ローランド・エメリッヒ監督『ミッドウェイ』に感じた日本へのリスペクト
戦後75年を迎えた今年、ハリウッド大作として公開されるのが、日本とアメリカの力関係が逆転した運命の戦い、ミッドウェイ海戦を描いたローランド・エメリッヒ監督作『ミッドウェイ』だ。1976年に チャールトン・ヘストン、三船敏郎らが出演した『ミッドウェイ』とは根本的に違う。単にアメリカが歴史的勝利を納めた戦いを誇らしげに見せようとするか、それとも、その勝利に至るまでの道のりを丹念に描き、敵側の視点も入れるか。今回の『ミッドウェイ』はまさに後者だった。そして勝利の鍵を握るのが「情報」であったことを静かに突きつけるのだ。
本作はまだ太平洋戦争が始まる前、山本五十六(豊川悦司)と、のちに太平洋艦隊情報主任参謀となるレイトン(パトリック・ウィルソン)が日本勤務中に出会うところから始まる。山本の戦争に対する考えを知るレイトン。豊川悦司が演じる伝説の海軍大将は、思慮深く、まさに清濁併せ吞むような静かなる軍人だ。突然、真珠湾を攻撃される米軍の姿もたっぷりと時間をとって映し出される。その奇襲ぶりに打ちのめされ、多数の死者を出した米軍。一方、日本軍の間でも陸軍と海軍が一枚岩になれず、摩擦の火種がくすぶる。
米軍といえば自信たっぷりに日本軍を撃破するイメージしかなかったが、実際は本作で描いているように、当時の日本軍の戦闘能力の高さに不安を覚えながら、いかに省力で相手にタメージを与えるかを考え、傍受する情報をもとに、策を練っていた。しかも遅くまで働いている部下に、早く妻の元に帰るようにと上官が声をかける。具合の悪そうな人は責任者であろうと、きちんと静養させる。日本の戦場における兵士の扱われ方とは全然違う、人間らしい扱われ方に、今に通じるパワハラ問題を重ねたくなる。國村隼演じる南雲忠一中将、浅野忠信演じる山口多聞少将とキャスティングも魅力的だと思っていたが、非常に品位のある軍人像だった。むしろ美化しすぎではないかと思うぐらいだ。
もちろん米軍はといえば、トップガンばりのアクロバット飛行で、真珠湾の借りを返しにくる。その迫力はさすがハリウッド。またそこでみせる人間ドラマも全員実在の人物なので、ほどよい脚色ぶりで、大げさすぎないのがいい。地上戦ではなかったこと、まだ戦争初期から中期だったこともあり、日本軍にまだ余裕があったことも伺えるが、それよりも真珠湾の敗戦がこれほどアメリカに打撃を与えていたのかということを改めて実感した。実話といえば、現在Netflixでも配信されているが、巨匠ジョン・フォードがミッドウェイを撮影している様子も劇中に登場。プロパガンダ映画を作るために、日本ではまだなかったカラーで戦争を撮っているのだから、恐れ入る。米軍はその後、太平洋戦争で唯一日本国内の地上戦となった沖縄戦でも、カラーで記録撮影をしていた。そのことについては、まだ後日ご紹介するとして、戦争映画ながら、どこか落ち着いて観ることができたのは、変に煽るような演出をせず、史実に沿って両陣営を映し出そうとしたローランド・エメリッヒ監督の強い意図が感じられた。日本へのリスペクトをもって描いたことで、エメリッヒ監督が一番言いたかったのは、「戦争そのものが悪い」ということに尽きるのではないか。そんな気がした。