やってみて後悔することも、よくあるのだ
人の文章を読んでいると、書きたくなる。
ああ。
みんなどうやってこんなにスッキリと、分かりやすく、短時間で(個人的な予想)、定期的に書いているんだろう。
そんなふうに思い、自分の文章スキルを少しでもあげたくて、夏にはライティングを勉強してみました。
しかし、集中して取り組んでみたものの、ライティング能力は思ったほど身に付かず、自分が興味の持てない分野については力が出ない、という事実を改めて思い知ったのでした。
なので、諦めてですね。
せめて誤字脱字には気をつけて、書こうと思っています。
ライティングもそうですが、
「これ、そんなに楽しくはないだろうけど、やっておいたほうが良さそう」
と思って取り組んだものって、振り返ってみて、本当に「いやー楽しくなかったなー」と感じるんです。
勉強にもなりましたし、成長にも繋がったように思いますが、楽しくはない。
ただ、取り組もうと思った時は、「これはやらねば」というような、少しの覚悟はあるんです。
「私の人生のために、やっておかねばならん気がする。」と、思う。
そうして取り組んで、「やっぱ向いてないわ」で終わるのですが、それは当時の私にとってはなくてはならない体験だったと感じるんです。
昔、PTA会長をしたことがあって、その時も、「この経験は必要な気がする」と思って取り組みましたが、今思い出しても「よくできたね」と思います。
私の人生には、そんなふうに「なんか分からんけど、これ、やらねばならん気がする」な事柄が時々あらわれます。
それで、一生懸命取り組んで、けっこうもがいて苦しんだりする。
でも過ぎてみると、そういう楽しくない体験をしたから分かることがいくつかは、ある。
そうして学んだ体験として消化して、数年経つと、「あの時の私、すごいがんばったなー」と良い思い出だけが抽出されて残るんです。
それだから、また繰り返す。
「これ、ちょっと私には合わないだろうけど、なんだか必要な気がする」と無謀な挑戦をしてしまう。
この、冒険家みたいな精神は割と気に入っているけど、冒険で疲れた心身を癒すのにも時間がかかるため、今後はもう少し控えめにしたい。
でも、やっぱり、自分の想像を超えた体験だからこそ、想像を超えた自分にも会えるんですよね。
だから、挑戦の仕方を変えればいいのだろうか?
「これ、私の人生のためにやらねば」ではなく、
「これ、私の今のためにやらねば。というより、やりたい」
これに変えられるだろうか?
頭だけでなく、体の反応にもちゃんと気づくようにして。
やっぱり、こうしてまた頭での体験をたくさんしてから、「感じろ。」に戻ってくるんだなと思います。
これからも精進したいと思います。
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