石井健介さん(映画『こころの通訳者たち』出演者インタビュー Vol.2)
「"舞台手話通訳"に"音声ガイド"をつける」という前代未聞の挑戦を追った映画『こころの通訳者たち』。そこには多様なバックグラウンドをもつ、魅力あふれる人たちが、知恵と想いを寄せ合い参加していました。
映画だけでは伝えきれない、出演者の方々お一人お一人のライフヒストリーや普段のご活動、今回の音声ガイド作りの感想などを、インタビューでお聴きしました!
今回ご紹介するのは視覚障害者モニターとして参加されていた石井健介(いしい けんすけ)さんです。
ーーまずは、石井さんのこれまでについて聞かせてください。目が見えなくなるまではどんなことをされていましたか?
石井:僕は小さい時からファッションが大好きだったんです。ファッションを学んで販売員として働いていたんですが、「バイヤーの仕事がやりたい」と気づき、英語を勉強してロンドンに留学しました。
帰国後はアパレルメーカーで営業をしていましたが、ファッション業界のスピード感や大量廃棄の仕組みに疑問を感じるようになり、環境負荷が少なく人権にも配慮するプロダクトを扱う会社に転職しました。その後、娘が生まれたのを機に、子育てに積極的に参加したいということもあってフリーランスとして独立したのですが、5年ほど経った頃に目が見えなくなりました。
ーー目が見えなくなってからはダイアログ・イン・ザ・ダーク(※1 以下DID)でも働いていたんですよね。
石井:DIDでは約3年間働いていました。昨年9月に退職して、現在は、「無味無臭無職」と周りには言っていますが(笑)、失業保険や社会保障を受けながら生活しています。社会保障って生活保護もそうですけど、ネガティブに捉えられることが多いじゃないですか。最近はベーシックインカムに関する議論も盛り上がっている中で、自分で、その「みんなが持っている権利」を使ってみようと思って。
そしてその保障を受けている期間、自分が楽しいことや関わる人の幸せにつながることだけをやってみようと、実験しています。具体的にはワークショップの企画や、セラピストの仕事をしています。
ーー目が見えなくなった経緯についても教えていただけますか。
石井:ある日突然、目が見えなくなりました。正確には弱視で、いま目の前にiPadを置いていますが、これが「ある」っていうのは少し分かる感じです。
前触れはほぼなかったんですよ。見えなくなった前々日に喫茶店のメニューの一部に白く見えづらいところがあったから、翌日眼科で検査を受けたんですけど「異常はないですよ、疲れ目じゃないですか」と言われて。そうしたら次の日の朝には見えなくなっていました。
急いで再び眼科に行きましたが、それでもやっぱり眼球のほうは何も問題がなくて…。結果的に難病指定されている「多発性硬化症」という診断をされました。自分の免疫が暴走して正常な神経を攻撃してしまう病気で、僕の場合は視神経が傷ついてしまったようです。
ーー見えない、治らないことが分かって、最初にショックだったことは何でしたか。
石井:娘の顔が見えないのが1番辛かったですね。当時娘が約3歳半で、下の息子も生まれて3ヶ月くらいだったんです。フリーランスになって娘と過ごす時間が長かった分、もうこれからは子どもと2人で出かけられないんじゃないかとか、自分が理由で娘がいじめにあうんじゃないかとか考えてしまって。子どもの物心がつく前の今のうちに俺がいなくなった方が、家族にとって幸せなんじゃないかとも思いました。最初の3日間くらいは死ぬことしか考えてなかったですね。
ーー精神的にはどん底のような状態ですよね。そこからどうやって変わっていったんでしょうか。
石井:僕が急に目が見えなくなったこととかを、妻に僕のSNSから投稿してもらったんです。そうしたらたくさんの人が応援のコメントをくれたり、お見舞いにも来てくれたりして、それは真っ暗闇のなかに指してきた「光」でした。周りの人がいなかったら、こんなにあっけらかんとしていられなかったと思います。
ただ、人と会ってる時は元気だったんですけど、見えなくなったショックで心がめちゃくちゃ無防備になっていたからか、感情や気持ちの波はすごくありました。だからそれにもあらがわずに、落ちる時は落ちよう、嘆き切ろうってしたんです。
でもそうやって自分が落ち込んでいると、家族や自分が大好きな人たちも悲しそうだってことに気づいて。それは自分が望んでいることじゃないよなって。そこから「光が見えないんだったら、自分が光ればいいんだ」と思うようになりました。
ーーそこから今の笑顔が素敵な石井さんになっていかれたのですね。見えなくなってから、ご自身のコミュニケーションの取り方が変わったなと思うことはありますか?
