36歳はお姉さんか、おばさんか。
36歳になった。なんかこう、いよいよ来てしまったな……という焦りがある。いや、人生はもっとずっと長く続くことを期待しているので、そこから逆算すればまだまだこれから、ではあるのだけれど。
私の周りには、40代でギャラリーを営み始めた女性や、50代で異国の大学院へ留学して博士号を取得し、道を拓いた女性がいる。そうした方々と接していると、自分は今からでも、世界のどこにでも行けるのだ! という勇気をいただく。そしていち物書きとしては、歳を重ねることで文章も重層的になっていくということもあるだろうから、キャリアの面に関しては至って前向きなのである。
ただ、いち不妊治療患者としては、36歳というのは急激な下り坂の真っ只中だ。女の持つ年齢への憂いというものの大部分は、「恋愛・結婚・妊娠・出産・育児」という「時間制限付きの通過点」と、どう折り合いをつけていくのか……という現実的な焦りから生じているのだよな、とあらためて痛感する。無論、精子も年齢と共に機能は低下するので、女性に限った話ではないのだけれど。
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36歳というのは私にとって、「母の年齢」であった。
幼稚園に通っていた頃、友達の中で「お母さん何歳?」という情報交換をするのが流行っていた時期があり、そこで生まれて初めて母親の年齢を明確に意識したのだろう。母が末娘である私を生んだのは30歳だったから、それが年長さんに育った頃には36歳。周囲にはまだ20代のお母さんもいる中で、自分の母は36歳……ということが正直、少しだけ恥ずかしかった。
幼児の持つ年齢への価値観というのは、摩訶不思議なものである。年長さんになれば当然、5歳と6歳の子がいる訳だけれど、その中では当然6歳のほうがドヤれるのだ。「5歳なんて、その前は4歳やろ。その前は3歳……そんなん赤ちゃんやん!6歳はもう、小学生の年齢やで!」というような謎の主張が、論破されることもなくまかり通るのが幼稚園児だ。
しかし親の年齢となれば今度は、若いほうがドヤれるのである。だから自身はまだ5歳であっても、「私のお母さんは28歳!」とマウントを取ってくる子が現れる。その対抗馬として私は「うちは、小学5年生のお姉ちゃんがいるし!」というカードを切るのだった。年の離れた兄姉がいるというのもまた、加点ポイントになるのである。
そのロジックを整理すると、自分たち子どもの年齢は上にいくほどカッコいい。が、母親の年齢は、若けりゃ若いほど鼻が高い。つまり10代、20代という年代が「若くて、大人で、憧れの世代」としての絶頂であり、その先はオバサンそして老婆……といったような価値観だろうか。あまりにも残酷でツッコミどころ満載だが、昭和の大阪に生まれた幼児の考えていたことなのでお許しいただきたい。
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しかしそんな私が、いよいよ36歳になってしまった。つまり母が今の私と同じ年齢の頃には、既に3人の子どもを産み育てながら、薬剤師としても働いていたのである。当時の彼女の「母親然」とした貫禄を思い出しながら、今の自分にはまったくそうしたものはないな……と、世話する相手のいない緊張感に欠けた我が暮らしを顧みる。
そしてこれから先、私が子どもに恵まれたのであれば、その子が親の年齢を意識する頃にはすっかり40歳を超えているのだ。それを思うと、過去の自分のとんでもない残酷さと、未来への一抹の不安が心に沁みてくる。ただ、こうして「親が私の年齢だった頃は既に……」という焦燥感を抱くのは、私だけが抱く個人的な感情という訳でもないだろう。
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私が生まれた1988年には、母親が第一子を産む平均年齢は26.92歳。しかし2021年にはそれが30.9歳になっている。さらに東京都に限定すると、32.4歳まで初産の年齢は上がる。
私には東京で生まれ育った小学2年生になる姪がいる。かつての私が「うちには小学5年生のお姉ちゃんがいるし!」とドヤっていた、あの5つ上の姉の娘である。一人っ子である彼女はどうやら、親戚の中で一番若い女である私を「姉」という設定にしておきたいらしく、私がなにかの折に「どうも、叔母です」と自己紹介すると「ちがう、オバさんじゃない!お姉ちゃん!」とキレぎみに訂正してくることがあった。姪は既にギャル的な気の強さを持っているので、自分がこう!と思ったことは必ず主張するのである。
