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『ある精肉店のはなし』纐纈あや監督トーク

こんにちは、田端の小さな映画館、シネマ・チュプキ・タバタです。
8月16日(水) 『ある精肉店のはなし』上映後開催した、   纐纈あや監督(はなぶさ・あや)のお話をご紹介させていただきます。

今月8の月水曜日は、写真家・映画監督として長年制作をされてきた本橋成一さんの特集上映を開催しています。
『ナージャの村』『アレクセイと泉』『アラヤシキの住人たち』
『ある精肉店のはなし』*8月16,23日のみ
シネマ・チュプキ・タバタでは全作バリアフリー日本語字幕、音声ガイドつきの上映です。
詳細・ご予約はこちら↓


本橋成一監督・ドキュメンタリー映画との出会い


纐纈さんが初めて監督をつとめた『祝の島』(ほうりのしま)(https://www.hourinoshima.com/映画について/)、そして『ある精肉店のはなし』のプロデューサーが本橋成一さん。

元々映画を作るために勉強や修行を積んだ訳ではななかった、という纐纈監督ですが、同じ母校である自由学園の縁あって、本橋監督の映画『アレクセイと泉』に携わることになったとのことで、本作についてのお話から始まりました。


『アレクセイと泉』

纐纈さん)今日ご覧になっていただいた方はおわかりになるかと思うんですが、『アレクセイと泉』も『ナージャの村』も、チェルノブイリの原子力発電所の事故で、放射能汚染地域になったところに住み続けている人たちのお話なんです。
原発のことはほとんど情報が出てこないなかで、そこで日々過ごす村人たちの様子が描かれています。
それはそれはとっても美しくて豊かで、ちょっと笑っちゃうようなユーモアのある村人たちの光景が永遠と続くんですけれども、でも実はそこは非常にあの深刻な汚染を受けている場所であるという映画です。

この映画について、あるフォトジャーナリストからは、こういう映画は危険だと。
放射能汚染の怖さみたいなものをしっかり伝えずに誤解を生むのではないかと。
そういう場所で暮らすということを言うある意味、映画として容認しているということになりかねないというような話があったんですけれども、でも本橋さんは、この村の美しさ、目にも見えない、痛みもしない、臭いもしない、そういう放射能の汚染の中で、「自分たちが汚した土地からどこへ行けって言うんだ」というその村人たちのその様子を描くことによって、ここに暮らし続けなければいけない、村人たちの思いっていうのは想像でしか埋められないんだというようなことを言うわけですね。

私がそこで学んだのは、この世の中、世界には本当に沢山たくさん、悲惨なことや苦しいことや理不尽なことや、それに対してノーと言いたいことも、言わなければいけないことも沢山あるけれども、何かノーというだけではなくて、自分が肯定したい世界はどういう世界なのかと。
自分は何に美を見出すのか。自分の目にはこう見えるという、自分の視点を描くということですね。『アレクセイと泉』などの作品を通して、本橋さんの元にいて、染み込んだような気がします。

ドキュメンタリーにも色んなジャンル、描き方、視点があります。
私はドキュメンタリーは、多様でなければいけないと思っています。

映画で表現したいこと

自分が映画を作るっていうふうになったときに、「祝の島」でしたら上関原発の建設計画にずっと反対し続けている祝島のじいちゃんばあちゃんたちの暮らし、今回の「精肉店のはなし」は被差別部落という地域の中で暮らしているご家族の話なんです。

背景というか、彼らは常にある意味社会との対峙せざるを得ないという状況にある中で、でも私自身の心が本当に第一印象からもうね、心をつかまれてしまったんですよね。

うわーって、何だろうこれ?って。
祝島はもう行った初めて行ったときに、あれ、なんか懐かしい感じがする。
私は東京生まれ、東京育ちなので田舎がないんですね。
なんですけれども祝島に行ったときに、田舎に帰ってきたというような感覚を本当にあのリアルに感じたんです。
なんか知ってるこの感じって思ったんですね。

そしてあの(精肉店の)北出さんたちと出会ったとき、これ映画から伝わってるかなあと思うんですけれども、なんかねとっても温かかったんですよ。

本当に温かくって、あそこの土間のですね、台所に最初通されたんですよね。
とっても緊張しながら話し始めたらなんかね、本当にみんな温かくって。
お昼ご飯食べてくだろうって言われて、出された澄ちゃんのお昼ご飯がこれまた美味しくてですね。
その雰囲気にもう完全に魅了されてしまいました。

もちろんそこに行くまでに、そういう問題と対峙している場所だと、祝島では原発反対をしていて、北出さんのところもいわゆる同和地区という中に入って撮影をさせてほしいというお願いなんてどれだけの厳しいことを言われるだろうかという思いで行ったわけですけれども、最初に会ったときのその雰囲気でですね、もう本当にやられてしまいました。

