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『侍タイムスリッパー』年越しに寄せて
クリスマスやM1、有馬記念への思い入れは薄く、年賀状作成からも足を洗い、特にきちっとした仕事納めも決めていない自営業者の僕にとっては、年末感というものが年々ぼんやりしてくけれど、一応まだ映画好きではあるので宇多丸のシネマランキングの声を聞けば、ああ今年も一年締めくくりかなという気分になってくる。
その中のリスナーランキングで『侍タイムスリッパー』が1位と聴いた時は思わず「おぉ!」と声が出た。
日刊スポーツ映画賞やら新藤兼人賞の銀賞やらフィルマークスのミニシアター部門賞やらの報は目に入ってきても「ああ、よかったね、次の仕事につながるね」と思うくらいだけれど、カナダファンタジア映画祭の観客賞と、シネマランキングリスナー部門での1位には、未来映画社員としては少しウルッと来るものがあった。おめでとうございます、観客にこそ愛される本当の娯楽映画になったよね。
そしてそれが2024年の思い出としてではなく、この年の瀬の今なお日本のそこここで、新左衛門や心配無用の介が、“お正月映画”に顔を連ねていることが一番嬉しく誇らしいことだなと思う。
8月の一般公開やら9月からの全国公開やらの時期は、僕が寄稿させてもらったパンフレットがいつ発売されることやらと、ひたすらに待ちわびた。
ロサやチッタから口コミが爆裂して、あれよあれよと全国区。
その躍進を、僕はできることなら、パンフレット制作に関わった“チーム安田a.k.a.未来映画社員”として喜びたかったし、拡散したかったし、正直やっぱりそりゃあ自慢もしたかった。でもそのパンフレットが発売されない限りは、“甲子園でベンチ入りも叶わず、アルプススタンドで応援してる補欠野球部員”のような気持ち。山口馬木也のクリーンヒットから冨家ノリマサの送りバント、沙倉ゆうのは奇跡の若見えヒロイン裏方二刀流でヒット、心配無用の介が女性ファン鷲掴みで快打満塁、そして安田無双のホップステップ宇宙へホームラン、そんな活躍を素直に盛り上がれないという素直な焦燥感で眺めてた。
10月発売日に買ったパンフレット、待ち切れず劇場ロビーのベンチで開いて読んだ。ウシダトモユキの「ユ」の字以外はカットされることなく全文掲載されていて、ささやかながらも『侍タイムスリッパー』に関われたことが夢じゃなかったという夢のような気持ちになった。
その頃にはもう『侍タイファミリー』という応援団がタイムラインを席捲していて、秋から冬への外気も温めるような熱量で舞台挨拶の盛り上がりやら手作りファングッズやファンアート、各メディアでの絶賛報道、冒頭で並べた数々の受賞栄誉。僕が今さら何を応援して力になれることがあろうかと、結局は引き続きアルプススタンドからベンチ入りしようとすることはせず、僕なりの形で『侍タイムスリッパー』に応えることにした。
それは、『侍タイムスリッパー』にもらった元気で自分の日常を頑張ることだ。
そもそも僕のこの1~2年の事業収入はほんとに厳しくて、安田監督は「映画製作後の貯金残高は7000円でした」なんて笑い話にしているけれど、僕はそれどころではなく、その月の生活費をカードキャッシングでまかなって乗り切ってるという笑えない真っ赤なマイナス経営。『侍タイムスリッパー』の躍進をSNSで追っていれば、自分のしんどい現実を忘れられるようで一時期浸っていたけど、ああ、ダメだ、「頑張っていなきゃ誰にも見ていてもらえない」なと思い直し。このままじゃ行政書士廃業なんて時が来ちゃうかもしれないけど、「だがそれは今日ではない」なと振るい立たし。
2024年夏、秋、冬は、目の色変えて自分の仕事を頑張った。
雨の中切腹を選ばなかった新左衛門のように、自分の信念に真剣勝負。
忘れかけてた夢を思い出した優子殿のように、現場を走り回った。
向き合えば具合が悪くなるような仕事にも、風見恭一郎のように立ち向かった。
沙倉ゆうのの単独舞台挨拶
主要キャストたちの扮装舞台挨拶
名古屋おいしい映画祭の『ごはん』再上映
京まちなか映画祭の特別長尺版
盛況のSNS掲載写真を横目で見ながら
行きたい気持ちと時間を“己の成すべき事”に全振りした。
顧客に斬られ値切られ、下げたくない頭も下げた。
心配無用、心配無用と、くじけそうになる自分を励ました。
これを書いてる12月29日午前、まだまだ仕事納めする見通しないくらいに頂けた依頼の書類をガシガシ作ってる。カードキャッシングで借りたお金を返済して余りある売掛金が入金待ちで、さらに春先くらいまでの売り上げの見通しは立った。なんとか危機は乗り越えられそう。
その先にまた進む「夢」が「目標」となり、来年はその「目標」を「予定」に変えていく年になる。
だから、この2024年の暮れの今、僕が安田監督やサッキーや、侍タイムスリッパー演者スタッフに伝えられるのは、
「俺、『侍タイムスリッパー』観て、自分の成すべき事を頑張れました。」
ということだ。
安田監督、こういう言葉が聞きたくて、前向きな映画作ってるんでしょ?
俺、観客として、ファンとして、しっかり応えたよ。
それは『侍タイムスリッパー』のおかげだと、今年後半の自分の頑張りに胸を張って言える。それが作品の力であり、映画の力だと思う。満足するのは「それはまだ今日ではない」けれど。
パンフレットに寄稿した文章の冒頭に、僕は「未来という言葉の響きが輝きを失った」と書いた。よっぽどしんどかったんだなと、書いた頃の自分を振り返る。輝きを失っていたのは未来という言葉ではなく、未来を語る僕の表情だった。それは明るくできるし、明るくできた。そこに映画の力は、作品の力は、未来映画社の力は、響き働く。明るくしていきましょうよ。
2024年、良い年になりましたね、お疲れ様でした。
2025年も楽しみだ。