桜島漬け ー鹿児島・熊本旅2日目①ー
旅の2日目は、浅い眠りから5時過ぎに目が覚めた。ホテルの展望露天風呂から桜島と日の出を見たいと思っていたので、都合よしと布団から起き出した。
調べてみるとその日の鹿児島の日の出は6時50分。普段生活している愛知県と比べると20分遅く、ゆっくり準備して展望露天風呂へと向かった。
桜島と朝陽
1日目は、しっかりと桜島を見ることができないまま終わってしまったけれど、今日こそは桜島をこの目で捉えられると息まいて露天風呂へ向かう。露天に出てみると太陽はまだ姿を現しておらず、薄明の中に桜島のシルエットが浮かび上がっていた。
眼鏡なしで見えにくい中、それでもなんとか桜島の姿を目に焼き付けようとしばらくぼーっと眺めていた。
風呂から部屋に戻ると夫がいなかった。チェックアウト前にホテル近くの散策に一緒に行こうと話していたのに、日の出が進むのが心配だからと一人で行ってしまったのだ。
ムッとしたけれど、私はメイク等で夫より準備に時間がかかる。行きたい気持ちを我慢して準備をしていたら夫から大量の写真が送り付けられてきた。
今思うと私は何故、せめてロビー前に出て行かなかったのかと思う。夫のこの写真を見て満足してしまったのだけれど、実際には目にしていないのが悔やまれる。
私たちが出かけるころには日の出という雰囲気ではなくなっていたが、それでも十分に美しかった。
このように、この記事では見飽きるほどの桜島の写真が続くことをお断りしておこう。
ついに桜島に上陸
桜島は厳密には島ではないので上陸というのはおかしいかもしれない。桜島はもともとは島であったが、1914年の噴火により大隅半島と陸続きとなり、今では船に乗らずに行くこともできる。
ここまで来て桜島に行かない手はないということで、桜島フェリー乗り場へと急いだ。レンタカーも一緒に桜島へ。
乗船時間は約15分。4階建ての船内を散策する。桜島フェリーの船内にはやぶ金といううどんやさんがあることで有名だ。帰りに食べようと思った。
席を探していたら、先頭付近にソファなどのある居心地の良さそうなスペースを発見。1つの席は火山の妖精「マグニョン」に陣取られていた。ゆるさが割と好きだ。
デッキに出てもっと景色を見ても良かったかなと今では思うけれど、この席も良い席だった。
居眠りをする間もなく、フェリーは桜島に到着。火山灰を心配してマスクを持参したが、着いた時点では特に違和感を感じなかったので使わなかった。
車をフェリーから降ろし、フェリー乗り場から時計回りに島をまわることにした。
昭和溶岩地帯展望台 バイク旅の男性
小さな木製の展望台のようなところから、木々越しに御岳が見えた。
桜島という名前は山のことも指すようだが、桜島にいる状態で「桜島を見る」と表現することに多少の居心地の悪さを感じるので、ここでは御岳とする。御岳とは桜島の大部分を構成し、南北に並ぶ北岳、中岳、南岳などの総称とのこと。
そこから少し歩いたところに人がいるのが見えたので、そちらに歩いて行ってみると視界が開けた。
山肌がはっきりと見える。あまりにもリアリティがある。
夫と記念写真を撮りあっていると、遠くから、若い男性が「2人で写しましょうかー?」と声をかけてくださった。「ありがとうございますー!」とたくさん写真を撮っていただいた。その方はバイクで日本一周旅行をされているとのこと。好青年だった。
黒神埋没鳥居
1914年(桜島が大隅半島とつながったとき)の桜島大爆発で、火山灰や軽石に埋まってしまった鳥居。自然のおそろしさを感じずにはいられない。
それと同時に、鳥居のすぐ左側にあるのはアコウという木なのだけれど、どう見てもあたたかい地域でしか見られない形態をしていたので、さすが、ここは鹿児島なのだなぁと思ったりした。
有村溶岩展望所 ヘルメット
有村溶岩展望所につくと、風向きなのか喉が少し痛いような咳がでるような感覚がありマスクをした。
ここの展望台には真ん中に東屋があり、ベンチの下に衣装ケースに入った大量のヘルメットと手ぬぐいがあった。そういう衣装ケースが少なくとも2つはあった。
私たちが展望台についたときにそのヘルメットを被って記念撮影をしているグループがいたので、記念撮影をするためのものなのかと一瞬思ったがそんなはずはない。桜島が噴火した時のためのものなのだと思う。
桜島が噴火する予兆がないかは常に観測されていて、基本的には噴火予知ができるはずだ、地震とは違って。だからといって想定外のことがないとは言えない。ヘルメットがベンチの下に置いてあるというのは妙にリアリティがあり、考えさせられるものだった。
桜島物産館展望台 桜島大根
Uターンのためにお邪魔した駐車場で、すてきなものを見つけてしまった。桜島大根のモニュメントである。