私が映画を通して、何をしたかったかっていうとその雰囲気を伝えたいっていうこと。
「精肉店」の北出一家、「祝の島」のじいちゃんばあちゃんたちの雰囲気に心掴まれてしまった。その雰囲気を伝えるって映像が最も優れた媒体じゃないかなって思います。

表面的なことではない、言葉だけではない、そこに込められている空気みたいなもの。
だから通って通って。北出さんのところは歩いて5分のところに部屋を借りまして、そこを拠点にして、1年半ぐらいですね、お金集めしたりしなきゃいけないので東京と大阪行ったり来たりしながら、毎日のように北出さんのところに通っていました。

通う中で私はそういうものを掴みたいし、実際その場所に行ったりその人に会ったりするといっぱいいろんな物を貰うんですね。
それって決してメディアからマスコミの報道で聞こえてくるニュースには載ってこないことだし、それこそ学校の授業で教えられたこととは全く違うことだったりもするし、そこに行ってその空間に身を置いたときに感じることで、それをできるだけ映像として再現する、映像の中にそれを掴むみたいなことができたら・・・ということで映画が2本できました。



ある精肉店のはなし
 屠畜、屠場の映像化にあたって


北出さんたちのことを撮らせていただきたい、この映画を作るって決めたときに、本橋さんが屠場にずっと通っていたことも聞いていましたし、最低限の知識もありました。
この屠場の仕事というものが、映像化されたときにどういう反響があるかということや、それを仕事にしている方、その被差別部落の歴史を背負っている地域に入り、映像化されることが当事者の方たちからしてみれば、とても不安に思ってらっしゃるっていうこともとてもわかっていました。わかっていったので絶対最初に明確にしないといけないってすごく思っていたんですね。
それがまずは冒頭のシーン、ノッキングも含めてですね。

できるだけ屠場の仕事を詳細に映像化したものを本編に入れたいっていうことで、それは私自身があの屠場の仕事を見学したときに、これがは今の私の食べること、生きるに繋がってるんだっていう。
なんて今まで他人事だったんだろうっていう、この瞬間を人に無自覚に委ねてきて生きてきたんだっていうのに頭ガツンとやられた感覚がありましたので、まずはそれをみんな、これは自分のことだっていうところで、この屠場の仕事は、1回はしっかり見るべきじゃないかっていう思いがありました。

なのでその映像をちゃんと使わせていただきたいっていうこと、そして2つ目がお名前や、地域名はきちんと出したい。モザイクをかけるということも基本はしたくないですと。
その人がその人であるということをきちんと肯定したものとして私は映画に出したいと思っていますとお伝えしました。
その上で皆さんにカメラを向けるっていうことを許していただきたいっていうことですね。3つ目が啓発映画を作るつもりはありませんっていうことでした。

その三つとも今思えば大それた、本当に無理、ある意味酷な要求だったと思うんですけれどでも、ここを最初にうやむやにしたら、後で絶対にトラブルというか嫌な思いをする方が出てきてしまうだろうと思いました。


絶対に諦めない

案の定というか、この三つについて書記長からは、あなたの気持ちはわかるけれども私達は解放運動を今までやってきて、部落差別をなくすっていうことに命をかけてやってきたから、あなたがそれに役に立つ映画を作ってくれるんだったらもういくらでも応援したいんだと。
だけれども自分たちは良くても、自分の子供や孫がもしかしたらあなたの映画を見てまた差別されることになるかもしれない。
そうなったらあなたは責任とれますかって言われたんですね。
そういう話になるっていうのも覚悟をしていたんですけれども、いざ言われたときにもう何も返す言葉が出てこなくて。
本当に汗だくだくになりながら、ここで「私覚悟をしてます」とか何にも言えないなって思って持ち帰ったんですね。
持ち帰って、どうしたらこれを突破できるんだろうって、考えても考えても答えは出なくって。
でも、わからないんだけど一つだけ、本当にとっても明確だったことがあって、それは絶対に諦められないってことだったんですね。
もう後には引けないというか、もうここに、目の前に示されてるこのドアを開かないければもう一生次のドアは出てこないみたいな感じで、なので諦めないってことだけ決めて、それで通い続けたんですね。

屠場の閉鎖がもう迫ってたんですけれども、諦めずにとにかく話そうと思ってそのうち皆さんだんだん呆れ顔になりまして、この人何言ってもきかないな、言ってもなんか笑顔で出直してくるみたいな感じになって。
でもこれ、この話し合い続けても埒あかないねみたいな感じになって、最後は諦めモードだったというか、とにかくやってやってみて、何かあったらその時その時で対応するかみたいな感じでですね、でもやると決めたからには、もう僕たちみんなで応援しますっていうような、そういう形で地域の方たちと一緒に作るスタートを切りました。

