見出し画像

銀のフルート?金のフルート?

1. はじめに

フルートの材質にはいくつかの種類がある。代表的なものは洋銀(Ni, Cu, Znの合金)、銀、金、プラチナ、木製などで、貴金属ではその純度についても低いものから高いものまで様々なものが使われている。多くのフルート奏者にとって、楽器の材質はその楽器が放つ音質や音色に直結する重要な要素となっているようである。

筆者はフルート奏者として、あるオーケストラに所属している。そのオーケストラにはフルートの団員が5名いて、筆者のみが銀製のフルートを使用し、それ以外の4名は金製のフルートを吹いている。あるとき、筆者の隣で演奏するフルート奏者からこのような趣旨の発言があった。

「金と銀で合わせると音色がぶつかっていて溶け合わないよね(笑)」




!!! FUCK YOU !!! 

と大声を上げずに済むぐらいの社会性が筆者に備わっていたことは幸いであった。材質によって音色が変わるなんてありえねーだろという立場の筆者からすると、非科学的!もっと勉強してください!などと顔を真っ赤にして悪態をつきたいところであるが、実際のところ筆者のようなスタンスのフルート奏者は明らかに少数派であるだろうし、自分の主張を裏付けるに足る科学的証拠もとくに持ち合わせていないのである。

ここで起きたすれ違いは、お互いの信じるモノの違いによる衝突であって、この時点ではいわゆる"お気持ち"と"お気持ち"のぶつかり合いに過ぎない。

一方は、自身の経験として金のフルートと銀のフルートでは明らかに音が違うという感覚があるし、あらゆる楽器メーカーも自らの製品の材質による音の違いについて声高に喧伝しており、材質と音色の密な関係を信じて疑わない。また一方で、個人的な経験としては金/銀の材質では重大な音の変化は感じられず、実際wikipediaには材質と音色は関係ないという記述があることも手伝って、筆者はメーカーの主張と背反する一匹狼となってしまった。

意地張ってないで多数派の感覚を信用しろ!という意見はごもっともである。しかしながら、筆者は数年前まで物理学を専攻していた経緯もあって、人間の感覚に対する疑いは強い。大地が静止していて、まわりの天体が動いているように見えるからと言って地球を絶対静止の点として宇宙の中心に据えてはいけないのである。

そんな背景からフルートの材質をめぐる科学的知見を求めて、様々な文献を当たってみたので、そのいくつかをこの場で紹介する。

2. 材質影響派

2.1 メーカー各社の見解

まずは楽器の材質が音色に影響するという信仰の中身を洗い出したい。各メーカーの見解を覗いてみる。

プラチナ製のフルートもあって、この楽器は金より比重が大きくなる分、音が強くなります。すごく華やかで、ホールのすみずみまで音が飛んでゆく感じです。
(中略)
最近、ファンが増えているのが木製のフルート。管体に比重の大きなグラナディラという木材を使い、キイポストやキイなどは銀で作っています。その暖かい音色はたいへんに魅力的です。

YAMAHA 『フルートの仕組み: フルートの材料は何?』 より引用
https://www.yamaha.com/ja/musical_instrument_guide/flute/mechanism/mechanism004.html

大手総合楽器メーカーであるYAMAHAは材質の違いによる音の違いをこのように語っている。プラチナの密度21.45 g/cm³ に対して金の密度 19.32 g/cm³ であるので確かに Pt の比重は Au を上回っている。 が、このわずかな差を理由に「ホールのすみずみまで音が飛んでゆく感じ」を説明するのは苦しい。また木製フルートに使われているグラナディラの密度は約 1.2 g/cm³ 程度であり、Au や Pt  に対して極端に密度が低いのだが、ホールのすみずみまで音が飛んでゆかない問題が発生しないのだろうか? Pt と Au のわずかな密度の違いに敏感であった割には木製フルートの密度の低さに対して寛容である。

比重(密度)は音のダイナミックスやヴォリュームのキャパシティを拡大させ、音を遠くまで響かせる点での重要な要素となります。ただし、比重の高い材質になるほどその特性を活かすための、安定した息の支え (胸のシリンダーと横隔膜のピストンを充分にコントロールする) が必要となります。

