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『カラフル』で思い出した幼少期

最近、Amazon Prime Videoで森絵都『カラフル』を映画化したものが公開されているのを見つけた。何度か映像化はされているみたいだが、小説しか読んだことがなかった。
そして、小説の『カラフル』に関してこんなことを思い出した。

それは中学校の夏のことだった。
部活に所属していなかった私だが、朝練と同じくらいの時間に登校して誰もいない教室で過ごす時間が大好きだった。教室に広がる優しい木の匂いを感じながら読書をする時間を、自分の特権のように感じていた。いつまでも続く時間だと思っていた。当時よく読んでいたホラーやイヤミスを読み返すと、今でもバットの音や掛け声などが聞こえてくる。

やがてみんなが登校して騒がしくなり、私だけの時間は終わる。8時半のチャイムが鳴り、読書タイムが始まる。私は読む本を持っていなかった。朝の自分時間に読み終わってしまったのだ。生徒は普通、持参した本をそれぞれ読むのだが、その他にも「先生のおすすめ」と称した本が教室の後ろに並べられていた。『カラフル』との出会いはそこだった。

『カラフル』自体は1998年に出版された本で、映像化もされている。話題になっているということは知っていた。しかし、だからこそあまり面白くないと思っていた。自分の好きなものを貫くことが正しい生き方だと思っていた。ましてや児童向けの小説など、安っぽい感情しか描けないと勘違いをしていた。

しかし、手持無沙汰の15分間を乗り切るために私は読むことにした。
最初は主人公の行動が全く理解できなくて正直ムカついた。結論も序盤で大体予想できて、なんだこんなもんかと思った。思っているうちに、最後まで読んでしまった。

泣いた。
赤くはらした目を見せるわけにはいかないので、トイレで隠れて泣いた。
悔しかった。
自分の認めていなかった小説に、こんなに感情を揺さぶられたのは初めてだった。
自分の信じていた価値観が大きく動かされた瞬間だった。

最近、良い作品とはなんだろうと考えることがある。もしかすると、このときに私の結論は出ていたのかもしれない。
「心に傷をつけられて価値観を変えられ、ふとした時に思い出すもの」それが私なりのいい作品の基準だ。

以来、『カラフル』を見ると過去の自分のかさぶたを剥がしてしまう気がして、別れた恋人のように意識している。

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