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FACTFULNESSを読んで、天冲殺について考えてみた。

「FACTFULNESS」が、某図書館のビジネス書貸し出しランキング一位だったので、気になって予約したところ、予約No.112番目からのスタートでした(^◇^;)

やっと借りられたけど、もちろん延長はできないので、慌てて読んでます💨💦
全部読み終わったらまた感想を書きたいのだけど、キーワードが降りてきて、書かずにいられなくなってしまった…。

今第5章の過大視本能、を読んでいる。
著者は、若い頃、モザンビークで医師として働いていた。そこで友人と、子供の治療のことで諍いが起こる。友人は、目の前の子供にできるだけの医療を施すが、著者は、貧しい地域で沢山の命を救うにはどうしたら良いか、考えた。
病院に運ばれてきたあとに命を落とした子供の数と、病院にたどり着く前に亡くなった子供の数を数え、公衆衛生を発達させれば、より多くの命を救えると。
この「公衆衛生」は、自分の中でいろいろな意味で心に掛かるキーワードだった。ので、脱線して筆(スマホ)を取った。

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ここから算命学の話になってしまうけど、私は申酉天冲殺で、「家族や、プライベート」の部屋が空になりがち。どちらかというと、「公、パブリック」な方が得意という、ちょっと自分でも理解しづらい運勢だな、と思った。
日本には「和」はあるけど、パブリックというのはあるんだろうか…?ないとしたら、この国では、パブリックなことが得意、とはどういうことなんだろう、と不安を感じていたが、公衆衛生、にビビッときたのだ。

今は「子丑天冲殺」→「寅卯天冲殺」に切り替わった時分。(私はいつも、それを、気象予報的なforecast、として概況を読むのが好きで、これも全体的なことを考えているのだと思う)。
コロナ禍が明ける兆しが見え、子丑天冲殺お得意の「現実的な動き」が戻る様子は、まるで駆ける馬を見るかのような気象。
それに続く、仕事と家庭をシッカリと分け、個やプライベートを楽しめる寅卯天冲殺は無敵感があり、天冲殺の影響も少なく、そのような人が生きやすいのかも、、(そして私はそのペースに巻き込まれがちでちょっと苦手)と思っていた。でも、今はそれが少し難しく、全体的に、気忙しく、忙しくなる時季だとは思っていた。つまり、プライベートの時間が確保できにくいのだろうか?と。

ちなみに寅卯天冲殺と、申酉天冲殺とは対冲天冲殺にあたり、いわゆる対局にある天中殺。若い頃は、寅卯天冲殺の奔放なところ(というか、プライベートが得意)が、申酉天冲殺のお堅い(というか、社会面が得意)ところがぶつかり合う印象で、理解が深まると、学びも多い関係となる。そして、対極なので、運勢、運気、時期も逆なのだと思う。

このようなことをベースに考えていたら、パブリック、公衆衛生、という考え方がひょこっと本からも、自分からも出てきたのだ。

全体を考える、という考え方は、ともすれば、冷たい印象を与える。何かを切り捨ててしまうのかもしれない。それに、貧しいならばいざ知らず、今の日本は「選べる」のだから、なおのこと、パブリックとは?となる。

だけど、この時期は、何かパブリックというものについて、掘り出せるんじゃないかなと。
それも自分の魅力としても、社会面の魅力、としてもだ。
ありがたいことに、最近YouTubeのラジオで、少し話せる機会があって、よりパブリック、というものについて考えるようになった。そこでは、二十四節気ごとの運勢を伝えているのと、リラックスした感じで、聴いてる人が心地よく眠れるといいな、という考え方をもとにしている。大多数の人が心地よいとは何だろう、まずは自身が心地よく話すことだろうなとも考える。パブリックから、真っ暗になっているプライベートの部屋を灯すこともできるのかもしれない。これは、自分が考えたことはなかった。全体的な考え方や公から、自分も人も助けることができるのである。

寅卯天冲殺はまだスタートしたばかりなので、自身でもゆっくりと、気象を読み解いていきたい。

すてきな一日を。


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