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20代におけるAD(アシスタントディレクター)時代、撮影のために全国を訪問する機会に恵まれた事がありました。今にして思えば得難い経験だったと思います。

建設省土木研究所(現国土交通省土木研究所)からの委託で全国に存在する「多自然型川づくり」プロジェクトの様子と現状をビデオカメラで撮影、記録していく事業だったのですが、毎月指定された川について省地方事務所を訪ね、本省スタッフに撮影班は同行する形で全国を巡りました。

当時は携帯電話がなく、新幹線も“のぞみ”は未だ登場していない頃でした。つまり移動にはそれなりに時間を要します。東京起点ですので、北海道や九州は飛行機利用、ちなみに現在居住の山口県も防府市が対象のケースがありましたが、いろいろ調べた結果こちらは新幹線を使いました。

時間を要すという事は実際の作業に至るプロセスに必要条件としての‘無駄’が加わることを意味します。
しかし、この無駄こそ情緒や記憶へと昇華される大事な要素のような気がするのです。

1990年代の半ばは世間的にはバブルが崩壊、不穏な空気が云々と理解するタイミングですが、まだ心に余裕らしき何かは残っていたような、人やモノも街に活気を感じられた頃だったと体感しています。

本来、撮影することがメインであり、用をできるだけ短時間に終えて帰社する最短で最安値で進行していく事が基本ラインには勿論あったとは思いますが、そんな単純に合理的にいく筈もなく、取り巻く団体規模や人の多さを考えると、準備に余裕と幅をもたせて進行していく事が最善策でした。

その意味合いにおいて、若い頃に訪れた日本全国の景色は今も記憶に消えることなく印象に残っているのです。恐らくは遮二無二動いて慌ただしかったにもかかわらず、客観的にいる瞬間が適当にあったのでしょう。‘ゆとり’だと思います。

特に印象的な撮影場所を挙げるならば、まず第一位は梓川、こちらは長野県の上高地です。幻想空間みたく絶景の場所でした。通常立ち入り禁止エリアを案内されるまま、あるポイントで撮影指示をもらっての作業でしたが今も光景が目に焼き付いています。
双璧の第一位は北海道の釧路川です。釧路湿原が眼前に広がる圧倒的な雄大さに感動がひとしおでした。

仕事で地方、名所各所に訪問できる機会というのは向学としても貴重な経験だったと述懐します。
少なくとも一年間はこの事業に携わっていたので、実際もっとあったのかもしれませんが、日本全国に12回は様々なスポットを訪問していた事になります。
プライベートでの旅行というのは案外、イベントに合わせて以外では腰が重いようなところもあり、加えて無目的な行動パターンに終始する、あくまでもこれは私のケースですが…
仕事は打って変わって、明確な任務遂行という緊張感も加わり、任務遂行後また来たいなと思える事が出来たら仕事は上手くいった事を意味します。

環境的に余裕があった時代とそうでない時代を比べて言えるのは、余裕がない時代に果たして人は育つのだろうかという疑問があります。失敗も含めて大目に見てくれる人間関係等。そして今回取り上げたダイナミックな仕事と出合える機会の創出もあります。個人にとっても外を知る事、見聞を広める事は、今も昔も非常に大事だと思います。

自分がどうやって今に至るかをふと思索すると、若い頃の経験の積み重ねの結果でしかないと覚るのです。

最近、ピーター・フランプトンをよく聴いているのですが日本のアーティストに与えた影響力に改めて気づいた次第です。
リスニング経験を重ねるに連れて、フィードバック現象を感じて楽しくなります。


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