
質問にお答えしてみた。
先日、ご縁あり、
私の大好きな精神性、在り方の話を
させて頂く機会があった。
そのときの質問
本心で生きたい、という願い
の扱い方について、書いてみる。
そのときの質問は
マスクをつけずに、学校に通うか、
マスクをはめて、学校に通うか。
マスクをはずすと いじめられる、など 学校や社会側の理解を得られがたい現実があるため、本当の自分の思う行動ができにくい、、。
という息子さんがいらっしゃる。
そのジレンマや葛藤で
困っていらっしゃるお母さま。
お子さんへの適切な対応って どうなのか?
どう考えたらいいのか?
息子さんは マスクつけたい。
お母さんは マスクつけずに行ってほしい。
という、ふたつ想い。
本心はマスクはいやだ、という同じ考え
でいらっしゃる。
その上で
立場の違いで それぞれの想いがある。
ということ。
私が思う 大切なことは
任意になったのだから、とか
教育委員会と話すとか
マスクについて どう扱う?考える?
どうしたら マスクなしを スムーズに貫けるか?
というような
現実(みえる世界)での方法論として
どうしていくといいの?
という外へ向けた
正解の考えや行動を探す、合わせる
というより
どうしてマスクをつけたくないか?
その先にある、というか その奥なのか、、
想いの部分を大切にしあうことのほうが
ずっと価値があり 大切と思う。
マスクをつけない、、
という本心からの行動をするのか、しないのか、
ではなくて
マスクをしていても
していなくても、
同じ想いで 生きることはできる、ということ。
つまり、
その奥とはね
そんなにも、「マスクはいやだ!」
と感じるのは どうして??
と、まずは 自分自身に問うのがいい。
マスクに 乗せている想いがあるのだと思う。
憤り、怒り、
そのもっと 奥に
もっとこんなふうに生きたい!!
もっとこんな世界で生きたい!!
こんなことを大切にしたい!!
本心で生きたいんです!
とおっしゃった。
息子にもそうあってほしい!とおっしゃった。
では、その本心とは??
もしかしたら
お母さんの考える本心と、
息子さんの考える本心が違うかもしれない。
本心という言葉に重ねている
言葉の意味、イメージです。
誰もが 同じ言葉を使いますが
そこの奥に瞬時にイメージすることが
違ったりも、する。
人のことはいいの。
自分をしるために、
自分に聞いてみる。
このばあいは
「私にとっての本心とは??」と、
自分で自分に問うて、
目を閉じて 心で感じてみる。
例えば、、
自分を貫くこと、とかね。
出てきたとして。
マスク絶対つけません!私は!!!
これが
本心を貫くって ことなのかな。
腹に思ってることと、行動の一致ということかな
私の考える本心で生きるとは
自分のなかに 強い想いをしっかりと持っていること、かなぁ。
その強い想いとは、
人を大切にしたい、、ということ。
人のなかにある生命力や生きる力を健やかに巡らせてあげられるような 在り方を
まずは自分がする、ということ。
それは、
根っこで繋がる
お互いの存在を、本当の意味で大切にしあう
関係性を構築すること。
根っこって、見えないからね。
見えなくても 繋がりを感じあえる絆を感じあえる仲っていうかんじかなー。
端的にいうと
愛しあうとか、育み合うとか、
そういうことになるね♡
そうするとね、
表面上のあれやこれやに左右されない
表面上で いちいち図らなくてもいい。
見える部分は どうであれ、
奥に、コアに 持つものが揺るぎなくあれば
それは 同じ想いで生きている仲間なのだ。
それをもっと 深くみていくと、
私たちのコアのコアは
本質は 同じなのだよ。
みんな 仲間なの。
また
話が壮大になったけれど。。
なので、
表面上は お互いちがってもね
お母さんを想う息子さんの気持ち。
息子さんを想うお母さんの気持ち。
これをしっかり 心の奥に感じられていたら。
もうすこし
浅い部分では
本心を貫く行動を望んでいるお母さんと
その想いに応えたいから苦しむ息子さんと。
どちらも 愛でしかないんだよね。
尊いのよ。
存在しあうことは、尊い。
そんなことを
親子の想いについて
共有していけるといいのかと思う。
それが、慮る、だよ。
覚他、だよね。
覚他に至るには
少し黙ることなんだ。
黙って 本質をみつめる時間をもつこと。
とはいっても、
しかし、現実問題、
二人の間で話がもつれた場合は
話し合いは 正解が導き出せないようになっている。コアに向かえば向かうほど。
たぶんね、これ 真理。
だから、
自己完結型(黙る)が 真であると
やっぱりそこへ 行き着くのだ。(後述)
そうして、生み出されたものを
相手に伝わる言葉にして
伝えるの。
すぐに白黒つけずに
しっかりと、相手の奥を感じてみる。
自分の奥も感じてみる。
慮る、覚他、本質で存在しあうこと。
この場合
想いを繋ぎあえることが大切で、
それは きっと よりよい未来にしたい。
そう願ってる、愛なのだから、、
その上で
実際、マスクつける?どうするのか?は
お子さんのことは、お子さんに任せたらいい。
表面の行動よりも
内面の信頼やどんなときも味方であるという
揺るぎない心の絆や愛されてるなと感じられることの方こそ 代わりのきかない尊さだから。
根っこで繋がってたら 問題ないの。
表面上 なにがあっても、起こっても。
それぞれが 自分という種をしり
それをどう伸ばしていきたいのか
感じるための 尊い経験でしかない。
見えてるものに 振りまわされなくて
大丈夫だから。
なので、現実対応?どうすごすか?
