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「子ども、作らないの?」という問いへの長めの答え

「14個採卵しましたが、凍結に至った数は0です」


その言葉を聞いて、目頭がじわりと温かくなるのを感じた。ゼロ。つまり、あの引き裂かれるような痛みも、日々の忍耐も、次に進む成果には繋がらなかったらしい。ゼロの内訳についての説明は淡々と終わり、その先のお会計で42,820円と表示されたのでそれを支払い、「今月のトータルで高額療養費制度を使えるかな……」と思いながら病院を出た。

今年の夏は嘘みたいに暑い。先週ここに来たときは、採卵後の激痛で歩くこともままならずタクシーで帰ったけれど、この日は出来る限り日陰を探して駅まで歩いた。池袋の繁華街は、夏休みの家族連れで溢れている。「この子たち、ここまで細胞分裂繰り返したなんてすごいな」と考えながらぼんやり歩く。前回は車内で痛む身体を労りつつ、大きな痛みに耐えた自分への誇らしさと、「14個も採卵出来た!」という高揚感があったのだけど。

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ここ1年弱、ずっと「すみません、体調が悪くて……」「執筆が追いつかず……」と騙し騙し書いていたけれど、その原因の多くは不妊治療にあった。不調を伝える私に「病院に行きました?」と言ってくださる方もいたけれど、むしろ通院しているからこそ不調であったために、なんともしようがない、というのが正直なところだった。

20代の頃から子宮内膜症、子宮筋腫などがあり、「私は子どもを持つことは叶わないのかもしれないな」とうっすら思っていた。もちろんそうした持病は特別珍しいものでもない。それらを持ちながらも妊娠している人は沢山いるし、若けりゃ若いほどその可能性が上がることも知っていた。ただ20代半ばの私は駆け出しのWebライターで、流れの速いインターネットの世界から離脱することなんて微塵も考えられなかった。

20代後半で結婚した頃には、ずっと子宮内膜症の治療で低用量ピルを服用していたから、妊活を始めるにはまずその服用を止めなきゃいけなかった。ただその頃は、不安定な経済状況や慣れない米国での生活環境下で、新しい命を迎え入れる覚悟を持てなかったために、私はピルを服用し続けていた。


その後離婚し、帰国。職歴と呼べるようなものもそれなりに積み上がり、30代半ばには落ち着いて仕事ができる程度の余裕は出てきた。そして昨年から新たなパートナーとの暮らしが始まり、将来の、つまり子どもの話をすることが増えた。それは「子どもが欲しいねぇ」というほのぼのとしたものではなく、「私と子どもを持つことを考えてくれているならば、すぐ妊娠できるとは限らないし、高額なお金がかかるかもしれないし、時間的余裕もなくて……」という切羽詰まった自己申告的なものから始まったのだけれど。


ただ、2022年4月から不妊治療が保険適用になっていった、というのは私たちにとって大きな吉報だった。これまで自費で高度不妊治療をしていた友人たちからは「トータルで500万以上使ったよ」「採卵だけで100万円、でもそれが全部ダメになって……」というような話を聞いていたので、それに取り組むにはあまりにも経済的なハードルが高かった。

が、そこが3割負担になるのであれば、欲が出る。望み薄だった子どもを持つことが途端に現実味を帯びてきて、何度もパートナーと話し合い、上限回数を決めて挑戦することにした。ただ、出産することを唯一無二のゴールにしてしまうと心が持って行かれかねないから、もし結果が伴わなくても「でも、挑戦したからね」と言えるようにしよう、と話し合った。


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しかし、不妊治療というのは情報戦である……と、しばらくその界隈をうろうろしてから痛感しているのがいま現在だ。

私は長年、子宮内膜症や子宮筋腫の診察と低用量ピル処方のために婦人科に通っていたので、子どもを望むタイミングでかかりつけ医に相談すれば適切なアドバイスをしてもらえるだろう、と気楽に考えていた。

けれども婦人科にはさまざまな種類があり、一般的な外来を受け付けているところと、高度不妊治療に特化しているところでは、設備や診療内容、そして持っている情報がまるで違う(産院を併設しているところ、総合病院の中にあるところでもまた違う)。

私は一般的なレディースクリニックのかかりつけ医に、まずは服薬での治療、そして自然な妊娠を推奨されていた。数ヶ月に渡る服薬期間は汗が止まらず、少し動いただけで目眩がした。髪の毛は水分を失いバサバサになり、ホルモンバランスの乱れは気持ちを落ち込ませ、真冬だというのに身体が熱く寝苦しい夜が続く。「でも、これも未来に繋がる治療の一貫……」と苦しい3ヶ月をなんとか耐え、いよいよ主治医からも「では、妊活に移りましょう!」と言ってもらえた。しかし、しばらく経っても自然な妊娠は起こらない。

