あったのは、根拠のない「自信」だけでした。
「離婚」からスタートした起業物語。
前回、いよいよ「ブライダル」の言葉がでてきました。
離婚して数日後、
突然訪ねてきた、ビューティーカウンセラー仲間からでた言葉
『離婚したって聞いたから、チャンスと思って!
私とブライダルプロデュースの会社しよう!』
「??????」← わたし
だってブライダルなんてやったことないですもん
『あなたはメイクだけしてくれればいいから!』
何を言っているのか、よくわからん(笑)
そして、私から出た言葉は
『それってお金かかるん?』
なんせ、お金ないですから、
気になるところはそこですよ(笑)
すると、お金はかからない、
とにかく私はメイクをするだけでいい!
というので、
「お金かからないなら、いいよ~」
とあまり深く考えず、
軽い感じでブライダルに足を踏み入れることになりました。
彼女は以前、ブライダルの音響のバイトをしていた経験があるそうで、
その時は「へーーー」なんて思いましたが
今思うと、
よく、それくらいの経験でブライダルプロデュースの会社をしようと思ったものです(笑)
無知って最強!
ブライダルどころか、営業なんてしたことのない私。
とにかく、
彼女の後ろについていって、ニコニコしていました。
だけど、
そのうち、わからないなりに、
だんだんブライダル業界のことがわかってきました。
そして、
彼女のしていることは
プロデュースというよりは、コーディネートだと気がつきます。
今、すでにあるものをお客様に紹介していく
仲介業のような感じです。
「なんか、違う。。。」
そのうち、自分のやりたいことが沸いてくるようになりました。
『コーディネートではなく、結婚式を自分の手で作るプロデュースの仕事がしたい!』
『お客様に喜んでもらえる、世界に一つだけの自由な結婚式を作ってみたい!』
そんな風に思うようになりました。
その気持ちは会社名にあらわれています。
会社名の「Bfree」のBはブライダルとビューティーのB
ブライダルもビューティーも枠はない!自由な発想で!
そんな意味を込めて私が名付けました。
今、あるのもを提案するコーディネートより、
ゼロから自分で作り上げるプロデュースの方が私らしい!
なにより、その方がワクワクする!
次第に、彼女との考え方に相違がではじめ、
だんだんと意見の食い違いやもめ事が多くなってきました。
「このままでは大好きな彼女のことを嫌いになってしまうかもしれない」
決断するなら早くしないと、、、、、、、
9月に二人で始めたBfreeは、その年の12月末に解散。
わずか4ヶ月。
私一人で、
ブライダルプロデュース Bfreeを続けていくことに決めました。
といっても、ど素人の私にブライダルのお仕事なんて入るわけなく。
「これから、どうしよう。」
途方に暮れていた私に一本の電話が。
「産休の間3か月でいいのだけど、私の代わりに働いてくれないかな?」
前職の後輩からでした。
『ラッキー―――!』
10時~15時のパートです!
『神様!ありがとう!』
私!ついてる!
だって、お給料が入るんです!
これは!嬉しい~!
結果的には、
復帰が遅くなり、5ヶ月間パートをすることになります。
その5ヶ月の間。
私は動きました!
そして、
この5ヶ月が私の運命を大きく動かすことになるのです。
乗り掛かった舟です。
この際だからブライダルプロデュースを学ぼうと思いました。
100万円のローンを組んでブライダルプロデュースの勉強をしました。
片道1時間半かけて6ヶ月間、毎週学校に通いました!
よくもまあ、、、100万円も借金したよ(笑)
我ながら呆れますが、
あの時は、不思議と
「やれる!絶対上手くいく!」
そんな根拠なない自信がありました。
そして、さらに
以前、相棒と2人で回った営業先に謝罪に回りました。
実は、営業に行ったときに
ネイルの見本持って行くと約束していた衣装屋さんがあったんです。
当然、そんなことできるわけがなく、
解散して1人でイチからスタートしたこと、
ネイルの見本はできないと
正直に話し、頭を下げにいきました。
すると、
「その潔さが気に入った!」と
社長にとても気に入っていただき
お仕事を紹介していただいたり、
ビジネスのことも教えていただいたりしました。
この社長は実は、着付けの有名な先生で、
「着付けのコンテストで賞をとりなさい!きっと将来あなたを助けてくれるから」
と、着付けなんてしたこともない私に
イチから教えてくださいました。
そして、見事!
賞をいただきました!
先生の言うとおり、
それから着付けのお仕事もいただけるようになり
ブライダルのお仕事も
順調に進んでいきました。
先生は、私の恩人です。
先生との出会いがなければ、
今の私はありません。
ひょんなことから 始まったブライダルプロデュース。
いまでこそ、地元ではたくさんの人に認知してもらっていますが、
19年前は、右も左も分からなかった超ど素人でした。
そんなど素人でも
頑張っていれば
その道のプロフェッショナルになれるんです。
人生って何が起こるかわかりません!
正直に、誠実に、
その日、その時を一生懸命に生きる!
あの頃の私には、それしかできませんでした。
でも、それが一番大事なのだと
今、あらためて思います。
がむしゃらに頑張っていた毎日。
お金もない、自信もない、実績もない
ないものばかりだったけど、
「出来ないことは来ない」
「努力は報われる」
そう信じていました。
もう後がなかったから
前に進むしかなかった。
でも、なぜか
進む道は光り輝いいるように感じていました。
それが、根拠のない自信だったのかもしれません。
これから、順風満帆に行く!
と思いきや、、、、、
大変なことが起こります。
この出来事が経営理念「女性の笑顔が世界を変える」
のもとになります。
続きは明日!
お楽しみに。
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