目の前のひとに手を差し伸べるときのように

When given the choice between being right or being kind, choose kind.
(拙訳:正しいことと親切なこととの間で迷ったときには、親切な方へ)

映画「ワンダー 君は太陽」から

 座右の銘と言うと大げさだけれど、行動の準則にし続けていたいと思っていることばだ。「親切であること」と「正しくあること」は、重なることも多いだろう。ひょっとすると、両者が異なる場合よりも、両者が一致する、少なくとも「親切であること」が「正しくあること」に内包される場合の方が多いかもしれない。
 だから、“right”という単語について、ここでは、「言い訳ができること」といった意味で使われているのだと、わたしは解釈したい。

 正しい行動をするとき、わたしは自分に言い訳を許してしまう。暗い情念や後ろめたさ、自分の冷たさや浅はかさを、白ですっかりきれいに塗りこめて見えないようにする。「達成すべき目標のため」、「リソースに限りがあるから」、「Aの方がBよりも価値が高いから」、「いけないことだと決められているから」etc.

 一方で、親切な行動をするとき、わたしは自分に言い訳をする必要を感じない。目の前のひとが困っているとき、手を差し伸べるのに理由は要らないなと思う。自分が持っているある種の正しさが、手を差し伸べることを躊躇させるのであれば、その正しいあり方は、大きな困難を伴うけれども、ひとまず横に置いておきたい。

 未来のためにできること。具体的には様々なアクションが考えられるだろう。それらを貫くひとつの精神が、When given the choice between being right or being kind, choose kind.”ではないかと思う。

 「言うは易し、行うは難し」の典型で、わたし自身、正しさに流れては言い訳をしてばかりの日々ではあるけれど、まだ見ぬ誰かを想像して、目の前のひとに手を差し伸べるときのように、自分に言い訳しないでいられる行動をすること。この繰り返しが実を結び、今日よりちょっとだけいい明日が来るといいなと思う。

#未来のためにできること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?