人間の感情と動作について、考えてみたいと思います。
最近では自己承認欲求という言葉があるように‘無視されない’とか‘あなたはそういう人なんですね’とある種の客観的認識を伴った存在意義を覚えることが、人として生きる縁になっているのではと思える様相を呈しているように映るのです。
そこで人によっては‘威張る’‘羨望の目で見られたい’といった優越意識にありたいと思うケースもあるのでしょう。
ここで考えてみたいのは‘個人と多くの他’についてです。これは誰しもに当てあまる社会の構成から逃れられないけれど、できるだけ匿名でかつ恵まれた社会環境に生存したいとする、できるだけ責任は回避できる傍観者のスタンス…これが最高の位置なのだと、現代SNS事情の参加者から私はふとその様に垣間見える瞬間があります。
一言で表すとSNSメディアが断罪メディアにしか見受けられない感覚があります。それは公人、私人問わず、よく言えば己の心情をのべつ幕無し吐露する場であり、言葉のその後は知る由もないという凡そリテラシーとは程遠い、精神の退化としか思えないのです。
noteの素晴らしい点は文字制限もなく、文章コンテンツとして様々なカテゴリーに即した共感を集う場として、読者も一定の文章を読む姿勢にある方を対象にしているからこそ、ロジカルに書き手も提示ができる事が意味があると感じています。
人が仮想的に結びつくある種の不思議さ、面白みは勿論有益な点も多いのは否定しません。しかし仮想現実の住人同士が歪みあい、軋んだ関係に陥る様はあまりにも滑稽にしか思えないのです。
SNSへの法律規制も徐々に整備されている昨今、無視する訳にもいかない現状かもしれませんが、裏返すとスマホ等駆使しない方法論を模索するやり方もあるのではと考えます。
個人の生き方を見つめ直す、選択するという意味で、何かと相対的な範疇に置く見方でなく、逆に原始的に幸せを思考してみます。
私はときに情報の渦から抜け出し、読書のみで過ごしています。
2017年に発刊された参議院議員の大塚耕平氏の著書。政治における中道の本質を様々な角度から考察した理論書。
ご自身が仏教への造詣もあり、政治家のスタンスを哲学的に解析している。
現代政治の可能性を計り知れる1冊と言える。
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