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【フランス】田舎から都会へお引越し①フランスの中心・アリエ県で見たもの

2年住んだ「アリエ県」と、お別れが近づいている。
「自分と同じ名前の県」に住むの楽しみも、あとわずか。

お別れを前に、ちょっと振り返ってみたい。

<アリエ県って?>

アリエ県は、フランスのど真ん中にある。
県庁所在地はムーラン

1960年代までは「国道7号線」というパリから南仏に向かう(歌にもなった)道路が通り、バカンスに行く国民の多くがここを通り栄えていたそうだ。現在は高速道路がまったく別のところを走り、アリエ県を通る人はとても少なくなっている。

アリエ県の人口密度は、46人/平方キロメートル。
北海道が約64人/平方キロメートル、高知が約61人/平方キロメートルとのことなので、その3/4くらいですね。

面積が同じ位の県と比べると、
アリエ県 面積:約7,340平方キロメートル 人口:約  33万人
岐阜県  面積:約10,621平方キロメートル  人口:約195万人
愛媛県  面積:約5,676平方キロメートル 人口:約138万人

自然は豊かだけれど、ちょっと寂しい感じ。

1800年代ナポレオンの時代には40万人以上の人が住み、1850年代の44万人をピークに、1950年代の戦後まで同じ程度の人口を保っていた。けれども60年代以降工業化と共に人口は減少し、現在ではピークの頃から10万人以上も減っている。

<アリエ県を彩るのは?>

①豊かな自然

アリエ県の名前はロワールの支流「アリエ川」から来ている。
オーヴェルニュ地方に属し、森林や湖、湿地など自然が豊か。周囲の県は山もあるけれど、アリエ県は丘と平地がメイン。農業と牛の飼育が盛んで県内を車で走ると、牛や羊を見る機会がとても多い。

②ブルボン王家

アンリ4世以降フランス王家となったブルボン王家は、アリエ県のブルボン=ラルシャンボーの領主だった。アリエ県の住民は今でも「ブルボネ
(ブルボンの民)」と呼ばれる。

③温泉地Vichy

古代ローマから温泉で知られ、ナポレオン3世の時代に富裕層の保養地となった素敵な街。第二次世界大戦時には臨時政府もおかれた。
今でもアリエ県の中で一番おしゃれな街。

④県庁所在地ムーラン

15~17世紀の建物がある街。



国立舞台衣装センター(CNCS)
は国内でも珍しい舞台技術と衣装が見られるところ。常設でルドルフ・ヌレエフ展がある。

若き日のココ・シャネルも通ったグラン・カフェも。

若き日のシャネルがダンスに興じた。
小さなカフェなのに、鏡のせいで大きく見える。

⑤お城、歴史ある建物。中世の趣の村。

ブルボン公国の栄えた14~16世紀の建物が今でも残る。
フランスで2番目にお城の多い県と言われ、500もの城がある。ただし、中世のお城のため、意外と地味め。
ムーランすぐ近くのSouvigny(スヴィニー)など、中世の趣を残す村がある。

⑥牛

牛の飼育が盛ん。農業品評会もあるし、県内で牛を見る機会も多い。

<アリエ県での思い出>

・県庁の暮らし

一番の思い出は、県庁の中に住んだこと。
アリエ県庁は、1970年代に立てられた事務棟のほかに、1860年代に立てられた建物がある。その中に県知事宅と県知事官房長官宅があり、夫の赴任と共に、わたしはその中に住むことになった。住まいは200㎡と広く、天井も5mくらいあるのだけれど、なにせ県庁の業務区域の中にあるので、不便なことが多い。

ジョギングできそうな長ーい廊下。
ゲスト用寝室。


住居を出ると、そこは県庁の中。平日は仕事中の職員に会う。
専用の出口がなくて、県知事宅を通るか、駐車場を通るかしないと、敷地の外から出られない。
週末は、広い敷地の中に自分たちだけになる。シラノとわたしだけになることも度々。慣れるまでにすごく時間がかかった。
住居は広くトイレからキッチンまで20mもあるので、一般人の感覚としては、大きすぎる。

