自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子⑨
この記事は続編です。ここに至る経緯はこちら
前記事 自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子⑧
大学生時代編ダイジェスト
・ 東日本大震災を経験 ⑥~
・ 順調過ぎると思っていた就職活動~
東日本大震災を経験編 書籍発行に至るまでの前日譚(1000字弱)
東日本大震災からもうすぐ10年が経つ。町は大きく形を変え、嵩上げされた宅地、見知った建物はなく、母校も移転し、思い出、所縁のある場所なんて無くなってしまった。町の名前だけは同じだが、もう僕が育った故郷とはやっぱり言えない。
東日本大震災で被災し、一度に大切なものをたくさん失くした。僕も含め多くの被災者は失意の底だったと思う。ただ、僕は彼ら彼女らに比べれば失ったものは比較的少なかったのではないかという思いがあった。家族は無事だ。自宅も住めない状況ではない。実家は農家なので食べる物もすぐに困るわけでない。最低限の衣食住が揃っていることに少しだけ後ろめたさを感じた。困っている人に何かしてあげたい、助けてあげたいという僕なりの善意も「何も失ってもいないから、そんな余裕があるんだ」なんて、お叱りを受けることもあった。
何も言い返せなかった。人の負の感情ががそこら中に蔓延していたのだから仕方がなかったのかもしれない。僕にそんなつもりはなくともそう映ってしまう。僕だって突然に多くのものを失ったことに対する悔しさがあった。同じ目線で苦悩を分かち合いたい、共に乗り越えていきたいとそう願っているだけなのに。
分かったよ。じゃあ、僕は少しだけ先を目指すことにするよ。
いつになるか、果たして本当にそうなるかは分からないけれど、心に平穏が訪れた時、きっとみんな故郷を思い出すだろう。今は直視できない故郷の現実だけれど、きちんと受け入れることが出来る日が来た時、思い出すのには道しるべがいるだろう?
震災直後は町を再建するかどうかという話にまで発展していた。
噂では競馬場など大きな土地が必要な国営施設にするといった案も浮上していた。人が住めるような場所ではなかった。もうあんな怖い思いをするのはごめんだ。そんな声も聞こえてきて、世の中から町の名前が消えた時、本当の意味で町が無くなってしまうと思った。そんな不安のような寂しさのような漠然とした気持ちを抱えて、僕は僕の日常へと帰っていった。
ゴールデンウィーク明けには大学が始まる。
迷って悩みながら僕は研究室の扉を叩いた。
つづく
~~~マガジンにまとめてみました~~~
自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子