常識と呼ばれるものに対して「え、なんで?」と疑問に思う癖をつけておく
先日銀座で開催した、矢島里佳ちゃん、龍崎翔子ちゃんとのトークイベント「文化を育むビジネス」。
行動力があって、優しくて、バランス感覚の優れた二人とのトークイベントはとても楽しくて。私もいち参加者として、とっても勉強になりました。言葉一つひとつをごくごくと飲んでいるようだった…。
社会的に求められていて、ニーズに応えるだけではなく、あたらしい価値を想像していて、そこに文化が生まれていく。私は起業家ではないけれども、本当に彼女らの価値観には共感するところ、尊敬するところばかり。
同じ時代に仕事ができて幸せだな、と思うのです。
最後に質問が出た「そもそも、なぜ起業したのか?」という問いに対しては、二人とも、それぞれの生活の中で、他の人が当たり前だと思ってスルーしているようなことに「どうしてだろう?」という疑問が湧いてきたから、というのが根元にあって。
森羅万象に疑問を抱くことについて、とても大切なことなので、ちょっと書いておきたいな、と思った。(この記事はイベントレポートではありませんので、あしからず……!)
成長するのは「素直な人」?それとも……
成長する人は「素直な人」というのはよく言われることだと思うけど、実は「素直」なだけだと、育てる人が悪ければ、悪い方向に染まってしまうこともある。
だから素直であることに加えて、「でも、どうして?」と問い続けることが重要なんだなぁ、と思います。
「これが常識だから」「これが決まりだから」「こういう習慣だから」と、与えられたルーティーンを素直にそのまま吸収してしまうと、そのうち「どうして?」という疑問を抱きにくくなる。世に言う「大企業病」というものでしょうか。素直で、真面目な人ほど、染まってしまいやすい。
「どうして?」という疑問を抱き続けるためには、ある程度、自分の時間を自分で支配することが必要になります。
自分の時間をなにに使うべきなのか、という判断を毎日、毎秒繰り返して、神経を研ぎ澄ませる、ということ。
たとえば、
「12時から、1時間休憩してくださいね」
このルールを「当たり前」だと思ってすんなり受け入れるか、
「いや、30分を2回の方が作業効率が良いのでは?」
「そもそも11時50分スタートのほうが、ランチタイムの混雑に巻き込まれずに良いのではないか?」
だなんて、すんなり受け入れずにあれこれ考えてみるか。
後者は社会的には「めっちゃめんどくさい人」になりがちですが、起業家やイノベーターという人たちは、そういう「当たり前を疑う」ことをしているなぁ、と思うのです。
メディアにおいても、同じことかなぁ、と。
メディアの「正攻法」は今、どこにあるのか?
今、あらゆる人たちが「ネット時代の、メディアの正攻法」を暗中模索しているところだと思います。
インターネット、SNSによって、マスメディアの特権は決壊しつつあり、これまでの「正解」にしがみつくほどに、読者数が先細りしてしまったり、商業的に衰退してしまったりして、継続が不可能になったりもする。
だから「正解」とされていることも「ルール」も、「でも、どうして?」と疑ってみることが必要だと思っています。
たとえば、
新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。