ムラマツフルート 『材質による音色と響き』より引用
https://www.muramatsuflute.com/flute/material.html

日本の大手フルートメーカーのムラマツフルートによる見解はほぼYAMAHAと同一である。ただ、(少なくとも2021年現在は)ムラマツフルートは木製フルートを製造しておらず、価格もほぼ密度の順に決定されているといって良く、密度の高ければ高いほど良いフルートであるという主張に矛盾は無い。

ほかにもいくつかの例を紹介しようとしたものの、基本的には同じ主張で、密度が高い材質ほど良い、ということを各社様々な言葉で表現するのみで根本的な差異がないため割愛する。

2.2 科学的文献

メーカー各社の主張を補強する科学的文献を2つ紹介する。

Cocchi A and Tronchin L (1998) Material and obsolescence on flute quality,  Proc. Acoust. Soc. Am. 103:763-764 Full textはこちら
2ページの Open access article なので興味のある方は目を通してほしい。フルートの材質と老朽化による音色への影響を調べるため、2本のフルートを用意して、そのIR (Impulse Response) とその TF (Transfer Function) を測定する実験とその結果に関する記事である。
用意したフルートは Bundy 製でかなり古い (obsolete) 洋銀のフルートと、ムラマツ製で新品の総銀フルートで、それぞれのIRの周波数特性を調べると、両者には明確な違いがあった、と主張する内容である。

Tronchin, L and Amendola, A (2016) On the effect of material in the acoustics of flutes, AA.VV., Making Wooden Musical Instruments - An Integration of Different Forms of Knowledge, Barcellona, OmniaScience, 2016, pp. 43 - 46
こちらも Open access で全4ページの短い文献なのでぜひ興味のある方は目を通すことをお勧めする。こちらでは3本のフルートを用意して、各楽器の周波数特性を調べている。
用意したフルートは Jupiter 製の洋銀フルート、Sankyo 製の総銀フルート、Mateki 製の総金(12K)フルートである。著者の主張は、これらのフルートの間には周波数特性に明確な違いがあり、フルートの材質の違いが音質の違いを生んでいるというものである。

各文献を筆者の私見を極力排除して簡単にまとめたつもりだが、中立性に疑問を持った方は必ず引用先を当たってほしい。以下の文献でも同様である。

さて、この二つの文献によって筆者の信仰が揺らいだかというと、答えは否である。彼らの実験によってフルートの材質が音質に影響を与えている、と結論付けることはできない。

The experiments here presented allowed to find differences among three similar flutes which differed only in the material.
(訳) これらの実験により、材質のみが異なる3つのフルートに差異があることが明らかになった。

Tronchin, L and Amendola, A (2016) On the effect of material in the acoustics of flutes, AA.VV., Making Wooden Musical Instruments - An Integration of Different Forms of Knowledge, Barcellona, OmniaScience, 2016, pp. 43 - 46 より引用

とあるが、本当にそうだろうか?

音色を決定する可能性のある要素はもちろん材質だけではない。設計、製造工程、経年劣化、気温、気圧、湿度、etc...
同一のモデルであっても製造上発生する個体差もあるはずだ。どの要素がどれだけ音色に影響を与えているかわからない以上、材質による差を調べたいのであれば、当然ほかの要素はそろえたうえで実験しなければならない。なぜ彼らは全く別のメーカーの楽器を用意しておきながら、材質による違いのみに注目するのか?

ここで紹介した2つの実験でわかることは、彼らが用意した数本のフルートにおけるIRの周波数特性には違いがあった、それだけである。彼らの結果から材質による音質の違いにまで言及するのは乱暴な推論であるといえよう。
実験自体はその方法も含めて大変興味深いものであるが、せめてメーカーを揃えて実験していれば、もっと価値のある結果を得られただろうに、残念である。

材質の違いと音色の関係を肯定的に結論付けた学術的文献は筆者の調査範囲では以上2篇のみであった。他に報告があれば是非紹介してほしい。

3. 材質無関係派

材質と音質は無関係であると主張する文献は、現在から50年以上さかのぼって1964年から存在する。筆者の調査では4つほど文献を発見しているが、ここでは2つの文献を紹介する。

Coltman JW (1971) Effect of material on flute tone quality, J. Acoust. Soc. Am. 49(2):520-523 Full textはこちら

