『正義の行方』音声ガイド制作記
10月1日より上映中の『正義の行方』。
再審請求が提起され、事件の余波がいまなお続く「飯塚事件」を巡るドキュメンタリー。
インタビューを受けるのは、裁判を続ける弁護士、当時現役だった警察官、事件後もそれぞれの想いを抱き続ける新聞記者など。
それぞれの〈真実〉と〈正義〉に触れる158分の後、何を思われるでしょうか。
袴田巌さんの無罪判決と検察側の控訴を巡るニュースも流れる今、映画館でじっくりと、さまざまな言葉に触れてください。
●10月15日迄、連日10時00分からの上映です。
1992年に福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された「飯塚事件」。被告となった久間三千年(くま・みちとし)さんは2006年の判決確定から2年後の2008年に、異例の早さで死刑を執行された。
今年6月に弁護団の再審請求が棄却となりながらも、今もなお問題が提起されているこの事件を巡り、弁護士、警察官、新聞記者、久間三千年さんの妻などへのインタビューを軸に構成されるドキュメンタリー。
158分の長さに凝縮されたそれぞれの方の言葉の密度。
映画の流れをつくり出す、挿入される映像表現の「かっこよさ」。
信じ、疑い、を思わず繰り返して映画をみつめるうちに、〈真実〉と〈正義〉の不確かさに呑み込まれる。
それと同時に「希望」も感じる。私が勝手に感じたくなってしまうのかもしれない。
「藪の中」でもなお、〈真実〉と〈正義〉を追い求めること。組織と、組織の中の個人と、個人とをみつめ、それぞれの言葉に触れ続けること。それを行っている人たちがいること。
被害女児の魂が今もなお現場を彷徨っているかもしれないと想像する記者の姿が忘れられない。
本編中に弁護団の方が語られる、「次の世代へ」という言葉が重く心に残る。
過去に起きてしまったことをそのままに、「起きてしまった」で封じない。封じられない。
人の命の重さを感じ、果てしなくとも挑む人。逡巡しながらも動き続ける人の存在がある。
司法のあり方や冤罪も捉えた映画の中では、無罪や無実そのものを強く「主張」していない点で本作を珍しくも感じる。だからこそか、核となる批評は鋭く深い。
数字が蔓延り「わかりやすさ」や「答え」が早急に求められる社会で、
メディアの忖度やSNSのアルゴリズムの下、自分の中の〈真実〉と〈正義〉がいつの間にか固まってしまうかもしれない世界で、
〈真実〉と〈正義〉を思考し続けること。
それを止めたくない。
上映のために、目の見えない人にも本作をより深く体験していただけるように、音声ガイド制作に取り掛かった。
音声ガイドとは、視覚情報を音声・ナレーションに翻訳して伝えることだと私は考えている。
本作の流れを作るのは、インタビューによるそれぞれの「当事者」の言葉だ。
視覚情報がなくとも「話者は誰なのか」をきちんと伝えることを、『正義の行方』の音声ガイドの課題として最初に据えた。
「一目でわかる」かもしれないものを、音声ガイドでも「一聴してわかる」こととして伝えるのだ。この「わかる」度合いには個人差もあると思い、なるべく満遍なく話者名を音声ガイドに入れていった。
インタビューが次々と編まれる編集の隙間に、言葉を妨げないタイミングでその人の名前や肩書きの音声ガイドを置いていく。
音声ガイドの編集時は、そのタイミングを慎重に見極める。
インタビューの第一声と同時に画も切り替わる際は、どうしても画より早いタイミングで音声ガイドを置かねばならない場合もあるのだが、映像のリズムは崩してはならない。
音声ガイドを言い終わるタイミングを画の切り替わりに合わせたり、言葉に被らない1秒未満の間を探したり。
ガイドを聴いていても聴いていなくても、なるべく同じタイミングでその「話者」の存在を感じ、その言葉に意識を自然に向けられるように、タイミングを熟考していく。
また、本作の初観賞時に感じた、挿入される映像表現の「かっこよさ」も頭に置いて音声ガイド制作に取り掛かった。
158分に言葉が凝縮された映画でありながら、挿入されるイメージが映画の流れを進めていく。
走るワゴン車の映像は、目撃証言の〈真実〉を再現するかのようでいて、その不透明さと向き合う足場となるように、インタビューの合間に本編を通して何度も挿入される。
インタビューの言葉をただ聴くだけではなく、言葉に触れて揺れていく”ドラマティック”な体験そのものを、インサートが作り出してくれる。
だが、インタビューの言葉に被ってしまったり、話の流れを切ってしまうような箇所に、音声ガイドの文章は載せられない。
そのためどうしても音声ガイドで「拾う」映像を取捨選択することになってしまうのだが、その過程で自分が「何を見て」「何を感じているのか」を改めて考えることになる。
例え音声ガイドで「拾え」なかった映像であっても、インタビューの言葉自体がその映像を表していくような言葉の強度を感じる瞬間もあった。
だが、「何を見て」「何を感じているのか」はあくまで「自分」の主観であることも思い知る。
見える人も見えない人も、映画に流れる時間の中で語られる言葉を体験し得るために、音声ガイド制作では映画の時間・映像のリズムを大切にしたい。
『正義の行方』には、<これは私たちの「羅生門」>というキャッチコピーが使われている。
空から底の見えない森を見下ろすショットをはじめとする、ドローン撮影の映像が印象的だ。
そして、映画の最後に話される記者の言葉を反芻する。
カメラによって真実を捉えられるか。
固有の事件や固有の人から私が大きく語り出そうとすることには慎重になりつつ、現場を俯瞰して映し、「羅生門」的状況が起こってしまうことを、数々の〈真実〉の”不確かさ”こそをみつめ直そうとするこの映像に、ドキュメンタリーの挑戦を想ってしまう。
それぞれの〈真実〉と〈正義〉に触れる158分の後、観た人は何を思われるか。
新たに言葉を紡ぎ続けていきたい。
文:スタッフ柴田 笙
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●書籍版「正義の行方」もぜひご一読ください。
映画とは違い、紙媒体で触れる言葉たち。そしてそれぞれの方の背景やその後も記されております。
劇場でも販売中です。
●10月17日〜29日(水曜休映)は、同じく東風さん配給の、冤罪を捉えたドキュメンタリー『マミー』も上映いたします。ぜひ『正義の行方』と合わせてご観賞ください。
●『正義の行方』上映情報
10月1日(火)~10月15日(火)
10時00分~12時43分
*2日,9日(水)休映
(2024年製作/158分/日本)
※日本語字幕・音声ガイドあり
監督:木寺一孝 制作統括:東野真 撮影:澤中淳 音声:卜部忠 照明:柳守彦 音響効果:細見浩三 編集:渡辺政男 制作協力:北條誠人(ユーロスペース) プロデューサー:岩下宏之 特別協力:西日本新聞社 協力:NHKエンタープライズ テレビ版制作・著作:NHK 制作:ビジュアルオフィス・善 製作・配給:東風
2024年158分DCP日本ドキュメンタリー©NHK
公式ホームページ:https://seiginoyukue.com
シネマ・チュプキ・タバタはユニバーサルシアターとして、
目の見えない方、耳の聞こえない方、どんな方にも映画をお楽しみいただけるように、全ての回を「日本語字幕」「イヤホン音声ガイド」付きで上映しております。
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