
それでもわたしは生きていく
過去に2度、襲われそうになったことがある。
一度目は7年前に行った世界一周中のインドで、二度目は今年の春に行ったネパールで。
どちらも最悪の事態にはならなかったけれど、二度目はお金を取られて全身にアザができた。
人生で起こる出来事は全て、自分自身で引き寄せているという。
心に深く傷を負うような出来事は、どんなふうに受け止めたら良いのだろう。
Our life is what our thoughts make it.
この世界は全て自分の深層心理が映し出されたもの。
相手の反応は、自分が自分自身に抱いている気持ちがそのまま映し出されたものだ。
この時の周りの反応も、まさに私の心の中を映し出したものだった。
まず先に、自分を責める気持ちが湧いた。
滞在している宿に戻った時に、オーナー一家は警察に連絡したり痛み止めをくれたりと、真っ先に助けてくれたけれど、「なんでついて行ったのー?」という言葉が胸に痛かった。
ありがたい気持ちと同時に、悲しくて、悔しくて、恥ずかしくて、涙が出た。
翌日、一週間ほど通って仲良くなったシンギングボウルのクラスの人たちに会えたときには、起きた出来事を少し冷静に考えられるようになっていた。
ネパールやモロッコやスイスなど、国籍のバラバラな友人たちは、誰一人私を責めることなく、「怖かったね。」と言って私を抱き寄せ、
おでことおでこをくっつけて、言葉にならない想いを伝えようとしてくれた。
私の中にも愛はあることを知って、昨日とは違った温かい涙が流れた。
自分を責めたり、相手を憎んだり、すでに起きてしまった出来事を、ネガティブに捉えることはいくらでもできる。
けれど、自分の現実は自分でクリエイトできるのだとしたら、
思う存分泣いて、怒って、悔しがって、涙を流しきったら、
運が悪かったことよりも、運が良かったことに焦点を当てて、これから起きる現実を変えてしまえばいい。
心の世界のことを学ぶようになったおかげで、自然と前向きな気持ちになれた。
首を絞められたけど、今こうして生きてる。
お金を取られたけど、カードも携帯もそのまま残っている。
また、大好きな人に会える。
こんな時でも多角的に世界を見られるようになった自分を、とても頼もしく思えた。
同時に、もう絶対に自分を同じ目に合わせない、と強く心に誓った。
本当は気が進まなかったのに、相手に強引に押し切られてNOと言えなかった自分を反省し、
相手になんと言われようと、嫌なものははっきり断ろうと誓った。
帰国後、これまでは気のせいにしていた
「なんとなく、気が進まないな」「なんとなく、胃が痛いな」という自分の感覚に敏感になった。
「誘ってくれた相手に悪いから」とか「断ると気まずいから」という理由で引き受けていたものを少しずつ断れるようになった。
状況は違えど、頼まれたら断れないという経験を嫌という程してきた。
その度に悔しい思いをしたり、いいように扱われたり、誤解を受けたり、良い思いを一度もしたことがない。
「だったらもう、そのパターンをやめてみたら?」そう、今回の件で言われているような気がした。
過去を振り返って、「あの時あぁしていれば…」と後悔することは多々ある。
その度に私は自分を責めていたけれど、本当はそんな自分を責める必要はないんだって気づいた。
「あぁしていれば…」は、自分の弱さやクセに気づくためのお知らせ。
次に同じようなことが起きた時に、違う選択ができるようになればいい。
そのための気づきの出来事だったと思えば、過去の後悔も少しずつ手放すことができる。
「人生で起こる出来事は全て、自分自身で引き寄せている」という言葉は、
「目の前で起きたことの原因を、自分の内側に探してみると、自分軸で現実を生きられるようになりますよ」という教え。
それは全部自分のせいだよ、という意味ではなくて、
「目の前で起きた出来事が、自分に投げかけているメッセージの中に、生きるヒントがあるよ。」という意味だと私は捉えている。
誰になんと言われたって、わたしがわたしの味方でいる限り、世界はわたしを見捨てない。
きっと、どんな人の心にも言えない傷がある。
言えないことは、そっとしておいていい。
人に言えなくてもいいから、自分の中で聞いてあげてほしい。
辛かった、怖かった、恥ずかしかった。
その時の素直な気持ちを、自分で聞いてあげて欲しい。認めてあげてほしい。
そして、責めないで欲しい。責めなくていい。
「あぁすればよかった」は未来への光。
そしていつの日か、誰かに話せる日がきたら、勇気を出して話してみてほしい。
言えたら、癒える。
ゆっくりだけど、必ず癒えるから。大丈夫。
誰かのもとへ、届きますように。
転んでは、立ち上がり、また前を向く。わたしは生きていく。
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Photo @ Pokhara Nepal
ヒマラヤ山脈の麓の町、ポカラで風になびくタルチョ。旗に記されたお経の願いが、風に乗って世界中に届きますように、という想いが込められている。ネパールのどんな小さな村でも見かける、大好きな風景。