ドアを開けると、そこは県庁。

暮らし始めた頃、「マリー・アントワネット王妃」や「皇后さま」はもっと広いお城の中で、どんなにか不自由な思いをされただろうとやんごとなき方々の苦労を思ったものだ。

窓から見える景色がこちら。

夫は24時間態勢で国に仕える。
そのため住居付きのスタッフが、毎日8時半から16時半までいて家事などを引き受けてくれる。
「家事をしてもらってありがたい」面もあるけれど、「自分の家にいつも人がいる」違和感の方が大きかった。
例外は最近の4カ月間。元レストランのシェフで、ゆくゆくは県知事の料理人になるという男性がスタッフとして配属され、昼と夜に素敵な食事ができることになった。掃除やアイロンがけも有能な人で、心が温まる経験をさせてもらった。マダムな生活ももうすぐ終わりだ。

・農家のデモ

地方のデモは、県庁に向かって行進される。農家のデモのときは、アリエ県庁前にもたくさんのトラクターが集まり、タイヤの山が燃やされたり、卵が投げつけられたりした。

職員たちと一緒に、窓からこっそりその様子を見たけれど、怖い&面白い時間だった。
職員の家族も農家だったりするから、県庁の中と外の人の違いはあまりない。
デモ隊も県庁の中まで襲おうという気はない。TV映りの良い、スペクタクルな映像が取れたら、それでよいのだ。

燃やされる前のタイヤ
素敵な街並みに集まるトラクター
煙が窓を埋め尽くしていく。
投げられた卵。3階まで届いた。
燃やされた藁

・警察、ジャンダルムリ―(地方特別警察)、消防隊の活躍と悲劇

2年の間に、県や国を守る人たちの活躍を目にする機会が多かった。
ジャンダルムリー隊員が爆発自殺に巻き込まれたり、消防隊の若いボランティアが倒れる木の下敷きになったりなど、亡くなる事故もいくつかあった。何人かの警察官の自殺もあった。
県庁にいると、交通事故、傷害事件、火災、災害、デモ、囚人の移送など県内の大きめの問題すべての情報が入って来る。

フランスが実際どのようにして成り立っているのか、身近に見ることができたのは、良い経験だった。

・ツールドフランス

自転車競技自体よりも、競技を街ごとで盛り上げる様子が印象的だった。

・愛犬シラノの老い

2年前はシラノとアリエ川まで歩き、そこからさらに川沿いを散歩した。ピクニックもした。
中世の趣のある街なかも毎日散歩した。わたしの留守中はスタッフが散歩させることもあり、「県庁のシラノ」として知られることとなった。

去年の夏以降すっかり弱ってしまって、今では県庁の庭でひっそりと遊んでいる。この夏は一緒に過ごす最後のバカンスだと実感。先週はいよいよ危なくて、アリエ県で生涯を閉じるかと覚悟もした。現在は持ち直して、一緒にランスに帰ることも視野に入っている。

アリエ川までお散歩できた頃。

<アリエ県の生活、終わっちゃう!>

気が付いたらアリエ県にいられるのはあと2週間しかない。

シラノが少しずつ衰え、先月はもうお別れかという場面もあったので、心も体もシラノに向けられていたというのが大きい。
正直言って、夏以降心がアリエ県に向いていなかったのは確かだ。

秋から都会で暮らす!という喜びも大きかった。芸術と海が近くなる!新居探しもあった。

ところがいざ出発となると、まだ見てないもの、もう一度見たいものがあることに気付く。
では可能な限り、観に行こうじゃないですか。

・ブルボン公国のお城、今週末観に行こう。
・サン・プーサンのワイン生産者には行かないのか?行かないかも。
・中世の街Souvignyには平日一人でもう一度行ってみよう。
・国立舞台衣装博物館で舞台と衣装もう一度見たい。
・修道女の博物館にも再度行こう。

心残りはあるくらいでいいのだけれど、最後の勢いで、アリエ県を堪能しよう。
田舎をしっかり見て、満喫して、都会に出ようじゃないか。


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