怪奇、ふくらはぎだけ汚い女。

乗り換えの要である月曜11時の新宿駅構内は連日通り賑わいを見せていた。逆走してくる群衆を鰻のように合間を縫って進む。
小田急への案内を見つけホッとした様は、俯瞰で見るとカッペの教科書のような所作だったかもしれない。
キャリーケースの持ち手に力を込め長い階段を息を吐きながら登っていく。ちょうど今快速が出たばかりのようだ。
小さめな電光掲示板には人身事故のため遅延という見慣れた文字がスクロールされていた。死に際にダイヤを乱すその死に様に、死ぬなら誰にも迷惑をかけずに死ねよと毒づく者も多い。何故そいつがそういった方法で生を絶ったのかはそいつにしか分かり得ない事だが、私が思うに自分が死んだということを誰かに知って欲しかったのではないだろうか。
新聞にもネットにも載らない死者が毎日大量に出るのは周知の事実だろう。そいつはその一部になるのが怖かったのだ。どんな形であれ自分がこの世から消えた証のようなものが欲しかったのかもしれない。だからこそ、ダイヤを乱すのも迷惑をかけるのもそいつの計算通りだったのかもしれない。死んだ後のことなんて今から死ぬ奴には関係もない事のはずだが。
そんな事を考えていると小田急快速がホームに滑り込んできた。降りてくることに備えて左へと半身避けたが、開いたのは反対ホームのドアであった。
ほとんどの人間が降り、選びたい放題の紅のシートが私を迎えてくれた。どういう場に座るのが正解なのか、そもそも正解があるのかはわからないがなんとなく真ん中のシートに腰を下ろした。私から遠い場所からシートは徐々に埋まっていき、出発の時には私の両端に中年がよっこらせと腰を下ろした。
関東にしては静かめに揺れる感覚に心地よさを覚えていると、右目に死神のように佇むリクルートスーツを着た女が目に入った。それが去年窓にもたれかかって揺られていた私と重なった。
個性を極力削ぎ落としたようなブラックスーツは、体系に沿って大きく縁取られており、顔はパンパンに腫れていた。ただでさえ化粧気のない顔がシンプルなメガネによってより陰気さを増しており、不摂生な印象さえ受けた。私は覇気のない女という寸評を面接官でもないのに無意識に下していた。
太っているは生きていく上でかなりのウィークポイントである。私もかつて太っていたから断言できる。世知辛いが食欲を制御できず運動もしない怠け者の烙印を押されるデブが輝くのはアメフトと相撲だけである。

首を左に向けると、シンプルな「いい女」がスマートフォン片手に車窓を眺めていた。
黒い髪はセミロングで首の真ん中あたりまで切りそろえられており、彼女は指先でその髪先をくるくるといじくり回していた。おそらく私より3〜4つ下であろうか、あどけなさも残る幼い顔立ちを、赤く引いた紅でキリッとバランスよく引き締めていた。
目の保養と言っては失礼かもしれないが、すでに失礼のレベルを超えた事を書いたので失礼ついでだ。無意識の内に上から舐め回すように眺めていた。
上は首回りの透けた黒いニット、下に履いた黒にタピオカのような白いドット模様をあしらったスカートは膝下程度まで伸びていた。足元はカジュアルなネイビーのローカットコンバースで纏めており、カジュアルと上品さのハイブリッドのようなファッションには彼女の男を骨抜きにしてやろうという気概さえ感じた。
しかしだ、その目線をスカートとシューズの間にむけた瞬間、あまりの異質感に眉間に皺が寄った。
一言で言えば中年男性のようなふくらはぎ、色は中途半端な白、赤や紫の何かの跡や痣が刻まれており、遠まきで詳細は分かりづらいのだが、きったねぇなぁと言ってしまいたくなるふくらはぎだったのだ。
逆に言えばそれ以外は中の上レベルの装いだっただけに尚疑問が残る。彼女はふくらはぎへの視線を軽視しているのか?いや、そんな娘には見えなかった。彼女の常に髪をいじくりまわしていた所作を思い出し確信する。彼女は人一倍自分の見た目に気を使うタイプだ。自分のふくらはぎの惨状に気がつかないはずもない、尚且つそれを放置する愚行をも犯さないはずだ。ならジーンズやワイドパンツを履く、ロングスカートを履く、ストッキングを履く等やりようは幾らでもあったはずだ。
何故だ、何が目的だ。
ハッと我にかえると、何見てんだよと言わんばかりの軽蔑した視線が彼女から向けられていた。牽制を受け手元の文庫本に視線を落としたが、あのふくらはぎが気になって仕方がない。
チラッと視線を戻すとちょうど駅に降りていく彼女の後ろ姿があった。