『ラジオ下神白』音声ガイド制作記

『ラジオ下神白(しもかじろ) あのとき あのまちの音楽から いまここへ』。
1月4日より上映です!
福島県復興公営住宅を舞台にした、ちょっと変わった被災地支援活動。
「被災者」という括りでは収まらない、一人ひとりの人生が滲んだ声の記録。

自身の人生を語る人、それを聴く人。支援者/被支援者、当事者/非当事者を超えたつながりのかたち。
音楽と人びとを通じて起き上がる”その人”の記憶が、スクリーンを通して”わたしたち”に宿るような体験。
話されたことや話してもらえたあの空間が「今」に還り、さまざまな想起を生んでくれます。
新たな年こそ、あのとき・あのまち、その人とのつながりに、想いを馳せていただければ。

● 1月4日(土)から1月17日(金)まで、連日14時15分よりの上映です。

●小森はるか監督作同時期上映● 
⚪︎『息の跡』1月4日(土)~1月10日(金) https://coubic.com/chupki/4130209
⚪︎『空に聞く』1月11日(土)〜1月17日(金) https: //coubic.com/chupki/2768813


「ラジオ下神白」とは、文化活動家のアサダワタルさんが中心となり、”2016年から、まちの思い出と、当時の馴染み深い曲について話を伺い、それをラジオ番組風のCDとして届けてきたプロジェクト。”
2019年には、被災地へ想いを馳せながらも今まで関わりを持てなかった人々を招き、「伴奏型支援バンド」を結成。カラオケから生演奏へ、住民さんの思い出の曲をバンドが演奏し、住民さんが歌うという活動もスタートさせた。

このプロジェクトに触れれば触れるほど、たくさんのあたたかな気持ちが生まれる。
自分が生まれる前の歌謡曲に”憶える””懐かしさ”。
アサダさんの著書で触れた「想起」という言葉の躍動性。
団地の住民さんたちの、音楽を通して暮らしが開かれ、人生こそが”表現”となる可能性。
”震災後”の、当事者/非当事者、支援者/被支援者のボーダーを溶かしていくような、「豊かなかかわりあい」の存在。

音楽・表現・記憶・記録・コミュニティ・震災。。
色々と語り得る”トピック”はあるだろうが、そのどれものあわいを緩やかに編んでいくようなこのプロジェクトには、目から鱗の連続だった。
まず映画『ラジオ下神白』を観て、こうした気持ちを抱いていたのだが、
プロジェクト「ラジオ下神白」には、それを表すさまざまな媒体が存在する。

伴奏型支援バンドと住民さんによる、<福島県営復興住宅 下神白団地の住民さんとつくった「青い山脈」ミュージックビデオ>。https://youtu.be/dQ9GnDQP9i8
音楽作品として住民さんの歌声と語りが奏でられる、CD「福島ソングスケイプ」。
ラジオCDの文字起こしや活動年表が記された、ドキュメントブック「ラジオ下神白 あのとき あのまちの音楽から いまここへ 2017-2019」。
様々に記録され表現されてきた「ラジオ下神白」であるが、それらに広く多く触れることで、先ほどとりあえず上げたトピック(音楽・表現・記憶・記録・コミュニティ・震災)やその他それぞれが思うものに、円環的に迫っていける。
良い意味で多義的で、しなやかで、奥深い「ラジオ下神白」。
では、映画では何が映され、起こっているのだろうか。

目の見えない人にも映画『ラジオ下神白』をより深く体験していただけるように、音声ガイド制作に取り掛かった。
音声ガイドとは、視覚情報を音声・ナレーションに翻訳して伝えることだと私は考えている。
今回の制作は、その体制や過程も今までにないもので新鮮だったのだが、ここでは音声ガイド制作・主に台本制作に絞って書いていきたい。
それを通して、より本作の”おもしろさ”を感じていただければ。


まず、音声ガイド制作において重要と感じたのは、[ものすごく「日常的な事柄」]をいかに言葉に拾い上げるかということだ。
[ものすごく「日常的な事柄」]とは、本作パンフレットにアサダさんが寄せている文章にある言葉である。
例えば、道路沿いのプランターの花に水をやること。お饅頭を食べながら話すこと。
他には、部屋に置かれた造花の大きな花や、インタビュー中にもテレビに映ったままの高校野球などもそうだろう。
実際に下神白団地のクリスマス上映会にお邪魔した際も、「花の水やり」で笑いが起きていたことに驚きつつ、嬉しかったことを覚えている。
映画に映る何気ない瞬間が、その人・そこに暮らす人々の日常を表現へと組み替えるフックとなっているかのようだ。
その人を表しつつ、”その人”からその人がいた”空間”、”時間”を想起させる。映画から一度想起の現場が立ち上がれば、あとは幾重にもおしゃべりの花が咲いていく。
[ものすごく「日常的な事柄」]を目の見えない人とも共に感じ取れるように、映画に映る一つ一つのことを、言葉に掬い取っていかなければ。
見えているものを言葉にすることが音声ガイドの基本ではあるのだが、その基本に改めて向き合うと共に、映画とういうものが映し得るもの・ことの深さを感じ入る。映画には、多くのことが映り込む。それは、撮らせてくれた下神白団地の住民さんたちとのプロジェクトメンバーとの関係性によって映ったものであるのだろう。


