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7月振り返り
今月はなんだか不思議な1ヶ月だった。
大げさに言えば、一度死んで生まれ変わったような。
中旬にあった仙台での仕事の後から体調を崩し、
高熱が出たあと2週間近く喉の不調が治らなかった。
他の人はどうかわからないけど、
私は昔から「生きたい」と「死にたい」が常に背中合わせなところがある。
(ホロスコープでいうと、火星と土星がアセンダント上で重なっている)
少し高めの目標とか叶えたい夢とか、基本的に生きる気力に満ちていないと、あっという間に終わりを考えてしまう。
ゆえに、健やかに生きること(特に精神面)を普段から意識していて、滅多に風邪を引くこともないので、久しぶりに体調もメンタルも崩れなかなか難儀だった。
そんな折、今月は大学の授業の関係で、原始仏教(ブッダの生涯や思想)に関する本をたくさん読んでいて、「人はなぜ生きるのか」「人はなぜ苦しむのか」「苦しみの原点は何か」そんな実存的な問いに深く向き合う時期にも重なった。
誰かに救いを求めるという行為自体にあまり関心がなく、宗教というものを一緒くたに捉えていたけど、ブッダの教えは「己を救うのは己のみ」と実践を説く。その合理性や本質を見抜く力は、そのまま現代科学に通ずるものがあって目の覚める思いがした。
自分の心をよくよく観察してみると、例えば見ず知らずの人の暮らしや成功を目にし、誰かが持っているという理由だけで自分も欲しくなる。そんな欲望が沢山あった。本当はそこまで欲していないのに。
私は昔から外面的・物質的な欲が極端に少ない。20代〜30代の前半を旅に費やしたこともあり、持ち物も人間関係も趣味趣向もあっさりしている。外側の世界で起こることにあまりこだわりがない。(過去生は一つではないけど、強く持ってきているのは、世界を遍歴する修行僧の記憶。)
そんな人間が、必要のない情報や欲望に踊らされて、何が自分にとって正しい生き方なのか見えなくなっていた。今月はそんな中途半端な自分の意思をドロドロに溶かされて、もう一度再生するためのさなぎ期間だったのかもしれない。
私のやるべきこと、目を向けるべき場所は、そこじゃない!
病み上がりから回復すると、そんな声が自分の中から聞こえてきた。
7月に誕生日を迎えて39歳になった。40代を生きる自分が想像できず悩んでいたけど、この1ヶ月を通じてようやく自分の道が徐々に定まってきたように感じる。
いつの時代も、自分の人生を生きるのは自分。
それはいつだって孤独で、それでいて自由だ。
道に迷ったら、自分の内に還るとき。