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言語化しなきゃ勝負できない世界と、それが嫌いな私の悩み


向いてない仕事は、しんどい。

「適地適作」をスローガンに掲げて生きているので、向いていない仕事には突っ込んでいかないようにしていたのだけれど、どうしたことか今現在、明らかに不向きな案件に手を出して途方に暮れている。


とある文芸誌でそこそこ長めの論考を寄稿する……というものなのだけれども、これがまぁ信じられないほどに下手くそで、1ヶ月半前から書いているのにまだ終わらない。書いては消し、書いては消し、いろんな方面に取材をしながらなんとか血眼で形にしてみたけれど、友人に見せたら「すごく頑張って書いたと思うんだけど……らしくないね」の一言。

論考。傍から見たら普段からやっていることに近いかもしれないのだけれど、いつものアレは、ごく個人的な大事件にたまたま遭遇したとき、感情が天高く爆発し、上から降ってきた飛散物が消えてしまわないうちに書き留めているだけであるので、論と呼ぶには少々エキセントリックかつ、パーソナルかつ、エモーショナルが過ぎるのだ。ただ、そうした感情の爆発がなければ、私の文章は味のしないガムのようにつまらなくなる。


けれども、ささやかな反抗心がこうした仕事に向かわせている面もある。商業圏にコンテンツを出して生きていると、どうしたってどこかの枠に自分の作品を格納され、私はそれが気に食わない。

私のような者が格納されるのは、「日常の楽しいこと美しいことを綺麗な言葉で書いて、がんばる女性のちょっとした癒やしとして存在する共感系エッセイスト」枠である。そこには小難しい話も恨み節も必要とされず、油断すれば個性のようなものが削ぎ落とされ、インスタ映えする砂糖菓子のように加工されていく。やめてくれ!私はわたしだ! と叫んでいると、こんどは批評や論考の世界が開けてくる。けれども、そっちはそっちで男社会だ。刀をPCに持ち替えた男たちが闘ってきた討論大会に丸腰で参加し、場違いを噛み締めているのが今である。


でもそこで、白旗あげてとっとと逃げてしまって良いものか。

文化にまつわる論を読んでいると、「この時代にこの様式を支持した多くは女性で、ゆえに高尚なものとは言い難い」といった文章が出てきたりして割とムカつく。そこで「己の中の女性性が遠吠えしてしまう!」とツイートしたところ、仏教などを専門とする研究者の亀山隆彦さんにも共感いただけてしまった。小さな不快感は、どうやら大きな社会の問題と繋がっているらしい。

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