【フランスの田舎から都会へお引越し】③さようなら、マダムな暮らし
すでに過去になってしまったけれど、2年間夫が県庁の仕事をしたために、かなりマダムな生活をさせていただいた(表紙の写真は県知事宅。お隣さんでした)。ちょっと変わった体験だったので、ここで軽く振り返ってみましょう。
フランスは県知事や准知事は国家公務員で内務省から配属される。
各県は日本の藩くらいの規模で、県庁ももともとは藩主の城くらいの役割であった。
現在でも、例えば大規模な激しいデモが起こるなど、外から攻撃を受けるようなことがあったとしても、県知事や職員がしばらく立てこもるくらいのことはできる。災害時には中に県民を泊めることもできる。
また大統領や大臣が地方を訪問し宿泊が必要なときは、県知事宅に泊まる。
そのための部屋も用意されている。
県知事や准知事は国家の権威と献身を国民に示す立場なので、24時間態勢で仕事に専念する代わりに、日常生活は保証されている。
平日昼間は家事をしてくれるスタッフが勤務し、住居もかつての領主や側近の暮らしを彷彿とさせる環境になっている。
妻もしたがって、夜中に夫を呼び出す電話の音で起こされる日常を送る代わりに、古い時代から続くマダムな生活をさせていただける。
どのような生活だったか、簡単にあげてみると、
①住居は県庁の中の一角で200m2の広さ、寝室が4つ、天井の高さは5m。
②平日昼間はスタッフがいるので、洗濯、掃除、料理、会食の準備など、時間内なら頼んだことを何でもしてくれる。わたしの日本一時帰国時には、シラノの散歩もしてくれていた。
③普段顔を合わせる人たちみんなから、名前でなく、マダムと呼ばれ、ちょっと距離のある関係になる。
なんとなく、マダムではなく、マダムと呼ばれる存在になる。
その生活をしていたときは、一日中人がプライベート空間にいるし、県庁の職員に顔を合わせずに外に出られないしで、煩わしいと思うことも多かったけれど、終わってみて、自分がちょっとその生活になじんでいたことにも気づく。
「あれ、食事って、食べたいものを伝えたら出てくるものじゃなかったかしら」
スタッフは途中で変わったけれど、新しい人は二人ともコロナ前は自分のレストランを持っていた人だった。わたしが買った食材で、なぜこうも違う結果になるのかという食事が出てきた。
「あれ、キッチンを週末に使ったままにしていても、週明けになったらきれいになっているんじゃなかったかしら」
「あれ、夫の服って、何もしなくても洗濯されているんじゃなかったかしら」
「あれ、わたしの服って自然にアイロンがかかっているんじゃなかったかしら(自分の服は基本的に洗濯は自分でしていました)」
「あれ、外出するときは、時間になったら誰かがシラノにフードをあげてくれるのじゃなかったかしら」
「あれ、買い物って誰かがつきそってくれたり、代わりにいってくれるものではなかったかしら」
「あれ、なんでほこりがたまったままになっているのかしら」
上記のような勘違いな疑問が、県庁を離れた当初は頭をよぎった。
パリの近くに住むことになり、アパルトマンは自分たちで借りるため、急に小さくなった。
洗い物は、わたしか夫しかいないので、当然ながらどちらかがする。夫が冗談で「朝になったらダミアンがなんとかしてくれるよ」と言ったりするけれど、もちろんダミアンもサンドラもここにはいない。
掃除や洗濯はわたしの役割になった。当然だけれど。
なんという生活の違い。なんという格差。
マダムな日々は、終わった。
でも実のところ、あの生活に戻りたいとは思わない。
普通の生活が身の丈にあっている。
他人が居住空間にいるのは、子供の頃から慣れていないと意外としんどい。
皇室、王室に嫁がれる方は、さぞやご苦労が多いこととお察し申し上げる。
便利より、自由。
好きな時間に楽器も弾ける。
買い物も少量をその都度買うから、1人でなんら支障はない。
今の備え付けの冷蔵庫は小さいので、たくさん買っても入らない。
掃除だって住まいが狭ければ簡単だ。
唯一、あの頃はよかったなーと思うことがあるとすれば、シラノのこと。
シラノに県庁の生活はとても合っていたのだ。
新しい住まいはシラノには小さすぎる。
キッチンの中を移動しようとしてテーブルの椅子に体が触れたりしているのを見るとかわいそうに思う。
広い住居では、入り口とキッチン、キッチンとリビングを移動するだけでも、結構歩いて運動にもなっていた。
2年間、平日昼間はいつも家に人がいたので、シラノに寂しい思いをさせることは少なかった。
シラノ専用と言ってもよい広い庭もあった。年を取り足腰が弱ってきたシラノには、座ったり寝転がったり好きにできる庭は、貴重だったのだ。
シラノも、今の生活をちょっと残念に思っているかもしれない。
県庁を離れ、ランスに帰った一週間は懐かしい場所を喜んでいるようだったし、ヴァンセンヌの最初の頃も、わたしがいつも近くにいるので安心しているように見えたけれど、家の中であまり動く必要がなくなり、外に出ても道を散歩するだけで、芝生に転がったりできなくなったので、一気に弱ってきた感じがする。
ヴァンセンヌには森があるけれど、そこまで歩く体力はもうシラノにはない。
県庁にいる間にも年をとったし、発作を何度か乗り越えた。
回復できる環境があった。
「この週末を超えられないと覚悟してください」と獣医に言われた8月の終わりから、2か月余り。随分頑張って新しい生活にも一緒に来てくれたけれど、シラノが期待したものとは違っただろう。
シラノとのお別れの日が近づいてきているのを感じる。
「新しい生活見てみたかったけれど、ぼくの生活じゃないみたい」と言っている感じがする。
「県庁のシラノ」と呼ばれたあの頃。
県知事からも、職員さんたちからも、街の人からも声をかけられ愛された日々。
わたしは、マダムというよりシラノの付き添いくらいの存在だったのかもしれない。
マダムな生活には心残りはないけれど、県庁のシラノの付き添いはもっとしたかったなあと、わたしには気楽な小さなすまいで、自分で焼いた冷凍ぎょうざを食べながら思う。
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