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浪風ぞ、なき
朝のお散歩コース。途中に高等学校ありき。春には祝選抜初出場の幕が掲げられていたが今朝目についたのはレンガ。公道と校内を区切る塀の一部に、昔の姿が残されている。遺す、と書くべきか、とも思ったが、現存し、いまなお仕事をしている赤煉瓦に対してその漢字は違う気がした。
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さてこの散歩道をまっすぐ進み助任川に突き当たる遊歩道に、関寛斎の碑がある。
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1902年、開業医だった関寛斎は齢71歳のこの年、40年間居住してきた徳島の地を離れ、北海道に向かったらしい。
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さて話を冒頭にもどす。
1902年当時の赤煉瓦の様子が写真に収まっている。現役で活躍している数段の赤煉瓦も、ひょっとしたら関寛斎を見たかもしれず、また逆に赤煉瓦群に関寛斎が触れたかもしれない。もしそんな事実があったとすれば、老医師は赤煉瓦たちに、
さようなら
と、言っただろうか。それとも、
どうぞよろしく
だったろうか。