の時代に逆戻りさせたと書いてある。冗談じゃない、と彼は夢の中で叫んだ。国民投票を経て自分は皇帝になったのだ。同意なしに国民の富を搾ったブルボン家の絶対王朝とはわけが違う。
だが目が覚めてから振り返ってみると、心に引っかかる夢ではあった。たかが夢だが、もしかしたら心の迷いが表われているのかもしれない。
彼は夢だけでなく、今までの人生も振り返った。自分は正しい道を歩んでいるのだろうか。この前の遠征では数えきれない兵士を失った。それも戦闘だけでなく、飢えと寒さで。親をなくして孤児になった子もたくさんいるだろう。自分に対する民衆の支持もひどく下がったことだろう。果たしてどれだけの兵を集められるだろうか。今まさにこの瞬間も、敵の包囲網がどんどん狭まってきている。私は外敵からフランスを守ってきたはずだが、結局のところ、勝てば英雄、負けたら国賊扱いになるのが世の常。
だからこのまま武器を下ろすわけにはいかないのだ。もう、後戻りはできない。独裁者だと陰口を言われようが、負け犬と揶揄されようが、自分の正義を貫くしかない。わが妻も子も、フランスも、私が守る。夢なんかが未来を決めるものか。未来は予め決まっているものではない。未来は作っていくもの、勝ち取るものなのだ!
皇帝ナポレオンは螺旋階段から窓の外を睨みつけた。遠くで轟く大砲の音。境界線のない澄んだ青空を小鳥たちが飛んでいた。
<完>