自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子⑳
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社会人時代編2 ダイジェスト(1500字)
・身の振り方、光射す方向は
・組織の中で働くということ
自分の仕事は自分で尻を拭う。
「やり方は任せる、看板を貸すから個人事業主のような気持ちでやってくれ」と営業所長に言われたときは驚いた。
配属早々に直属の上司ひいてはOJTでサポートしてくれる予定の主任の姿が見当たらなかった。聞いてみると突然の転勤になってしまったらしい。
そして、引継ぐべき情報は何一つなかった。顧客リストも何一つだ。
客先からは、前担当の時は…なんて何度お叱りを受けたか。
これに関しては納得出来なかったが、これもまかり通てしまう理由があった。
配属された営業所の所員は僕含めて3人。所長(20年)、僕、事務員(15年)、そして、僕が研修を受けている間に転勤してしまった主任(10年)
そんな状況で僕は何を求められているかを察した。
歴が長い人間同士が長年の経験と知識で、阿吽の呼吸で分かり合うだけの月日共に過ごしてきているのだ。お互いに「言わなくても分かる」という関係。それを僕にも求めてきているのだ。
おかしいと思ったことをそのままにした結果、少しづつ歪が大きくなった前職の失敗を踏まえ僕は入社する前には入念な確認と準備をした。特に実務内容、勤務条件、労働環境の面で納得した上で入社したつもりだった。入社前に夜に電話が通じるか、電気は付いていないかなんかも実際に足を運んで確認した。しかし、実際は帰社する時間が皆遅いため、営業所に誰もいないというオチだったり、詰めが甘いところはあった。しかし、実際に配属されてみないと分からないことが多すぎる。そういう印象を受けた。
別にパワハラを受けていたとは思ってはいないし、虐められていたわけでもないとも思っている。ただ「教育放棄」されていただけだ。ベテランが3人で東北6県をカバーしていたのを、ベテラン2人と新人1人となったのだ。正直教育どころではないよなぁって少し冷めた自分もいた。入社して1年も経たない時のことだ。
少し慣れた頃、ベテランが1人と新人が2人になった。ベテラン事務員が退職してしまった。教育を放置した営業所長の代わりに僕を教育してくれた事務員さんだ。営業的なことは無理でも社内処理のことであれば、なんでも出来る人だった。
ある日、社内での仕事が溜まり、昼を過ぎてしまった。事務員さんからご飯に誘われ、退職することを告げられた。すぐに退職する訳ではないらしいが、理由を聞くと実は営業所長との折り合いがずっと悪く、僕の前にいた主任がいたから我慢してきたらしいが今の環境には耐えられないという判断のようだ。確かに僕が営業所長にチクチク小言を言われている時には庇ってくれることも多く、それが原因で言い争う姿も見てきた。「人として合わない」と傍から見ていても感じる空気感だった。前から退職タイミングを見計らっていたらしいが我慢できる範囲だったので、堪えていたが限界のようらしい。ただ入ったばかりの僕を置いていくようで申し訳ないという気持ちから、事前に僕にだけ打ち明けてくれたようだ。
正直に言うと辞められると通常業務が崩壊するのは目に見えていた。社内での膨大な業務(電話対応、簡単な見積もり、主な受発注業務などなど)は事務員さんが捌いてくれている。もちろん僕と営業所長でも出来るが、営業活動の片手間に出来るものではない。営業所で僕のことを育てようとしてくれたのはこの事務員さんだけだ。良くしてもらったのだ、望むようにしてあげたい。
僕はあとは任せてください。とだけ言った。
つづく
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