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あっという間、と言っている場合ではない
時間についてよく使ってしまう言葉は、
悲しいかな“あっという間”だ。
もしくは “気づけば” だろうか?
ともあれ、早くも2025年は40日が終了し
1年の9分の1が過ぎていった。
先ほど2022年のジャーナリングノートを見て、
ショックを受けた。
この2025年に立てた内面の充実のための目標が
2022年当時と同じだったのだ。
あっという間の3年なんて、
さすがにシャレにならない。
ノートを読み進めると、社会的な目標や数値は
クリアできているのだから、
ジャーナリングや目標設定の効果は
ゼロじゃないです。効果はあるんです。
しかしどうやら、行動や実績を
ポジティブに変えても
必ずしも理想の思考パターンを獲得できないみたい。
少なくとも、3年かけてもわたしは。
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自尊感情がデフォルト高めの人々は、
そもそも自己肯定感など意識せずに生きてるのかな。
一方で、自尊感情が低め人間が
self loveを深めようとすると
まるごと自分を愛する感覚が分からず、
“〇〇できるようになったら△△” などと
条件づけを繰り返しては
新しいジャッジメントを誘引する
無限ループにはまる。果てがないのだ。
自分を信じられぬままで他者や世間と対峙すれば、
外の世界はどうしたって
懐疑的な場所にならざるを得ない。
立ったときに身体がグラつくのは、
地面がゆるいせいじゃなくて
自分の体幹が弱いからだって話です。
書いてみると当たり前でしょ?と思うのに、
自分のゆらぎを地面のせいにしてみたり、
目の前の人がグラグラしている姿に
影響されたと考えてしまいがち。
でも、自分が安定して立ち続けるために
まず必要なのは、
自分の内側の強さやバランス感覚。
自分が整わないうちは、
素晴らしい環境や人間関係の
本質的な価値にすら気づくことができないから。
翻って、このままじゃ足を取られそうなぬかるみや
見当違いな攻撃を繰り返す人からは、
さっさと離れればいいんですよ。
少なくとも長靴を履くなり、
相手のムードに引き込まれないよう
自分なりの対処をすればいい。
ここで厄介なのが、自信のなさ。
自分のせいだとか、他に行くところがないからとか、
もう少し我慢すればとか
理由をつけて立ち去ることをしない。
隣のあの人は素足のままだ、
丸腰だからと周囲の人を引き合いに出しては
自分が次のアクションを起こさない理由に
他者を持ち出し始めたら、
それは本当に他者へ向けた思いやりなのかを
見つめ直した方がいい。
…と、これもまた友人の悩みとして聞けば
ネガティブな事象に付き合う必要はない!などと
バッサリ言い放てるのに、
自分のこととなると必ずしも
合理的に振る舞えない。困ったね。
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自尊感情が薄いってことは、あらゆる事象に対して
“私なんて” というスタンスを
取り続けることなんですよね。
それって、謙虚というよりはちょっと鬱陶しい。
自尊心は経験や実績で培うものだと
無意識に思い込んでいたけれど、
特別なことじゃない、自己管理の一環として
無条件に自信を持ち
安定した自我を保つことな気がしてきた。
案外、今すぐできるのかも。
まさにあっという間に。
ご自分のお世話はご自分でなさってくださいね、私。