‘広く浅く’ これは一般的に多趣味で好奇心旺盛な人に共通した概念と捉えます。
そこで、‘やや広くやや深く’ これが私自身の性格かもしれないと俯瞰しています。
逆に ‘狭く深く’ な性格に該当する方には職人、スペシャリストの適性が備わっていると思います。譲れない拘りも多分内在しているのではないでしょうか。
この ‘やや広くやや深く’ を性格解析してみると見えてくるものがあります。
・収集癖、コレクター趣味がない。
・一つのアイテムに集中出来ない。
・常に同時平行に取り組んでいるアイテムがある。
・一つのアイテムを極めたいという我慢強さに欠けている。
・上記の結果、70%の理解でそれなりに満足感を得られている。
確かに現在、職業的に求められるのは専門性の部分は多分にありますが、超絶的な理解の上で見解を示している状況に遭遇はしません。経験則と一般的知識で殆ど対応しています。
という意味でアイテムを広げて今日に至るに於いて、自分自身はまだまだ伸び代だらけとある種の怠惰を反省すると共に、例えばその分野のスペシャリストが話す事への興味を、より深めていく楽しみが様々だと気づきます。
20代前半、プロデューサーとディレクターも務める上司から言われた印象的な言葉があります。
「オレたちはその仕事が決まったら、3日後にはその道の専門家になってないといけないのだよ」
そして1日2日で大量の資料と関連書籍を読み込んで、具体的構成案を作り上げていきます。アシスタントの自分にも同様の資料が配られ内容を把握させられました。
映像化していく分野は多種多様です。
こうした経験も現在に影響を与えられた修練だったと理解できます。
私の周りには素晴らしいスペシャリストが多くいます。技術はもとより姿勢や考え方に共感を覚えます。そして人柄でしょうか。アートに人柄は関係ないともよく言われますが、相性云々も勿論あります。これは波長同通なのかもしれません。
彼らスペシャリストから学ぶことは多く、大いに触発されます。
実際、自分は何者かという見解を持っていないと成立しない職業が現在なんだという理解はスペシャリストでも、その他の媒体でもなのですが、重要な視点なのです。
‘表現する’ とは何もアートだけではなく、提供しているサービスや行為自体、有形無形問わず共通概念に他なりません。
この感覚を持ち合わせている、敢えて言葉にできる方は、やはりか意外と言うべきか、魅力的な方が多いのは確かだと思います。
そこで ‘やや広くやや深く’ このタイプに自分が何者か…言い切れるか否かについて、いまだ初期衝動に忠実な純粋な感覚だけは忘れずにいたいものだと、そんな大人であり続けていますとは答えたい今日時点です。
『街角クラブ~クルービ・ダ・エスキーナ』
ミルトン・ナシメント/ロー・ボルジェス
1972年発表のブラジリアンポップミュージックの代表的作品。ブラジル音楽のマスターピース。最近ユニバーサルからのブラジル音楽復刻シリーズで購入しました。
今回noteに、このアルバムの感想を書こうと思い本パートになりますが、あまりの素晴らしさに怒涛の感動の嵐に包まれてしまいました。音楽でここまで感動することの喜びを忘れていなかった事が嬉しかった事もあります。メロディ、アレンジ、ボーカル…当時の制作背景の念でしょうか、音楽の中に入り込んでいました。