近畿大学卒業式 西野亮廣のスピーチに対する個人的見解

近畿大学卒業式 西野亮廣のスピーチに対する個人的見解

2019年3月24日

毎年近畿大学は卒業式に著名人を招き登壇してもらい、有難い言葉を賜って学生を社会に放つのが通例となっている。
過去にはピース又吉氏や堀江貴文氏が登壇したこの場に、平成最後のゲストとして芸人の傍ら絵本作家やビジネスマンとしても活躍されている西野亮廣氏が教鞭を取った。

実はこの年近畿大学卒業生である筆者はこの場で欠伸を噛み殺し、背もたれに体重を預け話を聞いていた。

言葉を扱うことを生業にした漫才師の話術はそれはもう筆舌しがたい高いレベルにあった。
話の抑揚、声、表情、手ぶり、西野氏がこういった登壇経験が豊富であることと、キングコングとしてメディアの第一線をしゃべりで生活していた経験がいかんなく発揮されており、話を聞いていて苦痛ではなかった。

後日ネットニュースなどがそれを取り上げ、電子上で「西野がこんな話をした」という節が駆け巡った。
反響は失礼かもしれないが私が思っているより大きかった。
近大卒ということでよく職場の先輩方からこの話を振られ、アメフト問題時の日大生の肩身狭さに共感できる気がした。

彼のスピーチで最も波紋を呼んだのが時計の下りである。
彼の制作中の著書である「チックタック ~約束の時計台」を元に人生を時計に準えて挑戦することの大切さを説いた。
以下書き起こし

時計の針って面白くて、長針と短針が約1時間ごとに重なるんです。1時5分頃に重なって、2時10分頃に重なって…毎時重なるんですけど、でも、11時台だけは重ならないんです。
短針が逃げきっちゃう。
二つの針が再び重なるのは12時。
鐘が鳴る時です。
何が言いたいかと言うと、『鐘が鳴る前は報われない時間がありますよ』です。
僕にもありましたし、皆さんにも必ずあります。
人生における11時台が
でも大丈夫。
時計の針は必ず重なるから。
だから、挑戦してください。
応援しています。頑張ってください。

反応は2極に割れた。

「響いた、感動した」「前を向いていこうと思った」「挑戦の大切さを知った」

「意味が分からない。」「詐欺っぽい」「胡散臭い」

以下私の解釈。

西野氏の話を要約すると

「挑戦しなければ何も得られない。だから挑戦しろ。
 失敗してもいい。それは後で笑い話になったり教訓に成ったりで役に立つから。
人生辛いかもしれない、報われない時間もあるけど、その報われない時があったからこそ成功が存在する。だから頑張れ」

というものだ。
並みの傾聴力、理解力があればこの結論に至り「西野はこういうことを言っているんだな」という理解に至るだろう。

言ってしまえば悪いがその辺の自己啓発本にごまんと書かれていそうなことを、西野氏の芸人ならではの比喩とテクニックで「めちゃいい話」っぽく見せていた。

私の見解は西野氏があの場ですべき話としてとらえれば、彼の話は満点である。
あの場は「いい話をする」場として用意され、西野氏には「いい話をして学生を社会に送り出してほしい」という近大からのオファーがあり、西野氏はそれを忠実に守りオリジナリティのある切り口で「いい話」をした。
ただそれだけであり、実際に「響いた」人が少なからずいたことを踏まえると私には特に問題があるようには思えない。

「意味が分からない」という人がいるのは仕方がない事だ。
理解しようとすることを放棄し、並の人間ならたどり着く結論にすら至ることが出来ない人もそりゃいるだろう。こういった「並みですらない」がいるから「並みの人」が存在できるから感謝せねばならない。

「詐欺っぽい」は流石に沸いているとしか思えない。
普段から自分で考えることを放棄し、他人の意見や先入観をコピペしたような連中が言っているんだろうが、こうなっては人としておしまいだなと目を細めた次第だ。

以上を踏まえると話の内容よりも「誰が話すか」が如何に大切かを気づかされる。
西野が言っているという反射条件で思考をシャットダウンし、トンデモ結論に至ったネット民が多すぎるなと私は思った。


#西野亮廣
#近畿大学卒業式