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‘言論の自由’と‘普通選挙’
これらは民主主義を代表する基本的な条件です。
よく「皆様の貴重な一票…」と謳い、国民の最大多数の幸福の実現に従事する為に政治家は存在するのだと疑わない思考がある時期まで私の中にありました。

この番組はこれまでの経緯を丁寧に一般市民視点をベースに解説されていました。
私が全体を通して感じた‘民主主義’による希望と絶望、もしくは光と闇と言い換えてもいい、この思想のもどかしさ、あくまでも最大公約数的な方法論に過ぎない捉え方で解釈せざるを得ないのだと、解釈が絶対的ではないにせよ私は思索します。例えば、日本に民主主義が導入されたのはいつかと考えてみると、非常に曖昧だと思います。
・明治、自由民権運動が起こった頃
・大正最後の年、普通選挙法の施行時点
・昭和の敗戦後、日本国憲法の施行時点

確かに制度の側面ではそうしたタイミングも大衆の意識下には民主主義が形成されるものだったのかもしれませんが、日本にはある意味では民主主義における合議制を重んじる傾向が、律令時代以前からあったのではないかと推察します。農耕社会から培われた話し合いの文化、不公平を由とせず、さらには補完し合う考え方が習慣的に存在していたとみます。
民主主義には職業選択の自由がありますが、封建時代には存在しない代わりに職業選択に悩まずに済んでいたとも裏返せます。

つまり、ここまで何が言いたいのかをまとめると、人の幸福のあり方とは制度が及ぼすものではなく、国柄の性質に馴染んだ形の中にその根拠は見て取れるという考えがあるという事です。

この民主主義とは例えて言えば、束ねられた様々な花=個人の幸福が、根下で揃えて切られるように協調や一定の共通項が重んじられるのは折り込み済みであり、自由には何らかの代償が伴うものだとする考えです。権利と義務と言い換えられます。
権利と義務はその幅も広く、現在あるピークを迎えていると思います。
ジェンダーとグローバリズムは全世界を席巻しています。
にもかかわらず、抑圧を強いる国々、内戦状態に陥っている地域も存在する矛盾も同時代状況なのです。

民主主義の反対は共産主義でも社会主義でもなく、私は徳治主義だと思います。
徳治主義とは偉大な為政者が善政を施すという、1人の才能に託し従順する思想です。一見素晴らしく思う徳治主義も為政者が狂気に走れば収拾がつかない事はよく理解できる事ではないでしょうか。

民主主義が許容できない社会の地政学的な運命とも言える住人、市民の幸福とは穏やかな日常の継続に他なりません。日本人には理解できない民族主義は民主主義を許容しないことが分かります。

それでも、民主主義を選択するのは、自分の人生は自分で決めたいとする考え方に人間がなぜ生まれてきたかという根本に辿り着く概念があるからだと感じる以外にないのです。
自分の決定に誤った選択をする事もあるでしょう。勿論まわり道も余儀無くされる事もあるでしょう。しかし、予め仕組まれた人生行路を全うするだけの無風な一生が仮にあったとして、一定の幸福感は充たされても何かが違うと思う人たちには苦痛を伴うことだと思います。

この間違いなくリスクを併せ持つ民主主義のハードルの高さを2022年2月24日に始まったロシアの軍事侵攻は物語っています。


ジャズの巨人…チャーリー・パーカー
2020年発売の輸入版5枚分アルバムを購入。
これがデジタルマスタリングが素晴らしい!
現在只今録音のようです。

気軽に輸入版をインターネット購入で楽しんでいること…グローバルビジネスの恩恵に預かる現状を認識もしていながら、不条理な世界も包含しなければならないやるせなさに何とも言えなくなる昨今です。

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