『ほかげ』音声ガイド制作記

上映は4月16日まで。
水曜休館日を除き、12時35分~14時15分で上映しております。
戦争に近づく現代に届けられた、ずっと戦後であるための祈りの映画です。
●全20席の劇場ですので、ご予約をお勧めしております↓


塚本晋也監督の最新作『ほかげ』。
これまで塚本監督が「戦争」を描いた『野火』『斬、』を経て、本作は戦後すぐの闇市を舞台に、人々・庶民が生きている様を映した映画である。

塚尾桜雅(つかお・おうが)さん演じる「子供」(戦争孤児)の瞳を軸に本作は物語られる。
登場人物たちの視線の交わりや、動きによって、映画の一瞬一瞬が次々と繋がっていく。
音声ガイドを書くに当たって、本作は「眼差す映画」だと感じた。

「見る人」から「見られた人」へ画面が切り替わることで、観客もその人の視線や視点の切り替わりに誘導されていくといった風に、物語が進められるのは映画としてはよく使われる手段である。
だが『ほかげ』にはとりわけ、「眼差す」力を感じる。

「眼差す」とは動詞、つまりアクションである。
「子供」(戦争孤児)の他に、主要人物である「女」(趣里(しゅり))、帰還兵(河野宏紀(こうの・ひろき))、テキ屋(森山未來(もりやま・みらい))。
その視線の動きによって次のショットが紡がれる。「見る人」「見た人」「見たもの」が次々つながっていく。
目眩くカットは、塚本監督のリズムである。
塚本監督の映画には、塚本監督のリズムがある。

「眼差す」アクションの中で人が繋がり、映画の運動を産んでいく。
観客はただ傍観するのでなく、そのリズムの中で、登場人物に重なって映画を観る。
「眼差す」力を前に、というよりその力の運動の中に入り込んで、同化してしてしまうような映画体験。
いつしか私は、戦争の記憶を自分ごととしてつめていたのではないか、と感じる。


この「眼差す」力、それを感じるリズムをどう音声ガイドで表すか。
これが今回音声ガイド制作にあたっての課題であり、実験であった。

音声ガイドとは、視覚情報を言葉・音声に翻訳するものだと私は考えている。
「誰が何をするのか」「何がそこにあるのか」「聞こえた音の発信源は何なのか」、
目で見ないとキャッチできない視覚情報を言葉で置いて表していく。
音声ガイドの台本制作作業では、ワンシーン・ワンカット・ワンショットを逐一見て聴いて、最善のタイミングに適切な言葉を、最小限の形で紡いでいこうとする。
修飾語を多用して文章を長くしてしまったり、あやふやで抽象的な単語を用いようとすると、たちまち音声ガイドを聴いて映画を観る人の映画空間を壊してしまいかねない。
映画のリズムを崩してしまう。

また、画に合わせて同時に言葉を置くことも必須である。
様々な例外はあるが、音声ガイドで「〜した」と過去形の文章を使ってしまうと、目の見えない人を置き去りにしてしまうことになる。
同じ空間・同じ時間で映画を体験したいのだとある人が伝えてくださったことがあった。
映画を観ることは、ただ物語を追う・わかることではなく、やはりその時間・空間で体験することなのだと感じる。


なので、ショットが次々変わる本作も、それらのカットに忠実に音声ガイドの言葉を置いていく。
カット代わりは、音情報のみで感じる場合もあるが、直接的には視覚情報である。
視覚的な映画のリズムを、「眼差し」の流れを、音声ガイドでも損なわないようにする。

こうした、「なるべく短い言葉で」・「カットに忠実に」音声ガイドをつくるという課題を自分なりに設けて臨んだ中、二つの実験をした。
①は、一つの音声ガイドの文章をそのまま一つのショットに合わせるのでなく、文章の中での単語同士が繋がるタイミングをカット代わりに合わせること。
もう一つの②は、カットの終わりに音声ガイドの終わりを合わせること。