上で紹介した2つの実験とは異なり、こちらは人間を対象に実験を行っている。使用した楽器は市販のフルートではなく、著者はこの実験用にキーのないフルート(つまりただの筒)を3本製作している。材質は銅、銀、木材(グラナディラ)の3種類で、それぞれ内径を揃えている。管の厚さにはそれぞれ違いがあるが、詳しくは元の文献を参照してほしい。
行った実験は2つで、1つ目は同一の奏者による音だけを聴いて材質の違いを当てられるか?というものである。奏者は3回、同じ演奏をして、そのうち1回だけ違う材質のフルートを使用する。27名の聴衆はその1つの演奏がどの回であったかを答える、という実験を36回行っている。
2つ目の実験は、奏者自身が材質の違いを当てられるか?というもので、目隠しをして音以外では材質の違いを区別できない状態にして、まず3つのフルートを吹いて音を確認し、奏者自身が最も気に入った1本を選択する。その後実験者によりフルートをシャッフルし、最初に選んだ1本を答える、という実験を4名の奏者について合計9回行っている。

実験の詳細な結果とその統計処理は出典元を参照していただくことにして、著者の結論は、材質の違いによる音質の違いを聴衆も奏者も認識できていないというものである。

Widholm G, Linortner R, Klausel W and Bertsch M (2001) Silver, gold, platinum—and the sound of flute, Proc. ISMA 2001:277-280 Full Textはこちら

先に紹介した実験ではキーのないフルート(もはやただの筒)を使用しており、フルートに対する実験とは言えない、という批判はもっともである。そこで、こちらの実験ではムラマツフルート製の市販品7本を用いている。内訳は、銀メッキ、総銀、9K、14K、24K、プラチナメッキ、総プラチナの7種である。(おそらくEX, DS, 9K, 14K, 24K, PTP, Platinumモデルに対応していると思われるが、そこまでの記述はない)
7名の奏者に対してこれらの7本のフルートをそれぞれ演奏してもらい、違いを探るため、ダイナミクス、周波数特性の解析、15名の聴衆によるブラインドテスト、など様々な検証を行っており詳細は出典元を参照してほしい。(7名の奏者はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者を含むらしいが、個人名は書いていない)

結論はどの検証においても材質と音色に関係があるとは言えないというものである。ただし、こちらの文献ではひとつ前の文献と違い結果の統計的処理が甘く、実験結果から結論への論理がやや飛躍しているようにも感じる。結論ありきの記事である、もしくは実験者効果によるバイアスがある、といった批判に十分に耐えうる内容では無いと(残念ながら)言わざるを得ない。しかしながら、前半に紹介した材質と音色の関係を支持する2つの文献も、この文献と同じかそれ以上に実験結果から結論への論理が飛躍していることを付しておく。

4. おわりに

ここまで4つの文献を紹介したものの、どちらの陣営も完璧に相手を説き伏せることは難しそうである。が、学術的にはフルートの材質とその楽器が発するパフォーマンスとの間には直接的な関係は無いとするのが主流である。

個人的には、メーカー側も自身の主張を裏付ける学術的根拠を出してくれ、と思ってやまないが、メーカー側にそのインセンティブは無いだろう。実際、多くのフルート奏者は金のフルートは銀のフルートより優れていると信じているし、優劣は別にして少なくとも差異はあると思っている人が圧倒的多数派だろう。学術的根拠が無かろうと人々はいくらでも高い楽器を購入するのである。

世の中には似非科学というものが蔓延している。水素水、マイナスイオン、血液型による性格診断、ゲーム脳、etc...
フルートの材質も「密度」という一見科学的単語を用いて消費者を煙に巻く似非科学信仰の一種といえるであろう。

しかしながら、日本人が感じる同調圧力というものは凄まじいもので、筆者はこのような批判的記事を書いておきながら自身のフルートに160万円もの大金をかけている。笑ってくれ、筆者は異教徒の信仰による圧力に屈服し、160万も使ってしまった人間なのだ。

似非科学に屈服してしまった憂さ晴らしにこんな記事を執筆しているダサすぎる人間には、水素水も、マイナスイオンも、天動説も、Flat Eartherも、上から目線で嘲笑する権利など一切無いかもしれない。が、筆者はO型なのでそういった細かいことは気にしないことにする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?