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「大事にしている価値観」について思考を巡らせること

目標作成におけるマンダラ―チャートのように価値観の9ブロックスというものがあるらしいです。
自分が大切にしている価値観を9つのブロックに書き出す作業のことのようです。

こういった自分の中で言語化できない思考を掴むために、いろんな観点からアプローチする試みは面白いと思っていますので、一旦作ろうと頑張ってみました。
が、結局、私はまだ抽象化の途中で9ブロックスのブロックを埋めることはできていません。

作る過程で、頭の中に浮かんでいたことは、成功は幸福の一つの要素でしかない。大なり小なりでいうと 幸福 > 成功 になるということです。
これを作ろうとしたきっかけがビジネスの自己啓発から来たものだからそう感じたのかもしれません。

ビジネス書の自己啓発本ではよく成功至上主義の内容が目立ちますが、
資本主義の枠組みの中から生まれる「だけ」の幸福を見出すことには反対姿勢です。


話は戻し、今言えることとして、現時点で自分が生きている目的は「幸福」であることだと思います。
おそらく、おおよその人がそれを最終目標として生きていると思います。

自身の生きていく指標となる「幸福論」を持つことは大事だと思います。
それにはメモをとること、記録をすることから始めています。
メモの手法は様々で、文字でもあれば写真、映像もあります。
ここ5年間、谷川俊太郎さんの詩「生きる」のように、箇条書きで自分が幸福であると感じた際の情景や心情を記録しています。
自分が書き連ねた「幸福を感じたとき」を抽象化することで、自分の幸福論を確立できるのではないかとも思うのですが
はたして自分の幸福論、大事にしている価値観を抽象化することで、一つのまとまりが生まれるのかという疑問もあります。
決して体系的である必要はないとも感じるのです。

また、幸福について主観と客観があり、客観の幸福を測定することはできると思います。
それは何をしているときに快不快を感じ、その感情の源泉は何なのか統計をとることで
平均的な客観の幸福をもたらす事柄を測定することができるからです。
しかし、私は幸福については主観がより重要だと考えます。
なぜなら、端から見れば何もしていないように見えてもその人の精神世界では思考を巡らせ、高揚に満ち、幸福を感じていることが大いにあると思うからです。

9ブロックスに1つのブロックに入るのではないかと思ってる価値観が一つあります。

この世界を大枠から捉えていくと、自分が把握できる限りのこの世界のすべての事柄は、時間の中に有り、常に連続性のあるものだと思っています。
そのため過去の自身の思考や嗜好、行動を振り返り今に至るまでの紆余曲折は間違っていなかったと、自分自身に「納得感を得る」ことは私の中の重要な価値観だと思っています。

一方で、過去に肯定性を持ちすぎると、(投資でいえばコンコルド効果的に)裏切れない心理が働いてしまうこともあり得るので
過去は過去、そこに肯定性はないと割り切って理解をすることが大事だと思います。
あくまでも、「俺はあのときに〇〇と思ったから〇〇したのだ」と意思決定をしてきた上で連続性を保っていると割り切るのです。
それが振り返った時に間違いだったと感じようと、あの時の俺は〇〇だったから仕方ないと割り切れる理由を作るのです。

あと一つブロックに入れるとすると「健康」ですかね。先人たちの精神の健康、身体の健康は耳が痛くなるほど聞いてきましたが、
実際に、この幸福論について思考を巡らせること自体が幸福であると感じておりそれには健康が必要不可欠であると思います。

また時間の連続性の観点から一つ言えることは、
限られた時間の中で自分が意思決定して費やす時間があり、それをより有意義に過ごすために何事にも「幸福」を作っていく必要があると感じるのです。
これって反復していますかね。

私の9ブロックスは
・幸福であることを望むこと
・反動に駆られず自分で考えること
・称賛の感情を増加させて、嫉妬を減少させること
は少なくとも今の私の価値観に含まれていると思っています。

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