御岳の山肌もくっきり。
(桜島で桜島大根の飴を買ったことを思い出した。)
湯之平展望所
少しだけ山を登り、湯之平展望所へとやってきた。広めの駐車場と展望塔があり賑わっていた。
展望塔の中に顔出しパネルもあった。顔出しパネルの写真を蒐集しているのでもちろん撮影した。後ろに御岳。
まだ見ていないところはあるが、十分に桜島を満喫した。名残惜しい気持ちでフェリーに乗り込んだ。
お昼ご飯時でもあったので、行きのフェリーで心に決めたやぶ金のうどんを食べることにした。レンタカーを乗せたら一目散にやぶ金へ。
やぶ金のうどん 女子中学生とのひととき
すでに列ができていた。店主の男性が一人ですべてやりくりしていると見られ、注文を受けてからうどんをあたためて具をのせて提供してくれた。当然のことだが、フェリーの乗船時間が約15分だからといって高速でうどんがでてくるわけではない。余談だが、店主の方はとても感じが良く好感が持てた。
ごぼ天うどんはおそらく福岡の名物だと思うのだが、ここも福岡と同じ九州だしとごぼ天うどんを頂いた。
私がうどんを持ってうろうろしていると、ジャージを着た女子中学生が、ここどうぞというジェスチャーで微笑みかけてくれたので、ありがたく相席させてもらった。
私が一人で座ってキョロキョロしていると、「誰かとご一緒ですか?」と話しかけてくれた。「夫と来てるんだよー」と、私の年齢なら年下の方にはフランクに話すべきだよなという意識がはたらいて、ため口で返事をした(勇気がいった)。
そのあとうどんを焦って食べながらも、少しだけ会話のラリーを続けた。
そのフェリーにはたくさんの中学生と思しき生徒さんたちが青いジャージを着て乗っていたが、それは彼女曰く、桜島で持久走大会があったからだそう。生徒さんたちは桜島以外の鹿児島市の中学生たちとのこと。
なるほど、リュックを抱えて寝ている生徒さんが数名いた。
うどんはあつあつで、車の出し入れにより厳密には15分も時間がない中、かなり急いで食べたつもりだが、浮遊するごぼ天を残さず食べることはできなかった。
相席をすすめてくれた女の子に、「持久走おつかれさま!席、ありがとう!」と伝えて、車をとめてある1階に急いだ。
仙厳園
薩摩藩主島津家の別邸である仙厳園へと向かった。仙厳園ではちょうど菊祭りが開催中で、園内はたくさんの菊で彩られていた。
この菊人形の顔、篤姫は篤姫本人というよりどう考えても宮崎あおいだ。それから類推するに、島津斉彬は大河ドラマ篤姫で島津斉彬を演じた高橋秀樹をモデルとしていると思われる。
少し休憩しようと思い、両棒屋でぢゃんぼ餅(両棒餅)を頂いた。焼きたてのお餅にみたらしのようなたれがかかっていて、やわらかくて少し大きい、すごく美味しいみたらし団子という感じ。本当に美味しかった。
菊祭りの期間中限定ということで菊花茶を選んだ。味はほぼカモミールティ。菊の花びらが浮かんだカモミールティだ。カモミールはキク科だから、納得。
調べてみると菊花茶というのは中国の方のお茶のようで、カモミールティに似ているそう。そういうものなのね。
お庭を進むと桜島の展望所、手前には隠れて日豊本線の線路がある。鉄道と桜島を一緒に見ることができたら、素晴らしい光景だろう。
島津家の家紋である丸に十字紋が随所にある。菊の花でいつもより華やかに。
島津家の別邸、あるいは本邸、迎賓館としても使用された御殿の中も見学することができる。島津斉彬直筆の襖絵の複製画も見ることができた。絵の腕は確かだったようだ。
薩摩藩最後の藩主である島津忠義は、ハイカラ好きな人だったようで、ここで暮らした期間があるようだ。
さりょくま(白くま)
天文館で食べられなかった白くまを食べる機会をずっとうかがっていた私だが、ついに仙厳園茶寮で白くまと邂逅した。
正確な名前は「さりょくま」(茶寮の白くま)だそう。今、調べるまで、仙厳園の白くまだから「せにゃくま」だと勘違いしていた。検索しても全然出てこないのは当たり前だ。。
注文する前に他の方が食べているのを目にすることができたので、夫と二人で分けることにした。予想以上に大きいのだ。
中にはサラサラの柔らかい氷、表面には練乳で味付けされた氷、その上に凍ったフルーツやドライフルーツ、小さな黒糖わらび餅のようなものが飾られている。練乳で味付けされた氷は中にもあり、他にも少しフルーツが隠れていた。
とても美味しかった一方、知覚過敏との戦いでもあった。
帰り際に、菊がきれいなフォトスポットで写真を撮った。御殿の中に、同じような女乗物が展示されていた。
次回 霧島方面へ
あまりにも記事が長くなりすぎたので、このあたりで終わろう。人との交流も楽しい1日だった。
次回は霧島神宮、えびの高原、熊本城観光などについて書ければと思う。
それでは、またの~。