志村けんへのオマージュも。柄本明オンライン一人芝居「煙草の害について」
サミュエル・ベケットによる不条理劇の金字塔「ゴドーを待ちながら」を再演する柄本佑、時生兄弟と演出の柄本明の練習風景に密着したドキュメンタリー『柄本家のゴドー』。その舞台挨拶&トークショーで柄本明さんが元町映画館に来場し、自らの演技論や俳優論を飾らぬ言葉で語っておられた。
僕らのやっているのはアマチュア演劇という柄本さん。「芝居を始めるとか、絵を描くとか、詩人になるとか、それらは経済(活動)とは遠いことだけど、その中でもバイトをしたお金で小屋(劇場)を借りてできるのが演劇。そういう意味でのアマチュアで、それが面白いと思うんですよ。自分たちで(演劇を)やっている分には万に一つもお金なんて儲かることはないけど、アマチュアだからいいんじゃないかな。そこに経済がないからこういうことをしているんじゃないかな」とおっしゃったのが非常に印象的で、いつかは柄本さんのお芝居を観たいと思っていたら、新型コロナ禍の今、浅草九劇オンラインのひとり芝居という形で、「煙草の害について」を上演することを知り、これはぜひと鑑賞したのだ。
アントン・チェーホフの短編「煙草の害について」に、他のチェーホフ作品から引用をする等して1時間の舞台にした柄本明演出、構成、主演作。(2003年に日本巡回や本場のロシアでも上演している) 日頃演劇を観る機会がなく、戯曲も読まないので、全く知識なく観ていると、志村けんさんの名物キャラクター「変なおじさん」風のメイクに、ズボンのファスナーは開きっぱなしで、ヨレヨレ、ツギハギだらけのタキシードを着た、ボサボサ頭の老紳士が。登場した瞬間に、あ、これって喜劇なんだ!そう思うと同時に、志村けんさんの笑いを浴びて育ってきた世代としては、演じているのは柄本さんなのだけど、その中にどこか志村さん的要素を探してしまう自分がいた。「煙草の害について」を講演するためにその場を訪れているはずなのに、某総理のようなとんでもない読み間違いで、原稿読むだけでも一苦労。しかも、どんどん話は横道にそれ、原作でもある通り、家族、主に妻への愚痴が炸裂していく。その中で、何度となく老人に起こる咳払いやら発作やら、そういうちょっとしたことも名人芸の域で、志村さんへのオマージュのようにも見えれば、どこか老いの物悲しさを感じさせる。合間に現在のネタもすっと挟みながら、フィニッシュに向けての盛り上がりも最高で、この劇をこのように演じられるのは、柄本明しかいないという凄みがにじみ出ていた。無観客のひとり芝居は、演じる側としては非常にやりにくかったはずだ。でも、リモートでも同時間に演じ、演じ終わったあと、今の状況で演じたことや、これからについて、そして何よりも「文化、芸術は生き物だから、これが死ぬことは人間が死ぬことと等しい」という思いをオンライン上ではあるが直に聞けたことは、私の中にも本日鑑賞した380人以上の人の中にも残ると思う。映画以上に深刻であろう演劇界だが、新たな試みは演劇の間口を広げることになるかもしれない。そしてあくまでも個人的な妄想だが、VRゴーグルが普及すれば、VRのオンライン演劇も、観る側からすればよりリアルで入り込んで鑑賞できる気がした。
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