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映画が大衆娯楽になり得たのは共感の産物、明日の活力を与えるものだったから…少なくとも昭和30年代の映画黄金期の根拠として日本全国で映画館数が最も多かった理由はその点に尽きると思います。

その情熱を自身のノスタルジアを込めて現代に伝えたかった映画『キネマの神様』。
もはやその前段は伝えるまでもなく、紆余曲折を経てようやく公開に漕ぎ着けました。
ストーリーに関わることや巷に溢れる詳細には触れず、私なりの観賞後の率直な思いの吐露の場にしたいと思います。

山田洋次監督自身を何らかイメージさせるモデル、その時代性を表した作品はこれまでに断片的な形ではあったかもしれませんが、今回の主人公は全てが監督ご自身ではないにせよ、山田洋次監督が当時目の当たりにしたであろう、いろいろ思い出深く、映画に従事した仲間をギュッとコラージュした人物像を作りたかった、全てがうまくいくわけではなかった、あの時代を伝えたいと託されたキャラクターであると感じ取れました。
この人物の特徴に映画を除けば、社会通念的に通用できない設定も、もしかしたら山田監督自身の本質を分かりやすく具現化したものでしょう。

これまで多くの名作群を作ってきた山田監督による作る側と観る側である観客との関係性を表すに、信頼感に委ねる軸こそ冒頭に述べた共感の有無に他ならないと考えます。

共感性の中に純愛というファクターがあります。勿論、男女の事もありますが、本件では映画を愛し続ける思いの点も対象となります。この映画を成立させた力こそ、今どき古くさいと思われ勝ちな純愛ではないか、このメッセージを伝える方法に山田監督は映画というツールを活かしたと、私には映りました。

自分には映画しかなかった…これは山田監督の偽らざる思いなのだと思います。それを形にする事は観客である私たちには既によく理解されており、当然受け入れていく流れになります。だからこそ作り手も観る側もその時代を後学的に知った世代も共通概念にノスタルジアの存在が許されるのです。

ノスタルジアは一言で限りなく寛容に捉えられやすい要素でもあり、個人の感覚度合いもあるので、映画モチーフとして使うには具現化を役者力量、芝居力への期待となります。

そこでやはり現代パートの主役を務めたジュリーこと沢田研二に触れない訳にはいきません。志村けんを当て書きして書かれた脚本を盟友関係にあったとは言え、沢田研二が引き受けて完遂した事が一二も無く全てだったと、これはこれから観る方々に強く発したい私自身の観賞後に感じたもう一つのポイントでもあります。

様々なノスタルジアが交錯しながら、2021年の夏に監督/山田洋次、主演/沢田研二の映画を映画館で観れる事に喜びと幸せをもっとシンプルに感じていい…これが素直な私の心情です。

田布施町駅前、友末旅館。
創業115年になる町屋の旅館。
撮影前乗りで先日宿泊。
ノスタルジアに溢れ味わい満載でした。
明くる朝はam4時半起床ながらも、印象的な時間を過ごすことができました。


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