寒すぎるよ! ニッポンの家
寒くないですか。
明日から11月になるのだから朝夕が冷え込むのは致し方ないけれど、いただけないのはつい先日まで灼熱地獄だったのにもう寒い、ということである。この国の気候は、いつのまにか寒いと暑いの二択になってしまい、趣もへったくれもなくなってしまった。一体どこに行ってしまったのか、風流人たちが最も愛した秋は……薄手アウターの出番は……。
とはいえ、まだ暖房をつけるには早いかな? という気温ではあるけれど、本格的な寒波が来る日に備えて灯油を買って置いておく。虚弱体質な私にとって、冬場のエアコンは喉風邪をこじらせる諸悪の根源であると恐れているので、寒い日は灯油ストーブで暖を取りたい。上に薬缶を置けば加湿も出来るし、フィルターが汚れてカビを撒き散らす……ということもないし。
たださすがに灯油ストーブをつけたまま寝る訳にもいかないので、夜は毛布と布団にくるまって眠る。すると朝は「外気ですか?」という程に冷たい空気を吸って目が覚めることになり、そこからやっぱり喉風邪をこじらせてしまうのが冬の恒例……。
どうしてこんなにうちの家は……というか、多くの日本の家は寒いのか。大阪にある私の実家もなかなか古い家なので、冬は白い息を吐きながら目覚め、足の指はしもやけで腫れるのが冬の常……と思って生きてきたのだけれど、どうやらそれは日本人の我慢強さ故なのではないか?と大人になってから気がついた。
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3年前まで住んだニューヨークは、信じられない程寒い街だった。寒波ともなればマイナス10度を下回る日も珍しくなく、外を歩く時はダウンの上にダウンを着てもまだ寒い。ここまで寒くて、寒波で交通がシャットダウンするような街が世界一栄えることになった所以がイマイチ理解できない……という程には寒いのだ。
けれども家の中は、驚くことに寒くないのだ。ブルックリンで住んでいたコンドミニアムでは、大きなガラス窓があるのにほとんど結露もせず、部屋の中の暖かさだけはポカポカに守られていたのである。
いや、こうしたタワマン風情の新しい家でなくとも、最初に住んでいた古いタウンハウスも寒くなかった。というのも、ニューヨークでは13℃を下回ると暖房を入れることがオーナー側に義務付けられていて、古い家では鉄パイプのような暖房器具がカンカンと音を立てて部屋を暖めてくれるのだ。うるさいが、ぬくい。うるさいが。あと日本のように壁が冷たい!というようなこともあまりなかった。
オランダから日本に移住してきたサイエンスコミュニケーターのセーラ・ホクスさんも、日本の多くの家が単板ガラスであること、断熱性が低いことに唖然として、脱衣所などで急激に温度が下がることによるヒートショックのリスクなどを指摘している。
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私もアメリカのぬくい家に住むまでは、「まぁ日本の夏の暑さに比べれば、冬の寒さは我慢できるしな…」と思っていたが、気持ちの上では我慢していても身体はしっかりダメージを受けていたらしい。家がぬくいと、血流が良くなり、風邪もあまりひかなくなり、とにかく毎日が快適だったのだ。霜焼けも出来ないし。
けれどもまた日本に帰ってきたら、やはり底冷えする寒い冬に悩まされてしまうことになり、カイロや小さなヒーターを多用しつつ喉風邪をこじらせる生活に戻った。そして灯油ストーブにしてもオイルヒーターにしてもエアコンにしても、断熱がザルなので冷気がどんどん入ってきてしまってエコくないし、光熱費が高い!
とはいえ日本も2025年からは、すべての住宅で「断熱等性能等級4」「一次エネルギー消費量等級4」以上を満たすようにと法改正で決まっているので、底冷えや隙間風の寒い家は少なくなってはいく、というのは吉報でもあるのだけれど……。
ただそうした法改正に喜びながらも、複雑な気持ちもある。「夏をむねとすべし」と建てられてきた過去の美しい建物たちは、断熱性の問題でどんどん失われていくのだろうな……というまったく無責任な哀愁である。
古い家の落ち着いた趣は好き。でも、寒い家に住むと機能低下が著しい。どうにかその両者を両立できないものか? というところに頭を悩ませつつ、築20〜30年くらいの賃貸で手を打っているここ数年……(古民家ほど隙間風はないけれど、それでもやっぱり寒いですね)。
ちなみに日本人的には「古い木造建築=めっちゃ寒い」というイメージが根強いが、お隣の朝鮮半島では事情が異なる。何千年も前から「オンドル」という床暖房があり、厳しい冬をあたたかく暮らしてきたのだ。
オンドルとは、台所で煮炊きをするときに発生する煙を床下に通して、床下にある石を熱し、床全体をあっためる……という、なんとも効率の良さそうな暖房器具である。日本と同じ木造建築なのに、古くから床暖房があったなんて! どうしてそれが日本にはなかったの! と羨ましく思ってしまうが、もちろん日本に普及しなかったのには、それなりの理由がある。
まず、熱を逃さないように床下を塞ぐ……となれば、通気性が失われてしまい、夏の湿気で木材が朽ちてしまうらしいのだ。さらに朝鮮の家具は、オンドルの熱で朽ちないように……と、脚がついているものが多いのだが、これがまた日本列島との相性がよろしくない。
こうした家具の第一印象として、「……地震のとき怖いな?」と怯えてしまうのが多くの日本人の心理だろう。実際、日本の古い家はほとんどの家具が備え付けになっている。
恵比寿の韓国料理屋に行くと、朝鮮の伝統的な家具「四方棚」のような棚があったけれど、天井と床にがっつり備え付けられていた。朝鮮らしい設えをなんとか日本でも…と思案された結果こうなったのだろう。
最近読んでいた『日・中・韓 伝統インテリア』という住居史研究者パク・ソンヒさんによる書籍にも、以下のように書かれているのを見つけた。
……こう「発展しておらず」と書かれてしまうとぐぬぬ、という気持ちにならなくもないが、確かに中国や韓国の家具は豪華絢爛で、装飾的なものに溢れている。地震の少ない地域では、大型家具は富の象徴として、美術品のような存在でもあったようだ。
ただ日本にも独自の素晴らしい家具、桐箪笥がある。装飾的ではないけれど、日本家屋に馴染む端正な佇まいは美しい。ほとんどの収納が備え付けであるところに、桐箪笥だけは嫁入り道具の定番として、後から持って来ることが多い特別な大型家具だ。
しかし、よく考えてみればあれは、地震は大丈夫なのだろうか……
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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。