ネットでいろいろと調べてみたところ、他の医院ではやっている不妊検査が、私のかかりつけ医院では実施されていないことを知り、セカンドオピニオンを求めて別のクリニックに行ってみることにした。

そこで人生屈指の痛みを伴う卵管通水検査を経て、左右共に卵管閉塞なのではないか、と言われたのである。

ちなみに卵管閉塞があると痛みを伴うことが多いらしく、その中でも私はかなり痛みを感じやすい体質のようだった。 さらに卵管通水検査だけでは不明瞭であるからとと、1年半後別のクリニックで卵管造影検査をしたところ全く痛みはなく、明瞭な検査結果が得られた。(2024年8月1日追記)

卵管閉塞という文字通り、卵子と精子の落ち合うはずの場所が通行止めになっている。つまり、どれだけ基礎体温を真面目に測り、排卵検査薬を使ってタイミングを見計らったとて、妊娠する可能性は限りなくゼロに近かった。

 副作用でバサバサに傷んだ髪を無意識的に触りながら、「私はこれまでの間、一体何を……」と呆然としつつ、残された可能性について先生に相談した。

両方の卵管が詰まっている場合は、次のステップであるタイミング法ではなく、その次に待っている人工授精でもなく、最終段階の体外受精に直行するしかないと言われた。ざっくり言えば、膣から採卵針を刺して卵胞液とともに卵子を吸引し、取り出した卵子と精子を受精させ、それを子宮に戻す高度不妊治療である。しかし、その医院でも体外受精まではやっていないとのこと。「クリニックごとに個性が違いますから、ご自身で調べてみてください」と、宛名のない紹介状を渡された。

(余談。ずっと女性側が痛みを伴う検査を繰り返して数年間成果が出なかったのに、男性側の精子を検査したらすぐ原因が発覚した……という話はあるあるなので、精液検査も最初からやるべしですよね)

 人気どころの高度不妊治療クリニックは、半年先まで予約が埋まっていた。ただ、前回の医院で渡された「年々、特に35歳からは受胎能力が下がってきます!」という資料が気持ちを焦らせる。貴重な、数に限りある卵子が毎月流れていく中で、ここから更に半年待つ……というのは避けたい。


そこでまずは、比較的人気ながらも予約が取りやすかった高度不妊治療クリニックに行ってみた。ただ、高級ホテルのようにゴージャスな待合室で真っ先に渡された資料の中には、科学的だとは思えない言葉がチラホラ……。そして高額なサプリを宣伝するチラシの多いこと。夫に相談し「ここはちょっと、やめておこう」と再検討し、評判はそこそこながらも怪しさはない近くのクリニックに決めたのだった。

 説明を受け、何枚もの承諾書にサインをし、なによりも先に精液検査、そして風疹などの検査を済ませていく。そしていざ採卵周期が始まってからは、まるでベルトコンベアの上に乗ったように感じた。基本的には一度の周期で一つしか排卵されない卵子。でも今回は、毎晩の自己注射などで卵巣を刺激し、複数個の卵子を育てていく。「次はこの薬を飲んで」「次はこの日に来て」と促されるがまま、与えられたタスクをこなしていった。

「自分に注射を打つなんて!」と恐れていた自己注射は、すぐに慣れた(私が使っていたのはゴナールエフ皮下注ペン®という針の細いペンタイプのものでそこまで痛くなかった)。病院での採血も、まぁ慣れた。しかし何よりも大変なのがスケジュール調整。「次は3日後に来てくださいね!」と容赦なく通院予定が組まれていくので、仕事との両立はなかなか難しい上に、平日であれかなり待つ。待合室でパソコンを広げて仕事をしている女性は少なくなかった。

また、卵を育てている間は出来るだけお腹を締め付けないように、走らないように……と言われていたので、採卵まで大切に、身体のコンディションを整えていった。次第に下腹部が腫れていき、座るとズキンと痛みが走った。

 そうして迎えた採卵当日。SNSでは「チクッとする程度」と書いていた人が多数だったので、そこまで気負わず手術着に着替え、順番を待った。手術台の上に乗り、手足が拘束され、「わぁ、まな板の上の私……」とか思っている瞬間に激痛が走り、叫んだ。