お客様から)
今日はありがとうございました。
少し前に映画のことを知り、屠畜の場面を自分は見ることができるだろうか、と思っていました。最初にもう一発目から出てくるので、わかってはいたけど見みることはできたし、あのやはりその北出さん家族の、暮らしとか人柄とかを見ていく中で、最後にまた詳細に解体の工程が描かれていて、血は出てるんだけど、すごい美しいなと思いました。
一緒に家族にとしてそこに居させてもらえてるような、あの立ち上げてるような感覚を持ったので、本当にそういう気持ちを、寄り添いながら撮影してらっしゃるっていうことが、こういう作品を作っていらっしゃることに、見てる者の1人としてありがとうございますと伝えたくなりました。
この先準備してらっしゃる撮影や、作品について伺えますか。

纐纈さん)
とても嬉しい感想ありがとうございます。
今、制作中のものが二つありまして一つは栃木県の梅平という、旧馬頭町という、今の那珂川町なんですけれども、そこの本当に山をちょっと入っていくぐらいのところに美しい棚田がありまして、そこの棚田の借り入れをすると、そこがコンサート会場になって、年に1回馬頭琴のコンサートをしているんですね。

野外演奏会なんですけども、なんか天然のホールのような素晴らしい音響になるんですよね。
そこ手作りのコンサートをずっと開いてて今年で12年になるんですけれども、その10回記念のあの映像記録っていうのをちょっと映像プロジェクトでやりましょうという話になりまして、それを今まとめているところです。

あともう一つは広島で8月6日に14歳の時に被爆された橋爪文さんという女性と出会いまして、もう4年、5年お付き合いさせていただいてるんですが、今92歳ですかね。
その橋爪さんがとっても素敵な方でして、その橋爪さんのことも今ちょっと撮影をさせていただいています。

・・・・・・・

最後に


映像、映画を作るっていうことでやっぱりどうしても映像主体だから見るということを主で考えてるなと、今日視覚に障害のある方がいらしてつくづく思いました。
映画が総合芸術だってよく言われるのはなぜかと、いつもそれは心に留まっていて。
映像と、音と、そこに時間が流れるっていうこと、時間の体験だというふうに思うんですね。時間を共有しながら体験していくもの。

だから何か、今すごく思ったのは、その時間を作り出していくということに関して、もっともっと自由に私自身想像力を持ってそうすると、いろんな表現の幅が出てくるだろうし、いろんな伝え方ができるんじゃないかっていうことを漠然とですが、今とても感じています。

これは私の宿題として持ち帰りたいなというふうに思いますし、(難聴のお客様から)おっしゃっていただいた、最初に他の劇場で音(と字幕)がない中で見てやっぱりそこにはどうしても情報が足りなかったって、パンフレットに再録シナリオみたいなのがあったらっていうお話もあって、精肉店に関してはその採録は難しいなっていうのはあったんですけれどもでも、そういう観点でも何かもっといろいろできるんじゃないかと、もっともっと自分の五感を働かせて、作品を作る、それは映像っていうことだけじゃなくてもいいのかもしれないぐらいに、今思ったりしています。
たくさん大切なものをいただきました。


ーーーここまでーーー

たっぷりお時間をいただいたトークの中から一部ご紹介させていただきました。
まっすぐで、誠実な纐纈監督のお人柄は、被写体を見つめる視点、映像にそのまま表現されていて、それが伝わるからこそ、広く、沢山の人の心に作品が届いているように思います。

トークの後のサイン会でも長い行列ができ、皆さんご感想やご質問をされていました。

これからも纐纈監督がつくる映画を見続けていきたい、そんな思いに満たされたお時間となりました。



『ある精肉店のはなし』

2023年8月16日、23日(水) 17時30分~19時18分 *2日間限定上映
(2013年製作/108分/日本)  ※日本語字幕・音声ガイドあり

いのちを食べて いのちは生きる

大阪貝塚市での屠畜見学会。牛の命と全身全霊で向き合うある精肉店との出会いから、この映画は始まった。 家族4人の息の合った手わざで牛が捌かれていく。牛と人の体温が混ざり合う屠場は、熱気に満ちていた。 店に持ち帰られた枝肉は、 丁寧に切り分けられ、店頭に並ぶ。皮は丹念になめされ、 立派なだんじり太鼓へと 姿を変えていく。家では、家族4世代が食卓に集い、いつもにぎやかだ。家業を継ぎ7代目となる兄弟の心に あるのは被差別部落ゆえのいわれなき差別を受けてきた父の姿。差別のない社会にしたいと、地域の仲間と ともに部落解放運動に参加するなかでいつしか自分たちの意識も変化し、地域や家族も変わっていった。 2012年3月。代々使用してきた屠畜場が、102年の歴史に幕を下ろした。最後の屠畜を終え、北出精肉店も 新たな日々を重ねていく。いのちを食べて人は生きる。「生」の本質を見続けてきた家族の記録。

監督:纐纈あや
プロデューサー:本橋成一
撮影:大久保千津奈
編集:鵜飼邦彦
サウンドデザイン・整音:江夏正晃(marimo RECORDS
音楽:佐久間順平
制作統括:大槻貴宏
製作・配給:やしほ映画社、ポレポレタイムス社

公式サイト:https://www.seinikuten-eiga.com


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