石井:ありますね。1番大きいのは、誰とでもフラットに話せるようになったことかな。
ーー前は違ったんですか?
石井:そう、コミュニケーション能力の高い人見知りだったんですよ(笑) 。ファッション業界にいたから、最初に会ったときの見た目や格好で、その人を判断しちゃっていたんですよね。その“外見フィルター”が見えなくなったことでなくなって、スッと入れるようになったので、すごく楽になりました。目は不自由なんですけど、心は自由になっている気がします。
ーー目が見えなくなって、社会における障害者への意識について何か気づいたことはありますか?
石井:視覚障害者の職業訓練学校に通ったり、DIDで働いたりする中で、マイノリティ側からマジョリティ側への「バリア」もすごくあることに気付きましたね。
例えば白杖を持っていると、周りの人が声をかけてくれることがあるんですけど、助けが必要ないこともあります。そういう時に声をかけられたりすると、鬱陶しく感じてしまって、冷たく突き返してしまったり、ひどい言い方で断ったりしちゃう人もいるんですよね。「これってすごいバリアじゃん」って思って。
マジョリティ側とマイノリティ側が、互いに無意識なバイアスをかけていたら、いつまでもバリアが埋まらないなって感じたんですよね。
ーー健常者側、障害者側、それぞれのバイアスがある。
石井:そうそう。あとはあくまでも「個人」として見ないとわからないことがあるということにも気付きました。同じ視覚障害者のなかでも、何かに長けている人もいれば、そうではない人もいるし、たとえばDIDはすごくコミュニケーションを求められますけど、そういうのが合わない視覚障害者もいる。「視覚障害者」という一つのラベルでくくってしまうと見えなくなっちゃうことがいろいろあるんじゃないかと思います。
加えて、今の僕には同じ視覚障害の友達もいれば、聴覚障害の友達も、車椅子ユーザーの友達もいます。その友人たちと例えばお茶をしながらおしゃべりするときに、彼らの障害ってあまり関係ないんですよね。“見えない”友達、“聞こえない”友達って形容詞をつけるのも違和感がある。僕も”見えない友達”という感覚で付き合われるんじゃなくて、「そういえば見えないんだったね」ぐらいの感覚で接してもらったほうが楽ですし。
そしてだからこそ、僕はリアルな日常のなかで障害者の人たちと出会ってほしいなと思っています。
ーー日常のなかで出会うという意味では、今回の映画『こころの通訳者たち』の舞台である、誰もが一緒に映画を楽しめるユニバーサルシアター、シネマ・チュプキ・タバタは、そういう場所のひとつでもある気がしますね。石井さんはチュプキとはこれまでご縁があったのでしょうか?
石井:存在は知っていたんです。僕の友人で、奥さんが見えて、旦那さんが見えない夫婦がいるんですけど、二人で同じ映画を一緒に楽しめるから、よくチュプキに通っているっていう話も聞いていましたし。でも僕が普段住んでいる場所からは遠いこともあって、これまで行けていなかったんですよね。だから今回の機会はうれしかったです。
ーー実際に行ってみての印象はいかがでしたか?
石井:劇場で上映するすべての作品に、バリアフリー字幕と音声ガイドをつけているじゃないですか。しかもたった20人程度しか入れない規模の空間で。それって電卓を叩いていたらできないと思うんですよね。それをやっている平塚さんとスタッフの人たちはすごいなと思います。
ーー石井さんはこれまで音声ガイドを使って映画を観たことはありましたか?
石井:実は今までなかったんです。見えなくなってから映画館には全然行かなくなってしまって。 映画は大好きなので、iPadだったらすごく近づければなんとか見えるから、配信されているものを家で観ることはあるんですけど。
ただ、DIDにいた頃、職場に聴覚障害の方がいて、手話のことをもっと知りたいっていう気持ちはあったんです。僕には相手の手話が分からないけど、僕の手話は相手には伝わるから、相手の言葉でコミュニケーションをとりたいと思って、手話を教えてもらったりもしていました。だから、今回のプロジェクトにはワクワクした気持ちで飛び込みましたね。
ーー音声ガイド自体が初めてななかで手話を音声にするという、さらに新たな挑戦でしたよね。参加してみていかがでしたか?