エコーの先につけられた針が膨らんだ卵胞を刺す度に、股からは血がどくどく流れ、額からは脂汗が吹き出していく。看護師さんが何度も脈や酸素濃度を測っている。私は痛い、痛いです‼と伝えるが、「痛くてもやめる訳にはいかないからね〜」と先生は採卵を続ける。どうやら私は卵巣過剰刺激症候群というものになっていたらしく(それで座るとズキンと痛かったのだ)、特に右の卵巣に耐え難い激痛が走り続けた。

その医院でもらった冊子には、「保険適用の場合は局所麻酔で採卵」と書いてあった。しかし、その局所麻酔とやらが効いている感覚は微塵もない。刺される度に悶絶し、終了後は看護師さんに担架で運ばれ、その後数時間簡易的なベッドで休ませてもらった。

 けれども採卵を担当したおじいちゃん先生が、「頑張ったぶん、たくさん採れたよ!」と言ってくれて、安堵した。採れた卵子は14個、あぁよくやった……! と気持ちが軽くなったのが先週の話だ。

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 状態の良い卵子が複数採れて、無事受精卵になり、それをいくつか胚凍結できるのであれば、移植のチャンスも増えてくる。いや、うまくいけば第二子のぶんも残せるかもしれないし、その場合、はやめに卒乳しなきゃいけないよな……だなんて未来の心配をしていたけれど、それはひとまず杞憂に終わった。14個採れた卵子は全滅。

成果に結びつく痛みと、成果に結びつかない痛みでは、それに対する感情がまるで違ってくる。報告を担当してくれた培養士の方に原因を問うても、「私が担当した訳ではありませんので……」という返事。しかし今回は全てふりかけ法、つまり卵子に精子をふりかける自然に近い形で受精を試みていたので、自力で受精するだけの力がなかったのかもしれない。

ただ次の手として、培養士が顕微鏡を使って受精させる顕微授精がある。「次は顕微授精に進みましょうか。またアプリから予約を取ってくださいね」という言葉に生返事をしつつ、帰宅後次回予約を取らなきゃな……とスマホを手にしたけれど、あの痛みをまた経験すると思うとどうしても尻込みしてしまった。

気持ちをどこかに吐き出したかったこともあり、Instagramの鍵付きアカウントで、今の状況を投稿してみた。するとたちまち、「この病院は、保険適用で静脈麻酔してくれたで!」「ここは採卵の針が細くて痛みがマシだよ」「東京都の不妊検査の助成制度使った?」と、友人たちから情報が送られてくる。えっ、あの子も、この子も? みんな不妊治療中してたん⁉ と、かなり多くの同志がいることに驚いた。

でも、ほとんどの人がそんなことを微塵も感じさせずに、普通に仕事をしたり、生活をしながら、水面下でそれを粛々と遂行していたのだ。

 こうした話を、表に出さない理由はいくらでもある。単純に夫婦の問題だから……というのもあるし、互いの家族に気を使わせてしまう、もしくは嫌味を言われてしまう、というのもあるだろう。「不妊治療中であることを伝えてしまうと、仕事が減ってしまうから伝えられない」という声もある。しかし生活が通院中心になってしまうので、仕事を辞めざるを得ない、もしくは不妊治療を諦めざるを得ないという人もいるのが現状だ。

 不妊治療にせよ、自然な妊活にせよ、「近い将来子どもを持つかもしれない」と宣言している女の前に、「それでも構いません!」と差し出される好機が、現状どれほどあるのだろうか。20代の頃の自分はその正義を疑うこともなかった女性の社会進出という文字列。その7文字を実現することの本当の難しさについて身をもって知っている最中、まもなく私は35歳になる。

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 もちろんこの文章を書いている今も、こんな話を公開していいのだろうか? という葛藤はかなりある。

まず、こうした治療に税金を使わせてもらうことに対して、さまざまな意見があることは知っている。そして現代医療に頼った高度不妊治療という行為自体に抵抗感を抱く人もいる。さらには、「だから女性は若いほうがいい」という意見も、もちろんある。「女性が社会進出してしまった結果こうなった」と、今の社会構造を批判する声もあるし、「そこまでして子どもを持ちたいのはエゴ」という意見だってある。今の私は、そうした全ての意見に反論する元気は持ち合わせていないし、中には反論することすら難しい意見もあるのだけれど……。

それに加えて、私のジェンダーロールに対する価値観が、不妊治療を始めてから大きく揺らいでいる現状がある。私は基本的に「デートでは男性に奢って欲しい」とか、「自分より所得が高くあって欲しい」という感覚をほぼ持ち合わせておらず、かつては「私が稼ぐから、あなたは好きなことに没頭して才能を磨いてくれ!」と思っていた程である。

