
闇と光の両方を諦めること

個人の私の闇を浄化しても、
個人の私のネガティブな感情を解放しても、
個人の私の光の部分や、
個人の私にとってのポジティブな感情(例えば、優越感などの喜び)も
手放さない限り、
それは、「個人の私がいない」ではない。
それは、「気づいている意識」ではない。

個人の私の闇を浄化しても、
個人の私のネガティブな感情を解放しても、
個人の私の光の部分や、
個人の私にとってのポジティブな感情(例えば、優越感などの喜び)も
手放さない限り、
それは、「個人の私がいない」ではない。
それは、「気づいている意識」ではない。