買い物と暮らしにまつわる、私の10の考え
この週末、"最近、何を買いましたか? ―自分らしいものの選び方、暮らしのつくり方" というお題目のイベントに出ることになった。小売やメーカーの代表の方々が集まるようなエキスポ内のトーク枠で、私はべつにその道の人間じゃないので少々恐れ多いなとも思ったけれど、「消費者目線で話してくださいね」ということなのでホイホイ登壇させていただくことにした。
消費者というのは、つまりシロウト側である。シロウトっていうのはなかなかに気楽なもので、内側の事情のことを慮らずに、あれが好き、これが嫌、と言いたい放題でもある。その気楽さを振りかざしながら買い物にまつわる話をしたいのだけれど、その準備運動として頭の中を一旦文章にしておきたいな、と(ここに書いた内容と、喋る内容ではまた違うことになるとは思いますが)。
考えていることからTips的なところまで、ざざーっといきます!
1.何を買うか、よりも何を買わないか
29歳くらいまで、私はなかなかのお買い物中毒者だった。「何か必要なものがあったはずだ」とドラッグストアやファッションビルの店内を彷徨い、「きっと役立つはず!」「これで可愛くなれるはず!」と色めきだって買ってみるも、使ってみたら(着てみたら)期待したほどの効果は得られず、そのまま部屋を散らかす原因を増やす。それでもまた飽き足らず、「何か必要なものがあったはずだ」と店内を彷徨う……。
これは生まれてから23歳までずっと、家、家、家……しかない住宅街に住んでいたことも少し関係するのかもしれない。家のまわりには自販機ひとつとないのだから、綺麗な商品がずらりと並んでいる空間が珍しいのよ。
「街まで出たんだから、なんか買って帰らなければ……」
と、謎の使命感に燃えてしまう。「せっかく梅田まで来たんやから……」「せっかく河原町まで……」「せっかく表参道まで……」と、「街に出て手ぶらで帰ることは負け」のような気持ちを抱いていた。だって、買ったものって「戦利品」って呼ばれるし。
ただ、過剰に物を買わせるために欲望やコンプレックスを作り出すマーケテンング手法を知り、そして海外移住時に荷物をほぼ全て手放し、さらには過剰生産による環境負荷を知り……という転機がいくつかあって、今は考え方がひっくり返って「何も買わない=判断力があって立派なこと」という認識に落ち着いた。だから都会に出て手ぶらで帰るときも、「これだけ欲望を刺激してくる空間の中で、冷静に判断できている自分、えらい……」という謎の自己肯定感に包まれる。
もっとも、消費者は多くの場合、まっさらな空間のインテリアのコーディネートをする訳じゃない。かつて「お洒落な物を買うとお洒落な空間が出来る」と思っていた私だけれど、それは現状を直視していない人間の寝言であって、物欲にまみれている人はまず、ドバドバと物が入ってくる蛇口の栓をしっかり閉めてやる必要があるのだ。
2.「消費」じゃないエンタメを増やす
私にとって過剰な物欲が爆発していたのは、心に穴が空いているとき。自分の凹んだところを埋めてやろうと何かを買い、瞬間的には高揚感に包まれるけれど、本質的にはなにも埋まらないから、また物を買い続けてしまう。
そういうときって「消費」以外のエンタメが少ない状況なのだよな、と思う。
一方で、私は何かを夢中に生産しているとき、かなり心が健やかになる。絵を描く、雑誌を作る、動画を編集する、etc…。作ることは、私の心に良いのだ。
だから、物として何かが足りない……というときにもまずは買うのではなく、「それ、作られへんか?」と思うようにしている。
たとえば下の写真の中では、テーブル横の黒い棚はDIY、テーブルクロスもシーツを切って縫って作り変えたもの。いや、大したものじゃあないですけれど……。
このテレビ台も自作。とはいえ、ブロックの上に黒く塗った板を乗せただけですが……
でも回転テーブルを仕込んでいるので、回って便利。細長い我が家に最適化されており、本当に便利。
既製品の中で探していると、表面のツヤはいらないな、とか、ここはあと3センチ欲しいな……とか、何かと過不足が出てくるけれど、ぴたりとハマるものを作れるとすごく嬉しい。
ただ作るにはそれなりに時間がかかる。その最中に、作るのにかかる時間を時給換算して「作るよりも買ったほうがコスパよくね?」と思うかもしれない。
でも、コスパは一旦置いておきたい。哲学者の谷川さんが本の中で引用されてて知ったのだけど、美学者の伊藤亜紗さんがこんなことを語っておられる。
私は家のことをしているとき、「あぁ、私はこの空間を支配しているんだなぁ…」みたいな喜びを感じることがままある。これはつまり、自分だけの新しいルールを作ることであり、大人にとっての遊びなのだろうな、と。