石井:最初は皆、頭の上に「はてなマーク」が浮いている感じですよね(笑)。手話の動きを言語化するのか、手話の言葉を言語化するのか、どこにスポットを当てるのかを決めるまでが難しかったです。
加えて、手話は、差別を受けながらも、ろう者がとても大切にしてきたという歴史があります。音声ガイドとして言語化する時にそこを置いてはいけないし、当事者からの声もしっかり聞くということが大切だったと思います。
だからこそ、ろう当事者で、同じくろうの方々に観劇の支援などをされてきた廣川麻子さん(※2)が、「これもチャレンジだから、やってみたらいいと思う」と言ってくれたのは大きかったですね。そこで一気に場が進んだ感じがしました。
何よりも、誰もがどうなるかわからなかったけど、諦めなかった。楽しみながら「どうしようか」って対話しつづけていけたことがすごくよかったなって思います。
この映画を見た方からは、賛否両論あると思います。むしろ、反対意見がない方がおかしいかなって。今回の音声ガイドは、ここに集った人たちが導き出した答えであって、関わる人が変わったら全然違う答えになると思うんです。この映画は「正解」ではなくて、あくまでも答えの1つでしかない。そのことは、しっかり伝えていきたいなと思いますね。
ーーそんな音声ガイド作りの経験を経て、石井さんご自身の何か変化はありましたか?
石井:ガイドに対する抵抗がなくなりましたね。なんなら周りに「ガイドつけて観るといいよ」ってオススメしたくもなります。先ほどお話ししたように、iPadを目の前に近づければ、映画の雰囲気は分かるんですけど、表情とかまでは分からないので、そういうのを音声ガイドが補ってくれたり、自分が見えていないところにフォーカスを当ててくれるんだってことに気づきました。
それに、音声ガイドならではの楽しみ方みたいなものもあるんですよ。 たとえばディストピア系の映画を音声ガイド付きで観たときに、結構残虐なシーンが多くて。目が見えていたら、目を覆いさえすればそのシーンから逃げられるんですけど、音声ガイドは「内臓をえぐる」みたいな残虐な描写を淡々と説明してくるんです(笑)。音声ガイドからは逃げられない。状況の説明としての音声ガイドではなくて、怖さを倍増させるものとしても、もしかしたら音声ガイドって使えるかもしれないなって。
ーー目が見える人も敢えて目を閉じて音声ガイドでホラー映画を鑑賞してみたら、違う怖さがありそうな気がしますね。
石井:そうそう。ガイドだけで想像してみるっていうのもおもしろいと思います。たとえばセミの見た目ってちょっと気持ち悪いと感じる人もいるじゃないですか。でも、セミを一度も見たことがない見えない人に「セミって美しいんだよ」っていったら、その人の頭の中には、美しいセミが生まれる。そうすると、セミの鳴き声も見える人とは違って聞こえてくるんじゃないかと思うんですよね。
少し話がそれてしまいますけど、視覚情報を閉じるからこその面白さってあると思うんです。目が見えなくなってから劇団四季のライオンキングを観に行ったとき、音声ガイドがなかったから、やっぱり分からないところも多くて、途中から、舞台上の演技を知ろうとすることを放棄したんです。それよりも「舞台上の命を感じよう」って思って。そうしたら、物語に対する感動だけでなくて、「その場に人がいて、作り上げている」ということにすごく感動したんですよね。
ーー頭で理解するのではなくて、存在や感情をそのままに受け止めるからこそ、感じられるものがあると。
石井:今回の『こころの通訳者たち』も、ぜひガイド付きで観てくださいって言っているんですけど、本編についているナレーションと、本編についている音声ガイドと、さらに映像の中でトライしている音声ガイドの声と…ものすごい情報量なんですよね。だからそれを頭で理解しようっていうんじゃなくて、楽しんでもらえたらいいんじゃないかと思いますね。
(Interview:アーヤ藍、Text:原田恵)
石井さん、ありがとうございました!
ドキュメンタリー映画『こころの通訳者たち What a Wonderful World』は、2022年10月1日(土)よりシネマ・チュプキ・タバタにて先行公開、10月22日(土)より新宿K's cinemaほか全国順次公開します!
映画をご覧いただいたあとに、この記事を読み返していただくと、映画の裏話もさらにお楽しみいただけるのではないかと思います。
それでは、皆様のご来場をお待ちしております!