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「自分らしくあれ」とは落ち込んでいた時、前向きな姿勢を取り戻させようと第三者から励ましの言葉に登場する文句ですが、自分自身が何者かも分からないのに、ある思い込みのみで突破口を見出だすのは難解なアドバイスと言わざるを得ないと思うのです。

他者の評価と自分の評価が一致できる人は世の中に勿論いるとは考えられますが、私が見るにつけ、そんなに簡単に自分自身を断定できる人はある意味幸せな方なのかもしれないと感じるところも一方ではあります。
これはある満足で充たされているとも推測されます。
私を含めて「もっとできる、もっと可能性を見出だせるはずだ」この思いに堪えず一喜一憂している人は多いのではないでしょうか。そうした過程である評価をいただければ、それは有難くも思いますが、よく言えば飽くなき向上心、別の言い方では尽きない存在意義への生存欲求がモチベーションになっているのかもしれません。
他者からの評価への抗いを表立って宣う人は殆どいないとは思いますが、自分を深く追及していく人たちに共通する点は、案外柔軟性に富んでいます。
これは本心を語り共感を得ていこうとする行為と、あくまでも自分の内面性については完全に切り分けて客観視しているからだと思うのです。
他者からの評価に囚われることなく、自分の興味にストイックに邁進できる人のみ、自分だけが分かる‘らしさ’を所有できるのだと思います。

先日、約30年ぶりに音楽誌「ロッキング・オン」を購入しました。特集が「5年後…デヴィッド・ボウイ総力特集」だったからです。

1978年にボウイが語ったインタビューが目玉、注目コーナーと言って良いと思います。この時代にスポットを当てて今回の特集にする点は流石、編集部と言わざるを得ません。ボウイのディスコグラフィーに於いて、ベルリンで制作された3枚のアルバムが最もアーティスティックで40年以上経った今でも全く風化することはない、ある種の彼の哲学を音に転換させたかのような、カテゴライズするにはジャンルを問うことが当てはまらないと言った方が正しい、そんな形容が相応しいと思います。

ボウイがベルリンでブライアン・イーノと組んで作る以前のライブラリーに共通するのは、架空のキャラクターを創造し、そのキャラクターが演じる為のサウンドトラックだったと解釈されなくもない、ボウイの音楽創造はイメージを固定される事を好まない虚像に徹していくポリシーを纏っていたかのようでした。虚像であり続ける想像と世間を往来する事への虚脱感がベルリンでイーノと組んで作る音楽制作へと掻き立てていった、1978年のボウイは傑作『ロジャー』の制作中だったと思われます。

私が掲載されたボウイの言葉から総じて抱いた印象が‘具体よりも抽象を好む’ということです。
それは具体はいつか滅ぶが抽象は曖昧模糊ゆえに、終わりはない、そこにいつも可能性は宿る。人間自体がそもそも曖昧模糊なものではないのか、そうした問いかけをボウイは作品世界観に注入していたように思えてなりません。

そうして考えますと、冒頭の‘らしさ’の定義自体も怪しい響きに聞こえますが、私はいろんな事、それは大袈裟に言えば人生だったりしますが、限定しないことが何よりも大切な気がしてなりません。
人それぞれの価値観を認めて、祝福できる気持ちも忘れない、そうした人ばかりになればもっと生きやすい世の中になるのになと、今日も諦めない一日を過ごそうと思うのです。

今月号のロッキング・オン。
ボウイのA2ポスターも付録にあってお買い得でした。




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