そうした姪に対して「いや、私はもう36歳になるんやよ?」と少し驚かすような気持ちで言ったところ、そこで姪は「へぇ、結構若いんだね〜!」と笑顔で返してきたので驚いた。36歳の、結構若い、姉……? と困惑したが、すかさず私の姉が「ほら、周りの親はもうだいたい40代か、50代の人もいてはるし」と解説してきた。
なるほど、令和の東京で育つこの子は、「親の年齢」について私とは10歳ぶんほど感覚がズレているらしい。これは大きな価値観の変化だな……と驚きつつ、「では、姉ということで……」と恐縮ながら姉妹設定(28歳差)を守っている。
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しかしそうやって人間側の価値観が変わっても、生殖に適した年齢が突然引き上がる訳ではない。いや、こうした折に「卵子凍結」というのが1つのキーワードとして頻出するようになったけれど、あれも「若さを凍結保存するための魔法」のようなものではないだろう。
実際、私は不妊治療の一環で、14個の卵子を採卵した。それをそのまま凍結するのが「卵子凍結」である。ただ私の場合はすぐに子どもが欲しかったので、採卵後精子との受精に挑んだのであるが、そこで受精に至った卵子の数は……ゼロ。
さらに、次の採卵では36個の卵子を採卵し、そこから6個の受精卵(胚盤胞)が出来た。6つも出来たのであれば、今回こそは……!と喜んでいたのが去年の秋だったが、そのうちの5つを移植した今もまだ、私は妊娠していない。
もっとも私は、かなり妊娠しづらい体質のようなので、正確な着床率・妊娠率などは然るべきデータを参照していただきたいところではあるけれど……。
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「人生の選択肢を増やすために」と卵子凍結をしていた女性たちの中でも、「いざ、使おう!」というフェーズで、困難にぶつかっている人もいる。
卵子凍結をする人の多くは、仕事の意欲が旺盛な若い未婚女性だ。そうした方が、仕事をしながら、パートナーを見つけ、結婚していざ子どもを……という頃には、おそらく凍結した数年前とは住む場所は変わっているだろう。そうすると、凍結していた病院に通いづらくなり、卵子の輸送を試みるも多くの病院が受け付けてくれない……という現実もある。実際、輸送にはリスクがあるので、患者側が飛行機に乗ってでも通うほうがベター……という現実もあるようなのだけれど(詳しくは以下の投稿に書いたので、興味のある人はご一読を)。
また、卵子凍結は病気ではないので、保険適用外。そうした凍結卵を使う場合、全額自費での体外受精をする……ということにもなり、一般的な保険適応内での不妊治療とはかかる金額が変わってくることも、あまり知られていない(東京都では助成金が出るようではあるけれど)。
「卵子凍結」という言葉は働く女性の選択肢を増やす手段の1つとして大きな注目を浴びているけれど、お金と時間と身体の負担をかけてそれをしても尚、その選択肢が手に入る保証はない……というどころか、場合によっては凍結していた卵子に縛られて行動範囲が限られてくることもあるのだ。もちろん、凍結していた卵子を用いての受精・妊娠に成功している病院もあるのだけれど。
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こと妊娠適齢期……という側面で見れば、今の年齢にどうしたって焦りは生じる。ただ、今から10年時間を巻き戻せるとして、26歳時点に戻って別の人生をやり直したいか? と問われれば……それはNOだな、と強く思う。
26歳の頃の私は、会社員としてそりゃもう忙しく働いていた。新卒で入って1,2年目は辛くて惨めだった会社員生活でも3年目になればしっかり自分の仕事が出来るようになってきて、それが本当に楽しくて、楽しくて、楽しすぎてそのままの勢いで独立した。そこからの数年は、会社員時代よりもさらにずっと楽しかった。
そうしているうちに立派なアラサーになり、周囲の友人の結婚ラッシュが始まり、焦った。
あの頃は、「29歳までになんとか!」という焦りがかなりあったのだ。それは妊娠適齢期を見据えての焦りであり、幼少期に抱いていた「若いお母さん」に自分がなれないことへの焦りでもあった。
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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。