もちろん、一緒に暮らす家族との兼ね合いもあるだろうけど。それでも、部屋の一角であれ、たった壁一面であれ、自分の色を作り表現していく、というのは楽しいものだと思うのだ。
3.家の中に街並みを作る
小学6年生のとき、修学旅行で訪れた倉敷美観地区で「ここに住みたい……」とうっとりとした。家族で訪れた城崎温泉でも、さらには旅先のコペンハーゲンでも似たような感情を抱いた。つまり私は、洋の東西を問わず統一感のある古い街並みが好きらしい。
ただ、統一感のある街並みというのは、裏を返せば、規制や排除の結果でもある。だから街中に新たな統一感を求めるのはなかなか難儀なことだとは思うのだけれど、家の中であればやりたい放題だ。
……ということで、台所はシルバー、黒、木、ガラスの素材のいずれかであればOK、という景観保護法によって秩序が作られている。それ以外は規制対象なので見えないとこに。
食器棚も、目立つ上の二段は黒やガラスの食器を。
(規制にひっかかったものたちは、冷蔵庫横の棚の中に収納されてます)
寝室にはやさしい色の本を並べて、やさしい景観を作る。
ブックスタンドはreset.tokyo のもの。
階段のところは、インダストリアルな雰囲気に負けない強い印象の表紙を。こちらはブックスタンドの代わりに石を使ってる。
4.出しとくものは飾るもの
先の話と地続きだけれど、「どうしても出しておかなきゃいけないもの」は、なんぼでも眺めていたいものがいい。花粉の時期には手放せないティッシュケースは、つちや織物所さんのものを。
洗面所も、使用頻度の高い歯磨き粉は出しっぱなしにしておきたい。Twitterでおすすめを聞いてMARVISのものに変えたんだけど、使用感もなかなか良い。
導入化粧水、化粧水、美容液、乳液……と並びまくっている景色も好きじゃあなかったので、今はSENN1本に。
SENN1本でスキンケアが済むので場所をとらないし、置いていて気分がいい。(使ってみてください、といただいたのだけど、減らす美容、という思想も使い心地も気に入っていて今3本目)
5.同じものを何個も揃える
収納は、揃っていると気持ちがいい。なので、「ファイル買いたいな…」「瓶を買いたいな…」というときは、思い切ってまとめて買う。
書斎に並ぶ、buroのファイルケースと無印のトタンボックス。ただこれ、しばらく運用した結果どこに何が入ってるのかわからず不便だったので、今は表側に概要を書いてます(笑)。
調味料はメイソンジャーに。アメリカだと安かったので大量買いしたものたち。
炭水化物系はブリキボックスに。
ちなみにこうした収納アイテムを探すときは、本来の用途で検索しないほうがうまくいく。パンを収納したいからと「ブレッドケース」と検索したらそれ専用のものが出てはくるけど……うーん、というものが多い。パンが入ればなんでもいいのよ。
薬瓶もずらり。
ただ、ここに薬を入れると用法用量がわからなくなってしまうので、日常的に飲むサプリだけを入れてる。
ハンガーラックにかけるものもシルバーで統一。
……と、かなり強めの統一欲があるのだけれど、全部を整えたいという訳ではなく、背景になるものは整えておきたいのです。
6.主役になるものは(手が出せる範囲で)高い方を買う
景観の要となるようなものは、できるだけ安っぽくない、嘘っぽくないものを選ぶようにしている。たとえば絨毯。
これはアフガニスタン製の手織りのもの。機械で作られたものや、化学繊維のものに比べると少しだけ値段が張るけれど、これを敷いたときの「あぁ、良い!」という高揚感を思えば、お値段以上。
ピエーヌ・ジャンヌレの椅子は、アメリカで暮らしていた頃に買ったリプロダクト製品。
アンティークの本物となるとちょっと手が出ないお値段だけど、アメリカで売ってるリプロダクトは品質も高くて手の出せる範囲。(それを個人輸入するのは輸送費で高くなってしまうけど……)
デスクチェアは、日本で買ったイームズ、ソフトパッドチェアのリプロダクト。
これのリプロダクトには1万円台、3万円台、5万円台……と松竹梅あるのだけど、レビューを穴が空くほど見て、4.6万円のものに。結果、安っぽくない品質で満足。
ちなみに、ハーマンミラー製のものは50万くらいするので諦めました……。
ドレッサーの鏡は柳宗理のもの(メルカリで中古を買いました)。
7.持ち物を循環させる
先の鏡を買ったのもメルカリだけど、
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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。