次に、そして何よりも、『ラジオ下神白』の音声ガイド制作で肝となるのは、”音”の重なりとそれによって立ち上がる空間をどう表すかだ。
本作を観るなかで、様々な音が重なる。
ラジオでのインタビュー、DJとしてのナレーション。今度は劇伴として用いられたBGM。
カメラの前で話される声。風や海の環境音。
また、”無音”という音を生むテロップ。
そうした音の編集が、見ていて音の出所が変わったことに一瞬気づかないほど、シームレスに行われているのだ。
音が合わさり、織り重なり、”見ているもの”からは発せられていない音までをも”観る(「観賞」の「観」)”映画体験となる。
見えないものからの音が、見えているものを解体し、昇華させる。
見える/見えない、聞こえる/聞こえないのレイヤーが幾重にも重なるからこそ、出来事を追うのではなく、
「ラジオ下神白」が行われていた空間そのものを、観ている今まさに体験できるのではないだろうか。
音声ガイドを通して本作を観ても、この体験を味わいたい。

そこで鍵となったのが、小森監督の映した風景を言葉にすることであった。
『ラジオ下神白』に映る風景は、音と同列のものとして紡がれている。
特にラジオでの語りの声と共に画面に映る風景は、
そこにいる人が目を向けていた景色として、その人の存在が表れるものとして、映画に在る。
音声ガイド制作は、声と織り重なり挿入される風景のショットを、音声ガイドでまた”声”に翻訳し、映画に載せていく作業だ。
語りの音声にぶっきらぼうに重ねてしまい、肝心な声をを聞き取れなくしてしまう”声”であってはならず、
短く、美しく、音声ガイドの言葉を紡いでいかなければならない。
映っているものを、そのものの説明のみではなく、映る時間・タイミングまでをも含め一言で表さなければならない。
体言で、映るものを瞬時に立ち上がらせ、語りの声に溶かしていこうとする。
その作業は、一観賞者として本作と向き合う上でも、とても豊かな体験を与えてくれる姿勢であったと思う。

また、住民さんの部屋で話を聴く際にそこに射しこんでくる光も、音声ガイド制作の上で印象的だった。
カメラが引きの画になり、「ラジオ下神白」メンバーと住民さんを映す時、音も切り替わる。
音は、人々がその時その場で発する声から、画には同期していない、同じ人々によるラジオでのインタビュー音声になるのだ。
そうして、見える/見えない、聞こえる/聞こえないのレイヤーが多層化する映画のリズムを、音情報である音声ガイドでも表すために、部屋に指す光や光を通す窓を描写することで試みた。
単に「話している4人。」などと音声ガイドの言葉を置いてしまうと、「ラジオCDの収録風景に切り替わった」また「ラジオCDの収録が始まった」などのイメージを呼んでしまうかもしれない。
それでは、画に同期していない声が与えてくれる、”浮遊感”のようなものを伝えられなくなってしまう。
その”浮遊感”こそが、出来事を追うのではない、その声が生まれた空間そのものを、今まさに体験することを呼び起こすのではないだろうか。
そこで音声ガイドでは、「誰が何をした」という因果関係の説明ではなく、光や窓から感じる空間そのものの描写にこそ力を注いだ。
目で見ていても”見えないもの”・”フレームの外”までをも感じるように、耳で聴く音声ガイドでも、その声が生まれた空間そのものをイメージできるように。そうして、見える/見えないの映画体験を繋いでいければ。


ほかにも、その人の人生が現れるようなカラオケで歌う動作の描写や、名前でその人を呼ぶことの意味など、音声ガイド制作を通して感じたことは尽きない。
「ラジオ下神白」メンバーが、下神白団地の住民さんたちとつくってきた空間自体が、"表現"となり、映画に映っている。
自身の人生を語る人、それを聴く人。支援者/被支援者、当事者/非当事者を超えたつながりのかたち。
音楽と人びとを通じて起き上がる”その人”の記憶が、スクリーンを通して”わたしたち”に宿るような体験。
話されたことや話してもらえたあの空間が「今」に還り、さまざまな想起を生んでくれる。
新たな年こそ、あのとき・あのまち、その人とのつながりに、想いを馳せていただければ。

文:スタッフ柴田 笙


●ドキュメントブック「ラジオ下神白 あのとき あのまちの音楽から いまここへ 2017-2019」
こちらからダウンロード、または資料の郵送が可能です↓
https://tarl.jp/archive/2019_astt_shimokajiro/

●小森はるか長編監督各作のパンフレット・DVDなどのほかに、物販も多数お取り扱いいたします。
住民さんの歌が収録されたCDで聴く、歌に現れるそれぞれの人生。
ラジオのドキュメントブックで読む、語りが生まれた想起の現場。
小森さん過去作で観る、風景とその土地に生きる人の姿。
アサダさんの書籍で辿る、「ラジオ下神白」に至るまでの道のり。思想と実践の歴史。
映画と共に触れていただくと、さらにさらに「ラジオ下神白」の魅力と”深さ”を感じることと思います。
・CD『福島ソングスケイプ』
・アサダさん書籍『想起の音楽』(水曜社)
・アサダさん書籍『住み開き 増補版——もう一つのコミュニティづくり』(筑摩書房)
・アサダさん書籍『表現のたね』(モ・クシュラ)


●上映情報
1月4日(土)〜1月17日(金)
  14時15分~15時30分
*8日,15日(水)休映

監督・撮影・編集:小森はるか
出演:下神白団地の住民さん アサダワタル 榊 裕美 鈴木詩織 江尻浩二郎
伴奏型支援バンド(池崎浩士・鶴田真菜・野崎真理子・小杉真実・岡野恵未子・上原久栄)ほか
編集・整音:福原悠介
ミュージックビデオ撮影・録音協力:齊藤勇樹、長崎由幹、福原悠介
企画:アサダワタル
デザイン:高木市之助
広報物編集:川村庸子
協力:一般社団法人Teco、県営下神白団地自治会、市営永崎団地自治会
製作・宣伝・配給:ラジオ下神白
公式ホームページ:https://www.radioshimokajiromovie.com
©️ KOMORI Haruka + Radio Shimokajiro

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