に関しては 任せるのが いい。
見ていたらいい、心の目をそらさずにね。
未来に繋がるステップになる。
お子さんが自分の考えで、決めて、選ぶ。
それがまた 尊いこと。
見てくれてる人がいる。
分かってくれてる人がいる
どんな自分も応援してくれている人がいる
そのとき生まれる 心の深いところの
活力というか、
原動力のようなものにより
必ず 息子さんの未来は拓ける。
だって
息子さんは
あなたを選んだ生まれてきたんだから♡
あなたも この世界へ
息子さんを生みだした。
形なきものを 形として生みだす。
尊いね。
淡々と いのちの営みがあること。
その大きな営みの一部として
私たちが今日もここで 存在していること。
また壮大になってきた笑
なので、
お母さんと子どもってね
しっかりとした 根っこで繋がってる。
存在の繋がり。
(じつはみんな繋がってる、真理ね)
不動の揺るぎない 繋がり。
既にある。
誰もがお母さんから 生まれてきたんだ。
みんな根っこ もってる。
そして、
どんなときも 心を離さないこと。
それが お水と養分ね。
それさえあれば、すごいのよ。
安心して、楽しみにしていたらいい。
あなたがいてくれること、それが 息子さんのなによりの力の源なんだから。
未来への力となる、みせてくれる。
そういう、ものなのだ。
だから 削がないことよ。
伸びる芽を摘まない関わりをするの。
余計な心配や不安から生み出されるすべてね。
言動、注意、アドバイス、行動。
それを一切やめることね。
足し算より、引き算よ。
なるべく 手出し口出ししない。
見守る、任せる、心を向けておく。
必要あるときだけ 一気に注ぐ。
そんなイメージ。
存在していることが 尊い。
存在してくれている事が 親孝行そのもの!!
今日も逢えて嬉しい。
いてくれてありがとう。が軸。
なので、
その尊さを
この行動こそが正しい!という考えで、
尊重、慮っていないことこそが、
愛で繋がる関係性の歪みになる。
つまり、大切なことは、
お母さんはこう思うよ。
お母さんなら、こうするよ。
という 自分の意見や考え方を
どのスタンスでするか、ということ。
例えば、
提案なのか?
押しつけなのか?
忘れてはいけないことは
どんなときも、
例えそれが
経験値のある大人だから見えていること、
失敗がわかっていること、
憤りを生むこと、
絶対自分なら受け容れられないこと、
全く共感できないことであっても、、
境界線を お互いのあいだに
しっかりと引いておく。
どんな小さな子であろうと、、
本当の意味の尊重って、そういうこと。
その子のつくるその子の世界を
尊重し、大切にし、見守り、応援する。
枝葉の マスクつけるつけないより
もっともっと大切なことは
息子さんが 目の前で成長を見せてくれている
ということ。その言動、その行動。
一挙手一投足、そのすべてが 尊い。
日々 忙しく生きていると
その当たり前で流れていく
そんな なにかがこぼれ落ちていく。
一緒にいられて 嬉しいね。
今日もご飯美味しいね、幸せだね。
今日もいてくれてありがとう。
そんな時間を 人生のなかで たくさんたくさん持てるといいね。それこそが、宝。
今日 今月、学校にマスクつけていくか、
いかないか、よりも、マスクつけるかどうか共に悩むことができる関係性が あること。
それこそが、豊かさだ。
それを受けとった上で、
生みだす言動や行動は きっとまた違ってくる。
これが正しい!こうするのが当然!
なんでこうしないの?
あなたは それでいいのか???
