【フランス生活】シラノとお別れするまでの猶予時間
ゴールデン・レトリバーのシラノは11歳と8カ月。
どうも、お別れのときが近づいているらしい。
認めたくないけど。そういうことみたい。
シラノは出会ってから毎日、生きる喜びを見せてくれた。
外に出ること、散歩すること、食べること、一緒にいること。
当たり前のことがどんなに大きな喜びであるか、毎日体から喜びを発散させていた。雨が降って外に出るのが面倒だなあと思う日も、うきうきしたシラノを見ると、「そうだ、生きてるってそれだけで素晴らしいんだ」と気づかされたものだ。
今、老いや死がどういうものなのか、見せてくれている。
どうも、あまり気にしなくていいみたい。
今日もいつも通りに、一緒にいる幸せを味わえばいいみたい。
わたしはつい「できるだけ長く」とか「もっと何かできないのか」と考えてしまうけれど、そんなにむさぼらなくていいみたい。
今、シラノが苦しくなければそれがいい。
数日前にちょっとした兆候を見せてくれて、わたしと夫はシラノを病院へ連れていけた。検査して、話し合って、シラノが苦しくないような治療をしてもらうことにした。
治るわけではないけれど。苦しくなければいいじゃないか。
今は、お別れのための時間をもらっている。
奇跡の時間を生きているのだ。
わたしはつい感傷的になり、シラノを余計に撫でてしまう。
そうすると、「しつこいよ」とちらっと横目で見られる。
そうだ、いつも通りがいいのだ。
今朝、弱々しい様子だったけれど、散歩に出た。
そうしたら、外の空気を吸って元気に歩く。
途中で木の枝を見つけてちょっとかじっている。
「枝を食べるのも最後かもしれない」とわたしはうるっとする。
ところがシラノはその場で食べず、持って帰ろうと考えたらしい。
すたすたまっすぐ歩きはじめた。
欲望ってすごい。好きなことは、生きるエネルギー。
ここ数日後ろから支えなければ上がれなかった階段を、ひとりで上がっていくではないか。枝をくわえて、嬉しそうに。
思わず笑った。これでいいのだ。
生きているって楽しい。
シラノ、今日もわたしに幸せをくれてありがとう。
わたしはまたつい心熱くなるけれど、それもまたいいじゃないか。
だって奇跡の時間を生きているのだもの。