どんなに言葉を短くしても、全てのショットで、そのショットを表す音声ガイドを読む時間と一つのショットの時間を合わせるのは不可能である。
この制約がある中で、どのショットもこぼさないように音声ガイドをあてるために、
ショットそのものでなく、そのショットの繋がりを、映画の時間を、「眼差す」運動自体を、音声ガイドで表すようにする。

①に対しては、
音声ガイドの文章自体でそのショットを完結させるのでなく、
ショットの運動の中に、音声ガイドの文章単語間の流れを同期させていく。
文章の中での単語の切り替わりを、ショットの切り替わりに合わせていく。
これにより、一つのショットに対しての音声ガイドの尺は、自ずと短くできる。
映画のリズムを保ちやすくなる。

そして②に関しては、本作によく現れる視点ショット(その人の視点になり"もの"や"風景"を映すショット)を、カットが短くどうしてもそのタイミングで音声ガイドを当てられない場合に対して用いた。
視点ショットに映る前のショット(見つめる本人の顔のショット)の終わりのタイミングに合わせて、「何々を見つめる。」などの文章で締める。
ショットの切り替わりそのものを音声ガイドで表せなくとも、そのショットが表す映画の流れそのものを、見つめる主体の「眼差す」運動自体を表せるのではないか。
「何々を見つめる」人を想像する助走自体にタイミングの重点を置くことで、次に来る「見つめるひと・もの」を表す音声ガイドがそのものを映画のリズムに則って浮かび上がらせる。
「眼差す」運動を、音声ガイドから、耳から、体験できるのではないか。

このように、私なりの実験を散りばめた音声ガイドとなった。
音声ガイド制作者の小さなこだわりにすぎないかもしれない。しかし少しでも深く突き詰めて映画を伝えたい。
目の見えない人も含めより多くの人に、『ほかげ』の映画のリズムが伝わる、それによって「眼差し」を感じながら映画を体験できる音声ガイドとなれば嬉しい。

とりわけ本作には、素晴らしい音が存在している。
言葉であり「音」でもある音声ガイドは、石川忠(いしかわ・ちゅう)さんの空間を繋げる音楽、北田雅也(きただ・まさや)さんの微細で確実な音響演出に頼り、寄りかかって添えていった。
そして役者の声がある。ときに激しく溢れ出すように放たれる声は、映画のリズムの核となっていると感じる。
音声ガイドが主張するのでなく、あくまで映画の流れの中で、その流れを作る音の中に共存しようとする。
音声ガイドで視覚情報のリズムを表すにあたって、音自体が構築するリズムの世界をより感じた。
多くの人に、劇場で音に包まれながら体験してほしい。

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今回の音声ガイド制作は、
制作・ナレーションに自分、
監修に塚本晋也監督、当館代表の平塚千穂子、
クオリティチェックに風船さん、
という布陣で臨みました。
ありがとうございます。。!

今回バリアフリー日本語字幕は水口琢磨さん、通称水口マネージャーが担当してくださいました。
相変わらずの抜かりのない表記、語尾や音情報、話者名もこだわり抜く繊細な仕事。
音声ガイド検討会にもご参加いただき、細かく見つめれれる目でありがたい提案をたくさんいただけました。
繊細に汲み取られたバリアフリー日本語字幕もぜひ、ご堪能いただきたいです。
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最後に、塚本監督の、中でも『野火』『斬、』『ほかげ』の炎について書いておきたい。
『野火』では、人・もしくは敵の気配を伝える狼煙や爆撃、戦時の記憶として残り続ける燃え盛る炎。
『斬、』では、暴力・刀を生み出す炎。
そして『ほかげ』では、祈りの炎になっているのだと感じる。そう感じたい。
室内を焦がし町を焼け野原にした炎は消え、本作で直接炎が描写されるのは灯りとしての炎である。
灯りの周りで人はご飯を食べ、家族を取り戻すかのようにそばに居る。
ぼんやり映る影に対しての恐怖は、じっとみつめることを続ければ消えていった。
いつしか「子供」と共に眼差していることで、『ほかげ』の描くこの時代この人々を体験する。
もうずっと戦後として、この映画のような炎をみつめたい。


文:スタッフ柴田 笙


シネマ・チュプキ・タバタはユニバーサルシアターとして、
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