と、言いたくなる。言ってしまう。
こういうことは、
子育てのあらゆる場面、
または 人間関係のあらゆる場面で登場する。
しっかりと心を通わせて
存在しあえさえいたら、
表面上のどんなことも 尊い経験でしかない。
尊い経験をとおして
心を重ねて 育み合うことこそが
ますます お互いを生かす原動力になる。
心を重ねて 育み合うためには
話し合いを超えたところに あるものを掴むこと。
自己完結型で、育む。
だって、その歳の息子さんには もう会えないのに、しっかりみて、しっかり味わって、
もちろん自分の日々も、やりたい事もそうなのだけど、、息子さんと生きている今ここほど
豊かで大切なものなんてない。
今日を大切にすることが
未来に繋がる。
繋がっている、ぜんぶぜんぶ。
今ここにすべてある。
だから
自分の領域をしっかりもって、存在しよう。
過去、未来は領域外。
周りの人は 自分の領域外。
自分の領域に100パーセント責任をもつ。
相手の領域は相手に任せる。
未来のことも未来に任せる。
その方がどう生きようと、何を選ぼうと
差し支えない。
そのように存在さえしていたら
すべてが ちゃんと繋がってくる。
繋げよう!とか
ああしよう!こうしよう!なんて
この小さな頭で考えなくても、
大丈夫。
もっとすごいブレーンが ついてるの。
もちろん、
そこで感じることは 山ほどある。
その山ほどある感じているほう。
その正体、中身を しろうとすることで
生まれる相乗効果のほうが 素晴らしいし、とてもとてもパワフルなのだ。。
子どもであろうが、
家族であろうが、
それは 変わらない。
私を生きる、一点で生きること。
自分をよりよく使おう、ということ。
余計なことで 削がれない過ごし方。
脳の使い方、感情の扱い方。
自分の扱い方を、
自分で 生きながらにして掴んでいくかんじ。
楽しいよ、おすすめだよ。
とてもとても、ね。
それだけ。スタンスね。
善悪、正誤の二極で 扱うすべては、
反対のものしか生まないのだ。
おなじことなの。
平和を掲げる活動してるようで、
反対側を煽ってる。
闘ってる。
これが正しい!
これが間違ってる!
結果、闘いの姿勢なのだ。
標的ありきの姿勢からは、
必ず 標的を生む必要が生じる。
これこそが、
この世界の陰謀であり、トリックだ。
もう、いいかげん、
目を覚まそう。賢くなろう。
私たちはみんな、
そんなちっぽけな存在じゃなくて
もっともっと 尊厳ある壮大な存在なのだ。
ねぇ。
よく、世界平和へ。
なんていうじゃない?
自分のなかの二極をなくすことが、
世界平和だよ、調和を生むよ。
まずは
自分のなかから。
そして、家族へ。
一人一人が
そもそもパワースポットだから。
神社に行くと気持ちがいいでしょう?
そのクリアさや気持ちよさは
外側のなにかにすがらなくても、
自分のなかから
無限に生み出していけるよ!
まずは、自分のこと、やろう。
↑
人のことやらないってことじゃないよ。
やってあげたいことは やるよ、もちろん!
これは、自分の中にある
もっと大きくて豊かな愛を
巡らせて生きようっていう 話。
本当人生にさ
人のことあれこれ考える暇 言う暇なんて ないよ!
そしてそのことって、
何もいいものなんて 生まない。
自分のストレス発散やマウント、
自分がよかれと思って
人の力を軽んじて心配してるだけだよ。
それだって、
もっと奥にいくと愛なのだけど。
だけどさ、
どうせなら いいものを循環させましょう。
お互いが巡るような在り方をしていこう。
自分のご機嫌、自分の喜び 外側しだい、
をやめて、、
まずは 自分の内面に
エネルギー注いでいこう、ってこと。
そして、自分のなかから無限に湧きだす
豊かな愛のエネルギー注ぎたい場所へと注ごう!
もっと自分のきもちや思考の奥をしろう。
奥をしると
本当に求めるものがわかる。
やみくもに行動しなくていい。
ずっと 心地よく 存在していけるよ。
そしたら、
そんなあなたの存在の仕方がね、
まず 自分自身の安心の土台になって
それが
周りの安心や才能発揮に 必ずなる。
それもね、
へー、そうしたらいいんだ、
そうすれば
安心や才能発揮になるのよね?
じゃ、やろう
とかね。
そーゆーことじゃない。
これは。
その姿勢から、
すべてが生み出されていることを知ればいい。
なにかを得るため、
変化を生みだすため、に、やる
という
まずは、その駆け引き、損得、
これだけやったから かえってくるよね?
