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わたしの暮らしを変えた、芸術療法との出会い

ここで紹介する芸術療法とは、アーティストの小木戸利光氏によって創始された「シアターワーク」について綴っています。

芸術療法に出会うまでのわたし

はじめに、芸術療法に惹かれるまでの経緯を話しておきたいと思う。

わたしは幼少期から絵を描くことが好きで、高校生のときには同じクラスの友人や部活の先輩の似顔絵を描いてよくプレゼントしていた。それを見て「わたしも描いてほしい!」と声をかけてくれるクラスメイトもいて、自分の絵で誰かがよろこんでくれるということが、何よりもうれしいことだった。その体験が絵を描くことのよろこびの原点だったように思う。

高校1年生から美大受験のための美術予備校へ通い始め、デッサンや色彩構成などをひたすら練習した。

趣味でイラストを描いていたので、予備校の展覧会で作品集を発表すると、デザイン科部門で賞をもらい、デッサンには自信がないながらにも少し自信をもらえた気がした。

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いざ美大へ進学すると、思いもよらないことが起こった。

高校生のときに初期体験として感じていた、純粋な絵を描くたのしさ、よろこびがまるで感じられなくなってしまったのだ。

大学に受かるための絵の対策が、身体中に染みついた感覚が強烈に残り、思うように描けなくなってしまった。

「そんな線でいいの?」
「この配色ってダサくない?」

・・・まるで耳元で誰かが囁くように、自分の声が邪魔してきて、何を描いていてもたのしくなかった。

美術予備校に通っていたころ、講師から「絵心のない認定」をされた人たちは、フリーハンドの自由な線は一切描かせてもらえず、その代わりに定規とコンパスを使い、幾何学図形だけを描くように指導を受けていた。もれなくわたしもそのような指導を受けたので、自分は絵心がないんだと、その言葉を鵜呑みにして、いつしか自分らしい表現を封印するようになっていた。

大学の課題は「こんなふうにすれば評価されるだろう」という計算のもと制作していたせいか評価はされていたが、自分がつくってるような感覚はなくて、ある時嫌気がさしてしまった。

そのタイミングで、母が病を患い入退院を繰り返して、家では母とぶつかることも増えて、精神的に限界がきてしまった。

人の手が必要なくらいに生活も不自由な母に対して、優しくできずに強く当たってしまう自分にますます嫌悪感を抱き、自分が誰なのか、何のために生きてるのかわからなくなってしまっていた。
ベッドから起き上がれない日が続き、数ヶ月間大学を休学したが、戻る気になれずそのまま中退することを決めた。

気づいたらわたしは社会人になっていて、絵を描くという行為を忘れてしまったかのように、すっかり描かなくなって数年が経っていた。

芸術療法との不思議な出会い

転職をして、都内にある飲食店で働き始めた。
店長が面倒見のいいお兄ちゃんのような人で、ありがたいことに仕事のアドバイスにとどまらず、将来の相談などもよく聞いてくれていた。

わたしは、母が若くして病気で亡くなったことをきっかけに食事療法に興味を持ち始め、働きながら休みの日にはアーユルヴェーダを学んでいた。そのことを知っていた店長が、よくお兄さんのことを話してくれた。
彼のお兄さんとは、まさにわたしが芸術療法(シアターワーク)を学ぶことになる、小木戸利光さんであった。

その頃「また昔みたいに絵を描きたい」という想いが自分の中で大きくなっていたこともあり、お兄さんの話を聞きながら芸術療法という存在そのものが気になっていた。

小木戸さんのInstagramをチェックしていると「シアターワーク」のワークショップの募集を見つけたので、申し込んでみることに。
グループワークなので、わたし以外の参加希望者との兼ね合いもあり、いくつか候補日を送ってくれたが、どの日程も仕事と被ってしまい、「いまではないのかも…」と断念した。

それから3ヶ月が経った頃、『マーマーマガジン』の編集長であり詩人の服部みれいさんのメルマガ限定のラジオを聴いていると、なんと偶然にもゲストで小木戸さんが出演していたのだ(!)

ラジオと一緒に配信されたメールには、「シアターワークの参加者募集」というお知らせが。

まさか、まさかの服部みれいさんと、その読者さんと参加できるという、素敵すぎる企画!!!

それも1年間にわたり、全8回というわくわく満載な内容!
わたしには、受けるという他に選択肢はなかった。
すぐに申し込み、晴れて受けられることが決まった。

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シアターワークとは何をするのか?

シアターワークとは、演劇や舞踏などの身体表現をベースに、ボディワークを用いた教育プログラムだ。

身体を動かしたい方向に動かし、自分自身のこころの声に耳を澄ませ、身体の感覚を探究しながら、心身の調和へと導く。

思考を手放し、いまこの瞬間、そして自分自身の身体感覚に全集中を向ける。
ムーブメントワーク、エネルギーワーク、即興演劇など、さまざまなワークが重ねられていくが、決まった枠組みはなくて、そのときに集まったメンバーによって異なって、必要なワークがおこなわれていく。

演劇のワークの際には笑いが起こったり、そのあとにはしーんと静まりかえり、全員が真剣な表情を浮かべて儀式的なワンシーンが繰り広げられたり。
何度受けても、毎回異なったワークがおこなれるので、学びや気づきが絶えない。そして「いま、ここで息をして生きているんだ」という身体の底から湧いてくる実感があったのだ。

わたしはすっかりとシアターワークにハマり、家で心地よい音楽にあわせて身体を動かしたり、朝起きて仕事へ向かう前にエネルギーワークをしたり、日常の中でも自分自身を取り戻すために日々実践するようになった。

使う言葉や人間関係、行きたいと感じる場所など、するすると変容していくのを感じた。

初める前は「きっと、何か表現活動をしたい人のためのメソッドなんだ」と思い込んでいたけれど、表現活動をする人に限らず、いまを生きるすべての人に必要なワークだと感じるようになった。

半年が経ったときに、わたし自身もシアターワークをより深く学び、自分の口から必要な人に届けたい思った。それが、自分のよろこびになるような気がしたのだ。

そして、その翌年にはシアターワークを深く学ぶことができるプラクティショナーコースを一年かけて通い、資格を取ることができた。

シアターワークで受け取った身体感覚や気づきは、ひとつひとつ身体に浸透するように残っているのを感じる。
つい、日々の生活に追われてしまう瞬間も、ひと息間を置くと、シアターワークで体感した感覚を思い出す。身体はしっかりと記憶してるから、たとえある瞬間に不快感を覚えたとしても、呼吸で心地よい感覚を呼び覚ますことができる。

人間関係も大きく変わり、周りへの安心感と、いつも同じ方角を向き歩んでくれるパートナーに恵まれて、これまでに感じたことのない、自分自身への信頼感を覚えている。

プラクティショナーコースでの深い学びについては、また詳しく書きたいと思う。

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