ただ、ここまで身体を傷つけて痛みを負い、通院に時間を割きながら、大黒柱として金を稼ぎ続ける……というのは難易度が高い。その一方で、夫はこの期間中もしっかり働き、出張にも行き、仕事の成果を上げている。そうした彼の姿を寝室から眺めつつ「私が倒れていても、稼いでいてくれる人がおるんやな……」と、頼もしく思うのだ。いや、羨ましさがないと言えば嘘にはなるけど。ただうちの家計はダブルインカムを前提にやり繰りしているので、完全に稼ぎ手が1人となると、そもそもの家族計画を見直す必要は出てきてしまう。

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 幸い私の仕事は散文書きで、体調が悪くても、手の中のスマホでなんとか文章を綴れないこともない。ただ一般的に、働く女性が不妊治療に通うことの難易度の高さは想像に難くない。産休や育休のような制度もまだ整っていない上に、それが何年かかるかもわからないのだし。それでも治療によって金はどんどん減っていくばかりなのだから、稼がなきゃならない。結婚祝いや出産祝いのような御祝儀が発生する場面でもない。若年層の所得が減り、税金や物価が上がっていく中で、「稼ぎ頭1人を支えながら家族みんなで生きていく」という従来の家族観は、まるでお伽噺のように感じてしまう。


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 と、ひたすらに憂鬱風味な文章になってしまったのだけれど、気持ちは常に前を向いている。こうした話になると「若い頃にこうしておけば……」というたらればが増えてしまいがちだけれど、それでも若い頃に無茶な働きをしていなければ、独立していなければ、アメリカに行っていなければ、今の仕事は得られなかった。強いて言えば、中学生の頃からピルを飲んで生理を抑えておけば、子宮内膜症も今ほど酷くならなかったかも……ということは少し悔やまれるけれど。まぁでもそれは、今更無理な話だ。

 ただ、これからの選択にはできる限り後悔を減らしたい。そのために、情報は大いに役に立つ。私の書いていることはひとつのレビュー程度ではあるのだけれど、とはいえひとつのレビューに気付かされることだってあるかもしれない。もっとも、私のように大きな痛みを感じることなく、一度目で着床に成功したという友人も複数いる。これから治療を検討している方には、これはあくまでも痛みが重かった個人の体験記である、ということはお伝えしておきたい。


 こうした不妊治療にまつわる体験記は、自分が晴れて妊娠、出産できた暁に書くことにしようかな、と思っていた。しかし、そのゴールが訪れるかはわからない。終わりが来るかもわからない治療を続けつつ、他のエッセイを書いて発信するキャパシティがなく、時期尚早かもしれないけど、抱えきれずに書いてしまった。

 でも、十数年後。この文章が印刷された本を家の本棚から見つけて、「オカン、こんなことしてたんか」と思いながら読んでいる子がいるかもしれない……ということを想像すると、あまり後ろ向きなことばかり綴るのも考えものだ。いや、それは存在しない未来かもしれないけれど。この先がどんな未来であれ受け入れる心を持ちつつ、ケセラセラで生きていきたいものですね 。



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あ、もし。仮に、この文章を読んで仕事依頼を控えよう……というご配慮をしてくださる方がいらっしゃったとすれば、それはお待ちください。一旦ご相談いただければ嬉しいです。長年お断りしていた類の執筆以外の仕事も、再開しようかなと思いつつ。お金、稼ぎたいんです。物入りですので!


contact@milieu.ink


追記。この記事や一連のSNS投稿を見て、沢山の方が東京のおすすめクリニック情報を送ってくださいました。私1人が活用するだけではもったいない程の情報量でしたので、個人情報は非公開の上で、端的な情報のみスプレッドシートにまとめています。そちらをご覧になりたいという方は、こちらのフォームからお申し込みください。

妊活の金銭的負担を下げられそうなリンク集(追記予定)
▼高額医療費制度を利用される皆様へ(厚生労働省)
▼不妊検査など助成事業の概要(東京都福祉局)
▼COOP共済(採卵時、移植時などの保証があるそうです)


あと、不安な中でも妊活ビジネスに金も心も持っていかれないように気をつけましょうね……!


不妊治療、続編はこちら。その後、転院して痛みなく静脈麻酔で採卵し、無事凍結までは辿り着きました。


日頃はこちらで文章を書いてます。



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塩谷舞(mai shiotani)
新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。