の
その貧しい姿勢を直視して、
とにかく
自分から たくさんたくさん周りへと
よいものを放ち続けてみて。
周りから得よう得ようとしなくていい。
返ってこようが、こなかろうが、、
反応が好みであろうが、なかろうが、、
変化しようが、
変わらなかろうが、
そんなことは、
あなたの価値とは 全く関係なし!
そして、放ったものは、
どうせ勝手についてくるものだから、
見張らなくていい。
そう在ることこそが、既に尊いのだから。
そのいのちの営みこそが
最大最高の豊かさなのだから。
そこでそう在ることが 既に豊か。
そこで、完結だよ♡
いちいち見張る がめつい姿勢が
その現実を生むだけだ。
姿勢のうえに、
現実が積み上がる。
現実が変われば、喜びますけど?
現実が変われば、安心しますけど?
相手がそうなるなら、許してもいいけど?
とかね。
そんなの 原理原則からして
一生 安心なんてできない。
一生 苦しいよ。
安心してる、自分が先にあるから
安心な現実がある、だけ。
自分もいるだけでいいって 言われたい。
相手だって言われたい。
だから 先に許そう。
今のままで いいってことにしよう♡
そうすると、
自分が先に許されるんだ。
たくさんたくさん あなたを家族へ与えられるようになる、存在していることを喜んで 存在していけるからね。
それが みんなのパワーになる。
お母さんは パワースポットね。いるだけでね。
その上で 存在していく世界は
少しずつ見えるものがかわってくるよ。
世界はシンプルにできてる。
ないものは、ない。
あるものからしか、生まれない。
そして、そんな姿勢で生きるようになると
その恩恵を1番はじめに受けているのは
自分なんだ、と知る。
愛が、感謝が、よい気持ちが
まずは自分を満たし、巡るから。
怒りや苦しい気持ちも同じ。
それなら、
当たり前にたくさんたくさん感謝しながら
生きたらいい。
こんなふうに育てられたから!
わたしってこうだから!
と、過去を受けとらないのもいいけど、
ちゃんとみてみたら
そこにも たくさんの豊かさがあるよ。
みんなみんなね。
無償でたくさんのものを与えられてきたし、
あなたが生まれてきてくれて
こうして生きていてくれて
これを読んでいてくれるだけで
なにより私は嬉しい♡
感謝ってさ、
感謝したらいいらしいから
無理やり感謝しろってことでなくてね。
それ、がめつい。
淡々とした事実確認みたいなことだよね。
生きてきてる。
実際に、それだけ 無償でたくさんたくさん与えられているものがあるし、感謝からは感謝する現実しかやってこない。
そういう、ものなんだよね。
この話をきいて、
頭でわかろうとするのも、ちょっと違う。
わかることじゃない。
なんというか、
頭でわかることと
感じることは別ものなのだ。
大切なものは
感じられることで生まれるって、思う。
そうして、
その姿勢で在ることは さらに違う。
天と地の差なのだ。
理屈じゃない。
今ここのあなたの内側から生み出されているもので、あなたの現実が創られている。
ただそれだけなのだ。
だから、話は戻るけど。(だいぶ飛躍した笑!)
マスクをつけずに、学校に通うか、
マスクをはめて、学校に通うか。
そこに 障壁があるため
本当の自分の思う行動ができにくい、、。
そのジレンマや葛藤で
困っていらっしゃるお母さま。
お子さんへの適切な対応って どうなのか?
という質問だけどね。
正解はなくてね。
その先の本当の願いはなに?
ってこと。
安心して そんな世界で、社会で、
子育てしたいな、
子どもたちの将来が そんな社会であってほしい。
でしょう?
そうしたら
二極を生まないことです。
二極は どこまで行っても、ひとつにはならない。
一生 平和 なんて来ない。
戦争、遠い国のさまざまなこと、
食、暮らし、医療、子育て
現実の様々なことについて、
心配するのも、
考えることも
活動するのも
正誤、善悪について 議論するのも
なんでなの??
その先の願いは??
愛と平和。
みんなで ひとつを生きる。
調和。
そんな世の中を子どもたちへ。
本当に大切なものは もう既にある。
あなたの身体が、今日もここにある。
だから、今日がある。
あなたでいるだけで、
よりあなたであることを、
安心して存在していけるようになること。
あなたも、あなたの大切な子どもたちも。
ご家族も、お友だちも、みんなみんな。。
すべては、あなたの今ここから♡
そして、
みんなで個性を持ちよって
みんなで向かっている。
もう既に。
今ここの姿勢が 未来へ繋がる♡
二極は、愛じゃないの。
分離の姿勢なの。
愛は すべてを含むよ。
統合だよ。
愛は姿勢。愛は在り方。
愛から生まれたものは
すべてを包括して存在できるんだよ♡