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コルシカ島のデモに見る、今の日本人にない価値観とエネルギー

コルシカ島62日の滞在を終えたばかりの香田有絵です。

滞在中にコルシカ島に関わる大きな事件があり、島外ではウクライナへのロシアの侵攻があり、価値観の対立とその解決方法について考えることの多かった9週間でした。

わたしたちはもっといろいろな価値観に耳をすませ、世界で何が起こっているのかに目を向ける必要がある。その思いを強くしました。

わたしとはあまりにも違う価値観を持ったコルシカ人の民族意識とその表れであるデモを目のあたりにしたことで思うことが多かったのでそのことを書きます。

滞在した9週間の間に何度もデモがありました。
20年前に当時のコルシカ知事を殺害し服役中だったイヴァン・コロナというコルシカ人が、フランス本土の刑務所で襲われ亡くなるという事件が起きたためです。

デモの理由は、「フランス本土で服役していたからイヴァンは殺された。コルシカ人はコルシカで服役すべき、コルシカは独立すべき」というものです。冤罪でもない殺人犯のためのデモなんて滅多になさそうですが、理由づけもコルシカ的です。

大小さまざまなデモの後(高校生による追悼デモもありました)、首都アジャクシオで最大規模のデモが滞在最後の日曜日にありました。

集まった人たちは3000人。街のはずれから県庁前広場まで行進です。
コルシカ人にとって県庁はフランス政府の出先機関。
反フランス政府運動が標的とするところです。

デモはたいてい和やかに始まります。
このときの行進も旗を持ったり一部の人がときおり声を上げたりしていましたが、通りに一般の車は駐車したまま壊される心配もなし。カフェで行進を見る人もいますし、犬を連れて散歩しながら道端で見守る人もいます。

動きが激しくなるのはその後のこと。
過激グループが途中で盛り上がって県庁の前で火を焚いたり、ガラス瓶などを投げたりし始めます。
過激でない一般のデモ参加者は、行進が終わったら解散です。そろそろ物騒だから帰りましょうと。

そこから過激グループ対警察の攻防戦。
警察は催涙弾で応じます。

催涙弾からはものすごい煙が出て、浴びると目がたいへんなことになるので投げられそうになるとデモ隊はわーっと走って逃げます。
そして警察が引くと、また徐々に集まって来てなにかを投げ始める。
逃げる。集まる。投げる。の繰り返し。

わたしが滞在していたアパルトマンの通りが途中で最前線になり、4階の窓からじっくり様子を見ることができました。
暗くなってからは部屋の電気を消してスマホ片手にかぶりつき。

向かいの窓から顔を出している人がいて、お互い手を振ったりして。スポーツ観戦のよう。
デモ隊の人たちも女性や家族連れもいて楽しそうなのです。

警察が催涙弾を投げるときは、わたしたちも窓を閉めなければなりません。様子を見ようと窓を開けるタイミングを間違えて、煙が空気の中に残っていて目がしょぼしょぼしたことも。臨場感はばっちり。

お察しかもしれませんが、わたしはコルシカのデモを結構気に入ったのです。
火を焚いたり大きな音がしたり催涙弾を投げたりと報道で見るとものすごいことになっているのですが、実際は通りの店をわざと壊すようなことはないし(パリのデモではわざと車の上に乗ったりショーウィンドウを割る人がいます)、一般人は昼間はすぐ近くのカフェで見ていたり、そばをベビーカーや犬連れで歩いても安全です。ハンドスピーカーを持って大音声を上げることもない。

不満の心を体で表すエネルギー、ときに危険だけれども人間本来の力を感じます。

過激グループと警察との攻防戦は動画に撮ってあるので、顔を隠すなどの編集をしてYouTubeに挙げる予定です。

力と力の攻防は古いやり方かもしれないし建設的でもありませんが、その価値観に耳を傾けてみる価値はあると思います。

世界には自分の主義のために隣の国に攻め込むことを良しとする考えが今でもありますし、命よりも名誉を貴ぶ文化は残っています。日本もつい数十年前まで他国に攻め込んでいました。

暴力で物事は本当の解決をしませんが、「暴力反対」というだけでも問題は解決しません。実際、解決していません。

先に富や権力を得た側はそれをより強力にしようとしますし、ない側が力づくで奪おうとする構図も変わっていないからです。

もともと支配する欲求の強い人が権力者になり、強者の理論で国をおさめたり問題を解決しようとしますしね。

それに対してわたしたちは日ごろなにができるのか。

それは「違う価値観を知ろうとすること」「すぐに答えが出なくても考え続けること」「他の国の支配層でない一般の人々を見ること」ではないかと思います。

ロシアとウクライナの戦争も、日本がこれから抱える移民問題も、急に始まったわけではありません。

わたしたちはもっといろいろな価値観に耳をすませ、世界で何が起こっているのかに目を向ける必要がある。

まだまだ知ろうとしてこなかったこと、見ようとしてこなかったことが世界にはたくさんあるという思いを強くしています。


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