『骨を掘る男』音声ガイド制作記

沖縄戦の戦没者の遺骨を40年以上にわたり収集し続けてきた具志堅隆松さん、その"行動的慰霊”を追うドキュメンタリー。
監督は、沖縄出身者であり、大叔母を沖縄戦で亡くした戦没者遺族でもある奥間勝也監督。
具志堅さんの言葉と行動と共に本作のもう一つの軸となるのは、監督が自身へ問う以下の言葉でもあります。
「出逢ったことのない人の死を悼むことができるのか?」
映される具志堅さんや奥間監督の姿と共に、やがて私自身へも迫るこの問い。
戦争の記憶に触れる夏、映画館で体験する大切な時間となりますように。

●8月16日迄、連日10時ちょうどからの上映です。


逢ったこともない死者にはもう近づけない無常さと、それでも近寄ろうとしていくことへの実感に対する希望のようなものの間で、身体が震えた。
初観賞時、本当に私の膝は震えていた。
具志堅さん自身も、ここに何しに来たのかわからなくなる時があると、骨を掘る暗いガマの中でこぼされる。
出逢ったこともなく手掛かりもない大叔母の骨を探す奥間監督のモノローグからは、何というか、死者との遠い距離へのやるせなさを感じてしまう。
映画をみつめているうちに、亡くなった人と自分の繋がりについて、その背景にあり未だ戦争の影が人々を踏み躙る現状について、思わず問いかけられる。
沖縄のこと、広島のこと、長崎のこと、ガザのこと。自分から「遠い」と思ってしまう土地とそこに在る時間と人々のこと。
しかし、それでも骨を掘り続け、探し続け、行動し続ける姿をみていると、具志堅さんや沖縄の人々と同じ空間にいるような、ガマに入り骨と出逢うことで時空も超えていくような、
具志堅さんの行為に同化して死者の存在と向き合うことを身体で感じていくような感覚になっていた。
これは、暗闇にじっと座り、言葉にも微かな音にも意識を向ける、映画館でこそ生まれる感覚だと思う。


上映に際し、目の見えない人にも本作をより深く体験していただけるように、音声ガイド制作に取り掛かった。
音声ガイドとは、視覚情報を音声・ナレーションに翻訳して伝えることだと私は考えている。
※ここから先、「ネタバレ」となり得る詳細なシーンに触れた文章もございます。


音声ガイドを書く上で、音のみでは伝わらない/伝わりにくいもの・視覚情報をただただ言葉にしていこうとする。
音声ガイドの言葉を紡ぐ上でその足場となるのは「音」だ。
川上拓也さんの整音がやばい。端的にこの音を表そうとすると、言葉足らずになり、かえって一番単純な「やばい」という言葉を使ってしまう。
音のバランス。本当に「そこ」にいるような、そしてあるシーンでは映画に導かれて「そこ」から異なる時空間へと飛んでいくような。
ガマの映像と県庁前の都市の音が重なるシーン。映写機の音がサラウンドで鳴る、フィルムを観るシーン。
映像と合わさり、時には画とは違う音をも乗せて、映画が紡がれていく。
場所や時間も超えるものを「みせる」映画の流れが、私の身体を誘ってくれる。

イヤホンを通してナレーターの言葉を聴く音声ガイドも、「音」である。
音声ガイドを制作する上で、何よりも本作の音を足場に、空間を視覚情報を組み立てていくような意識で制作に臨んだ。
特に暗闇のガマのシーンは、視覚情報上ではほとんど何も見えない。
音声ガイドで見えないものを描写することでは、勝手な創作になってしまう。
土を削り、砂を払う微細な音。具志堅さんの息。そうした音を頼りに映画が組み立てられていくこと、その音に耳を澄ましてしまうことに、映画における音の力を感じる。


また、私が初めて本作を観た時に一気に引き込まれたのは、若くして戦争で亡くなった大叔母の写真を「見る」、その妹(監督の叔母)のシーンだ。
老人ホームの一室、ベッドの上で暮らすその妹が、次第に記憶が戻ってきたように、手に持った姉の写真に向かう目が変わっていく。
「眺める」、「見る」から「見つめる」になる。
言葉とそれを繋ぐ順番によってその人の動きとそこに表れる感情を描写しようとする音声ガイドは、とても繊細なものだと改めて痛感した。


本作には映画を介して過去に生きた人々と観客を繋ぐシーンがある。
沖縄戦当時のアーカイブフィルムに映る村の人々が、そして平和の礎の刻銘碑の名前を読み上げた人々が、カメラを真っ直ぐみつめるいくつものカットだ。
このシーンについて、音声ガイドの監修をしてくださった奥間監督が、「ポートレート」という言葉を使うことをご提案してくださった。
そして本編の中で、具志堅さんは、<動物の中で個体ごとに名前を持っているのは人間だけ。名前を呼ぶことでその人が存在していたことを伝えてあげることになる。>ということを話される。
平和の礎に刻まれた名前。それを読み上げるプロジェクトに参加した人々のポートレートが続く一連のカットを音声ガイドで伝えようとする時、音声ガイドでは実際に、その人の「名前を呼ぶ」ことになる。
「Aさんのカメラをまっすぐ見つめるポートレート。」とはじめに述べ、続くカットでは「Bさん。」などの名前で表した。
こうして音声ガイドを書いた後、名前によってその人の存在を確かめていることを、改めて実感する。

『骨を掘る男』を観て、大島渚監督の「敗者は映像を持たない」という言葉を思い出していた。
本作にも米軍の管理するフィルムでしか、アーカイブ映像は登場しない。
しかし、『骨を掘る男』は「勝ち負け」の後にも映画が可能とすることを映してくれたように感じる。
勝者のみが持つ映像によって、かえって「残らなかった/映らなかったもの」の存在があることも示される。
そして、「残らなかった/映らなかったもの」を感じ続けようとする人々が存在している。
みつめ返すような骨や今を生きる人々の存在を記録することは、時間を超えて存在を繋ぐことなのではないか。
その存在と、映画を介して繋がった今、具志堅さんの言葉が響く。
戦没者に対する最大の慰霊は二度と戦争を起こさせないこと。

私は『骨を掘る男』から受け取ったものがたくさんあった。
あらゆる人が、映画館で、大切な時間をお過ごしいただけるようにと想う。

文:スタッフ柴田 笙

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●8月3日は奥間監督に舞台挨拶をいただきました。


●沖映社ポッドキャスト

新旧問わず主に“社会派”な映画を取り上げ、その作品についての感想や見どころ、社会性などについて沖縄出身の二人からの視点で語るPodcast番組「沖縄と映画と社会と」。
一ファンの私ですが、『骨を掘る男』回も公開されたことをご紹介させていただきます!


●上映情報

8月1日(木)~8月16日(金)
 10時00分~12時00分
*7日(水)休映 *14日(水)は上映あり
(2024年製作/115分/日本/ドキュメンタリー)
※バリアフリー日本語字幕・音声ガイドあり

撮影・編集・監督:奥間勝也
整音:川上拓也 カラリスト:田巻源太 音楽:吉濱翔
共同製作:ムーリンプロダクション、Dynamo Production 製作:カムトト 配給:東風
(C)Okuma Katsuya, Moolin Production, Dynamo Production


シネマ・チュプキ・タバタはユニバーサルシアターとして、
目の見えない方、耳の聞こえない方、どんな方にも映画をお楽しみいただけるように、全ての回を「日本語字幕」「イヤホン音声ガイド」付きで上映しております。

●当館ホームページ「シアターの特徴」

皆様のご来館、心よりお待ちしております!

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